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『吟遊詩人の世界』/川瀬慈『エチオピア高原の吟遊詩人』

☆mediopos3599(2024.9.26)

前回のmediopos3598(2024.9.25)に続いて
『吟遊詩人の世界』から
その編集者でもある川瀬慈の
「エチオピア高原の吟遊詩人」をとりあげる

川瀬氏には同名の著書(2020年)があり
解説書のテキストはその著作から
一部改変されながら使われているように

川瀬氏はエチオピアで長年フィールドワークを行い
音楽を職能として生きる
吟遊詩人のコミュニティに入り込み
研究者と被調査者という図式を超えながら
その活動や生きざまを追ってきた
ここではその模様が紹介されている

エチオピアの北部には
弦楽器を奏でながら歌い踊る「アズマリ」
そして楽器をもたず早朝に家々の軒先で
合唱を行う「ラリベラ」とよばれる吟遊詩人集団がいて
古くからエチオピアの地域社会に
深く根をおろしながら活動してきた

アズマリは祝祭儀礼に欠かせない存在で
「馬の尾に束ね合わせた弦、
山羊の革を張った共鳴胴からなる楽器マシンコのメロディに
聴衆を誉めたたえる内容の歌をのせ、儀礼の進行を司る」

その「誉め歌」は
「歌いかける相手を誉め、もちあげ、楽しませる。
そしてシェレマットと呼ばれるチップを相手から受けとる」

またラリベラはまったく楽器を使わず
単独または男女のペアで
「早朝に家々の軒先で歌い、乞い、
家の者から金や食物、衣服等を受けとると、
その見返りとして人びとに祝詞(のりと)を与え、
次の家へと去っていく」

その活動は日本の芸能において
「人びとの家の玄関や軒先でなんらかの芸を見せ、
報酬を受ける芸能、および芸能者」である
「門付け」を思わせる

そうしたアズマリやラリベラのほかに
ツォムと呼ばれる
キリスト教エチオピア正教会の精進期間を中心に
教会や個人の邸宅で神に対する深い祈りとともに
「ヴェゲナ」という大型の竪琴が奏でられるが
これは生業として行われるのではなく
だれもがおこなうことのできる祈りである

またエチオピア北部の音楽には
「ゼマ」と「ゼファン」という対概念があり

ゼマとは神からの神聖な恩寵としての
正教会の賛美歌や儀礼音楽であり
ゼファンとは世俗の歌や踊りである

さて川瀬慈の専門は「映像人類学」であり
こうしたエチオピアの吟遊詩人たちや
エチオピア音楽文化の動態を
映像作家として立体的に伝えてくれる

『吟遊詩人の世界』では
「ウェゲナ演奏」「ラリベラによる門付け」
そして「アズマリと聴衆のやりとり」の映像

また川瀬慈のウェブサイトでは
その広範な活動記録のなかから
アズマリやラリベラの活動をテーマに記録した
映像作品を見ることができる

なお『吟遊詩人の世界』には
今福龍太「現代の批判者、吟遊詩人たちよ甦れ!」
というコラムが掲載されていて

「広義の吟遊詩人たちの現代的な変容と
新たな姿を再発見する必要」について示唆を加えている

それは「いまの私たちの「音楽」と「社会」の関係を
考える上でもきわめて重要」で

権威化したクラシック音楽と
その対極にある「資本主義のもと消費的な娯楽として
商品化してしまった大衆音楽」という
「両極化し、形骸化してしまった
「音楽」という制度を乗り越えて、
音楽の始まりの輝きと、慎ましい真実と、
その文化批評としてのあらたな可能性を
私たちは再発見しなければならない」という

「吟遊詩人」の世界は過ぎ去った過去のものではない
むしろあらたに変容したそれを
わたしたちは必要としている・・・

■国立民族学博物館 (監修)・川瀬慈 (編集)
 『吟遊詩人の世界』(河出書房新社 2024/9)
■川瀬慈『エチオピア高原の吟遊詩人』(音楽之友社 2020/10)

**(『吟遊詩人の世界』〜川瀬慈「第1章 エチオピア高原の吟遊詩人」より)

*「エチオピア北部には、弦楽器を奏でながら歌い踊るアズマリ、楽器をもちいずに、早朝に家々の軒先で合唱をおこなうラリベラとよばれる吟遊詩人集団がいる。この両者はパフォーマンスの形態は異なるものの、古くからエチオピアの地域社会に深く根をおろし活動をおこなってきた。」

