松井孝典『文明は〈見えない世界〉がつくる』
☆mediopos-2425 2021.7.7
古代から現代まで
人間の文明の歴史を
その根底にある宇宙観から
たどっていく本書の「物語」は
高校生だった頃のじぶんが
読みふけっていた
というよりも
こんなSFが読みたかったという
宇宙論的なSFを
ぎゅっと凝縮させたもののようで
不思議な懐かしささえ感じてしまう
大宇宙の極大なマクロと
小宇宙の極小のミクロが
人間という観測者の存在によって結ばれている
〈見える世界〉の奥にある
〈見えない世界〉への道は
〈見える私〉の奥にある
〈見えない私〉への道でもある
そんな宇宙観をイメージさせる物語が
実際の歴史のなかでさまざまに織りなされ
大きなタペストリーになっているようなSF
高校生の頃は
宇宙論的なビジョンに魅せられて
〈見える世界〉〈見えない世界〉といっても
じぶんの外的な世界として
科学的な視点で理解していたけれど
その後哲学的なものにも惹かれ始めると
物質的なものへ向かう視点と
精神的なものへと向かう視点を
どうやって結べるのかを
あれこれ考え始めるようになる
本書で「〈見える世界〉の奥に潜む〈見えない世界〉が
数式などで記述できるようになる」
と述べられていることは半分の世界でしかない
数式には「からだ」がないから
とはいえその半分が真に解明されるとき
同時に残りの半分にも光が当たることになるのだろう
現と夢のように
現を真に生きるということは
夢を真に生きるということにもなるのだろうから
しかし本書の人間原理の話にもあるように
かつて宇宙のなかの人間は
偶然のなかで現在となっているように見られていたのが
視点が人間の観測そのものになってくるのは面白い
超越的内在即内在的超越のように
外へ向かう視点と内へ向かう視点が
メビウスの輪のようにつながっているように
引用の最後に
人間圏はいまネットワーク社会と言われる
人間圏が大きな変容を遂げようとしていという示唆がある
「分化を続けてきた人間圏が、
その分化という方向性を変え始めた」というのである
これは個の方向性と共生の方向性が絡みあい
現代さまざまな問題を孕みつつ展開しているということだろう
本書はコロナ禍の前の2017年に刊行されているが
マクロとミクロの照応的な宇宙論とあわせて
人間の個とそれを超えたネットワークの展開
という視点が出されていることはとても示唆的である
■松井孝典『文明は〈見えない世界〉がつくる』
(岩波新書 2017/1)
「文明は〈見えない世界〉の解明を通じてつくられる----。
そう聞くと、驚く人も多いでしょう。物質文明という言葉があるように、モノが溢れている世界こそが文明の姿だと大抵の人は考えるからです。しかし、その溢れているモノを利用する技術こそが実は〈見えない世界〉探求の産物だった、としたらどうでしょう。」
「文明の歴史は、発見と発明の歴史と言われますが、鍵を握ってきたのは常にこの〈見えない世界〉でした。合理的志向を駆使することでしかたどり着かず、それを数式などで書き記すことでしか姿を見せない〈見えない世界〉。この〈見えない世界〉に目を向け、それを記し、そしてそれをどのように〈見える世界〉にフィードバックさせていくか。それが一万年にもわたって続く文明発展の鍵だったのです。
そして今、この〈見えない世界〉の解明が驚くほどの勢いで拡大しています。二〇世紀の末から、文明の停滞が叫ばれて久しいなか、果たしてそれは何を意味するのでしょうか。〈見えない世界〉の解明を中心に、古代から現代に至るまでの文明史を俯瞰し、〈見えない世界〉を通して人間とは何かを探ること。そして、その探究をもとに宇宙、さらには新たなる文明の可能性について考えること。それが本書の目的です。
我々はどこから来て、どこへ行くのか。我々は何者なのか。その答えは、我々が書き表す〈見えない世界〉の中にこそあるのです。」
「〈見えない世界〉をめぐる旅、それは我々の過去、現在、そして未来を探る旅でもあるのです。」
「自然の変化が「天体の動き」と関係していることに気づき、その動きを正確に観察することで「暦」という時間に関するモデルを作り上げたのがカルデア人です。しかし「天体の動き」については、合理的な説明を行うことはありませんでした。」