・1 アズマリとラリベラ

*「エチオピア北部の祝祭儀礼にアズマリは欠かせない存在である。アズマリは、馬の尾に束ね合わせた弦、山羊の革を張った共鳴胴からなる楽器マシンコのメロディに、聴衆を誉めたたえる内容の歌をのせ、儀礼の進行を司る。」

「アズマリはいにしえより、多様な顔をもち、さまざまな社会的役割を担ってきた。ソロモン朝ゴンダール期(1632-1769)の封建体制が崩壊した後の群雄割拠の時代、アズマリは王侯貴族の保護下にあり、歌を通して主人を誉め、ねぎらい、ときには楽器をもって戦場に赴き、兵士たちを鼓舞するために歌ったといわれる。」

「社会主義のイデオロギーを掲げた軍事政権の時代は、政権のスローガンをエチオピアの諸民族の言葉で歌うアズマリがラジオに出演した。アズマリは権力者の庇護のもと、体制維持に貢献するために歌うとともに、ときには庶民の代弁者となって支配者に抵抗するための音楽活動をおこなってきたのである。」

*「一方のラリベラは、古くからどこからともなくやってくる謎の多い集団として地域社会のなかでは認識されてきた。当集団は、早朝に家々の軒先で歌い、乞い、家の者から金や食物、衣服等を受けとると、その見返りとして人びとに祝詞(のりと)を与え、次の家へと去っていく。

 エチオピア北部の社会では、当集団が歌を止めるとコマタ(・・・)という重い病気を患うと信じ、病への恐怖にかりたてられて歌いつづけるという言説が今日にいたるまで広く共有されている。」

「集団が主な活動範囲とするエチオピア北部において、他集団が彼らを指してもちいる呼称には大きな地域差がある。首都のアディスアベバを含むショワ地域においてもっとも一般的にもちいられる“ラリベラ”は、当集団を指す他称のなかでも、もっとも幅広く知られているものである。あるエチオピア人の言語学者によれば、アムハラ語名詞のレリトゥ(明け方)と動詞のベラ(食べる)が、この呼称の起源であり。それは、この歌い手たちが、明け方に歌い、物乞いをおこなうことに由来しているという。これに対して、アディスアベバで活動をおこなうラリベラの集団によれば、12世紀に台頭したラリベラ王に集団が従属的に仕えたことかた、彼らがこのなでよばれるようになったという。」

・2 誉め歌

*「エチオピアの吟遊詩人のパフォーマンスは、聴き手との豊かなやりとりのなかに生成しつづける営みである。誉め歌はとくに重要だ。歌いかける相手を誉め、もちあげ、楽しませる。そしてシェレマットと呼ばれるチップを相手から受けとるのである。たとえば、アズマリは歌いかける相手の特徴を題材にした誉め歌を歌う。」

・3 エチオピアの門付け芸

*「ラリベラの活動を観察していると。日本の芸能の脈絡においてよく聞く「門付け芸」を想起させる。門付けとは、人びとの家の玄関や軒先でなんらかの芸を見せ、報酬を受ける芸能、および芸能者のことである。」

「ラリベラは単独、もしくは男女のペアで早朝に家々の軒先で歌い、家の者から金や食物、衣服等を受けとると、その見返りとして人びとに祝詞を与える。ラリベラの活動は、人びとがまだ就寝中の明け方から正午にかけておこなわれる。ラリベラは、その活動において、一切楽器を用いない。

 男女二人によって歌唱がおこなわれる場合、まず男性が家人に金品を婉曲的に催促する内容のパラグラフを歌う。このパートはレチタティーヴォ、すなわち叙唱、朗唱に近い様式で、旋律の起伏が少ない。それに続いて女性が歌詞をもたない旋律のパートを歌い上げ、男性、女性のパートが交互に繰り返され、聴き手に施しをせまっていく。金品や衣服、食べ残しの食物を受けとった後、ラリベラはそれらを渡した人物に対して「イグザベリ・イスタリン(神があなたに恵みを与えますように)」という特定のフレーズから始まる祝詞を贈る。ラリベラの声量は大きく、近くで聴いていると耳をふさぎたくなることもある。