「神の意志を人は目に見ることができない。だから、「星は、なぜ、そのように動くのか」という理由を人々は知ることが出来ない。つまり、それは人々にとって〈見えない世界〉であり、〈見えない世界〉を語りうるのは神だけだ。というのがカルデア人のみならず、当時の人々の標準的な考えだったのです。
ちなみにここでいう神は、のちの一神教でいうところの形而上学的な神ではありません。星座にあてはめられた神々の姿からもわかるとおり、人間社会を反映した「神話」的な神々です。こうした考えを一笑に付すことはできません。説明できないこと、人智の及ばない力に対して神を持ち出すのは、昔も今も変わらないからです。」
「天文に関する膨大なカルデア人の知恵を引き継ぎ、それを発展させたのが、古代ギリシャの人々です。カルデア人が「神の意志」としか説明しなかったものを、彼らは自らの考える力で説明しようと試みます。
合理的精神。それが古代ギリシャ人の最大の武器でした。彼らはそれを「ロゴス」と呼びました。」
「(ピタゴラス派の人々)は〈見える世界〉の背後の至るところに「数」を見出しました。」
「ピタゴラス派の人々は、天体の動きについても同様に考えました。規則正しい星の動き、すなわち「天の秩序」の背後に、カルデア人が「神の意志」を見たとすれば。ピタゴラス派の人々が見たものは、やはり「数」だったのです。」
「幾何学をベースにして宇宙モデルを作り上げ、天体の動きを説明するというのが、古代ギリシャで発展を遂げる天文学(=アストロノミー)の最大の特徴です。」
「なぜ万物は時とともに姿を変えるのか? 生成と生滅を繰り返すのはなぜなのか? あるいは、何がそれを可能にしているのか? 物質の本質や起源は何なのか?
季節の変化が天体の動きに関係しており、その運行規則を、幾何学的な宇宙モデルを用いて正確に理解しようとした古代ギリシャの人々は、同じ頃、身近な事物の変化を説明する原理についても考えをめぐらせていました。その究極の答えとして登場するのが「古代原子論」です。〈見える世界〉の秘密に、宇宙という極大の世界からアプローチしようとするのが「宇宙論」だとすれば、原子おいった極微の世界からアプローチしようとするのが「量子論」です。その萌芽が、古代ギリシャの時代に始まったのです。」
「〈見える世界〉の不思議は、突き詰めると、「変化の不思議」です。なぜ季節は移り変わるのか。なぜ万物は変化し、生成と生滅を繰り返すのか。なぜ自然は根源的な世界から多様な世界を生み出し、そのかたちを替えるのか。古代ギリシャ人たちは、その不思議をロゴスによって説明しようとしました。本書のテーマに沿って言うならば、〈見える世界〉の背後にある〈見えない世界〉を記述することで、その不思議を説明しようとしたのです。」
「キリスト教は、ローマ帝国を飲み込みヨーロッパ全土に広がります。この世界はどのような世界なのか。なぜそのようなことが、この世界で起こるのか。ギリシャの哲学者たちが頭を悩ませ、議論を重ねていたそのすべてのことを、「神」は知っていると宗教は教えます。生死や天変地異といった現象の理由のすべてを知ったうえで、神は人々を導き、そして救うのだと説くのです。逆にいえば、〈見えない世界〉のことは神のみぞ知ることであり、人々はひたすら神を信じ、神の言葉に従うことこそが重要だということになってきます。(…)人々は神を通して〈見えない世界〉に対峙する道を選び、これにより宗教画〈見えない世界〉を語る主役に躍り出ることになります。一方で、〈見えない世界〉の解明に通じる自然学の扉は、これ以降、「暗黒の中世」と呼ばれる時代が終わりを迎える頃まで、長く閉ざされることになるのです。」
「アリストテレス没後から二〇〇〇年近くの時を経た一六世紀後半、合理的精神による〈見えない世界〉へのアプローチが再び始まります。」
「長く閉ざされいえた議論の扉を開けた人こそ、近代天文学の父と称されるガリレオ・ガリレイです。」
(…)
「時空は伸び縮みする----。アインシュタインは、ニュートンが万有引力として説明してきた現象が、時空のひずみによってもたらされる現象であるとの認識に至ります。「時空のひずみ」と一言で表現されていますが。我々はこれを目にすることもそれを観測することもできません。数学的な理論によって導き出される時空のひずみの数学的モデルだからです。」
「アインシュタインが、宇宙という時空における運動の正体を、リーマン幾何学を用いてモデル化することに成功するのと前後して。人類はこれまで足を踏み入れたことのない、もう一つの新たな〈見えない世界〉に足を踏み入れます。アインシュタインが明らかにした〈見えない世界〉が、宇宙規模のマクロな世界における〈見えない世界〉だとしたら、その新たに登場した〈見えない世界〉は、それまでの科学技術では決して捉えることのできなかった、極微とも言うべきミクロの世界における〈見えない世界〉です。」
「古典力学の常識が、ミクロの世界では通用しないというのです。そこで登場するのが、量子を主役としたミクロ世界におけるまったく新しい力学、量子力学です。」
「我々のいる宇宙がどういった宇宙であるかが、マクロの世界においてそしてミクロの世界においても明らかになればなるほど、科学者たちはある疑問を持たざるをえなくなります。その疑問とは「宇宙はなぜこのような宇宙なのか」という疑問です。宇宙のことが明らかになるということは、筆者の言葉でいえば、〈見える世界〉の奥に潜む〈見えない世界〉が数式などで記述できるようになるということです。それはすなわちこの宇宙の特性が、数字で示せるということです。
(…)
ではなぜ物理定数がそのような値でなければならないのか? その値に何か特別な意味があるのか? 科学者はそう考え始めたのです。「たまたまそうなのだ」という考え方もあるでしょう。しかし物理学者は「たまたま」という考え方は拒否します。それは神が決めたのだということと同じことで、思考がそこで停止するからです。何らかの理由があるからだと考える根拠も指摘されています。
じつは「たまたま」選ばれた数字の間に何らかの関係があったのです。」
「ミクロの世界の特性が、宇宙全体とうマクロな世界の特性を決めているということです。」
「ミクロとマクロ、その両方の〈見えない世界〉を記述化していくなかで得られた物理を支配する定数が、この宇宙の全体像を決めるものであるのだとしたら、我々はそれをどう捉えればよいのでしょうか。
そのことについて一九七四年、ブランドン・カーターはある論文を発表し、世の中の科学者をあっと言わせます。論文のタイトルは「大きな数のコインシデンスと宇宙論における人間原理」。「なぜ宇宙はこのような宇宙なのか」という問いに対してカーターは、人間という観測者の存在を問題を解く前提とすれば、答えは明らかだとしたのです。
(…)
「宇宙は(それゆえ宇宙の性質を決めている物理定数は)、ある時点で観測者を創造することを見込むような性質をもっていなければならない。デカルトをもじって言えば、「我思う。ゆえに世界はかくの如く存在する」のである」
〈見えない世界〉を見ようとする、人間という観測者を生むような宇宙であるという点に、この宇宙の存在理由があるのだということです。かつて人類が、科学の名のもとに追放した「人間中心主義」を、ここで復活させたのです。」
「人間圏は今、産業革命語のストック依存型人間圏の段階を経て、さらに新しい段階に突入しているように見えます。一般的にはネットワーク社会と言われます。この段階の人間圏の特徴はその構成要素が、国から個人に変化し始めたことです。それはこれまでの分化を続けてきた人間圏が、その分化という方向性を変え始めたということです。それは均質化に向かうということを意味します。均質化は構造を破壊します。すなわち新たな不安定性を人間圏の内部システムにもたらします。」
「人間圏のネットワークは成長を続けています。そのネットワークが最終的に意味を持つとすれば、それは秩序でなければなりません。しかし現代の人間圏にはまさに、その秩序が姿を表す直前の、臨界的な現象が現れていると考えられるのです。しかしその後に起こるのは相転移です。そのとき人間圏は、これまでとはまったく異なる様相を示すということになります。果たしてそれはどのような姿なのか。それはまだ誰にもわかりません。
ただしわかっていることが一つだけあります。それは、人間圏が大きな変容を遂げようとしている現在、最も重要なことは我々自身が人間圏をどのようにデザインしたいと考えるのか。それを明らかにすることです。爆発的に拡大する解明された〈見えない世界〉を体系化し、その中で人類存在の意味を問い、それをもとに未来を考えるということです。「我あれは何者なのか」ということを、解明された〈見えない世界〉に基づいて感上げたとき、我々はその答えを見つけることができる可能性があるのです。」
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