 ラリベラはしたたかである。しばしば歌いかける相手に関する情報を近所の住人から聞き出し、歌詞のなかにとりこんでいく。これらの情報には、歌いかける相手の名前のほか、宗教、職業、家族構成等が含まれる。それらの歌詞は聴き手の気分を高揚させ、聴き手を施しへとかりたてるのである。」

・4 聖なる祈りの楽器ヴェゲナ

*「ヴェゲナはエチオピア北部の主にアムハラの人たちの社会に広くみられる大型の竪琴である。楽器のサイズについては、小型のもので1メートル、より大きなタイプは1.6メートルにおよぶ。エチオピアの代表的な宗教であるキリスト教エチオピア正教会のツォムと呼ばれる精進期間を中心に、教会や個人の邸宅において神に対する深い祈りとともに奏でられる。

 血縁や地縁を紐帯とするアズマリやラリベラの音楽職能とは異なり、ヴェゲナの演奏は、だれもがおこなうことができる。ただし、ヴェゲナの演奏のみを生業とする職能者は存在しない。

 ヴェゲナに関しては数々の言い伝えが残されている。その起源については、死の床に瀕した聖母マリアの苦しみを和らげるために神から遣わされた天使ダーウィットが奏でた楽器、という以下の話が有名だ。

  エズラはマシンコ ダーウィットはヴェゲナを演奏した

  彼女は自分が死ぬことすら感じずに
  安らかに息をひきとった

 以上の逸話のなかの天使エズラは、アズマリの始祖といわれる。また、10本の弦はモーセの十戒をあらわすとされる。ヴェゲナの演奏は、弦の音色にのせて、聖書のなかの逸話や、世の無常に関して切々とつぶやくように弾き語る。」

*「エチオピア北部の音楽については、ゼマとゼファンという対概念が存在する。ゼマは、6世紀に正教会の聖職者ヤレードが、3羽の小鳥の声から霊的な啓示を受け、憑かれたように作曲した正教会の賛美歌や儀礼音楽を指す。それらは神からの神聖な恩寵であるとされる。

 対するゼファンは世俗の歌や踊りを指す。ヴェゲナはゼマに属するため、その歌と演奏は、神を讃える行為、もしくは神への祈りであると認識されている。」

**(『吟遊詩人の世界』〜
   コラム4 今福龍太「現代の批判者、吟遊詩人たちよ甦れ!」より)

*「文学と音楽がいまだ分化しない豊かな口承文化が息づく世界では、詩人=歌い手たちは、近代的な意味での個人としてではなく、民衆の声を受け止める集合的な人格として存在することで、揺るぎない文化的意味を与えられてきた。古代ギリシャの吟遊詩人〈アオイドス〉とは、民衆に神話や叙事的物語を口承で媒介する集合的な職業人のことを指した。『イリアス』や『オデュッセイア』の成立も、一人の作者ホメロスに帰せられないことはすでに定説となっており、このような叙事詩の成立の背景には「ホメロス語り」と呼ばれる無名のアオイドスたちの集合的な「声」が存在したのである。「歌」=「詩」は、無数の吟遊詩人たちによる集団的な実践として始まった。

 世界中に広く存在する吟遊詩人の伝統の起源は一つではなかった。古代ギリシャのアオイドスから、中世フランスのジョングルールやトロバドゥールにいたる西欧の古典的吟遊詩人の根強い伝統も、中国やインドの芸術も摂取していたイスラームの詩歌の伝統をもってアラブ商人たちが東西に移動した中世期の、異種混淆した地中海世界の産物だった。西欧キリスト教世界の周縁であるアイルランドや北欧には、異教的なケルトやノルマン古代神話と地つづきになった物語や伝説を朗誦する土地土地の無名詩人たちがいて、これらの詩や音楽の源流となった。そしてアフリカやオセアニア、アメリカ先住民世界など、非西欧の部族社会の語り部たちもまた、歌と楽器によって彼らの神話や歴史を語り伝える固有の流儀を古くから独自に創造してきたのだった。バラッドは人類にとって水のような必需品だった。」

*「私はいま、広義の吟遊詩人たちの現代的な変容と新たな姿を再発見する必要を強く感じている。それは、いまの私たちの「音楽」と「社会」の関係を考える上でもきわめて重要である。クラシック音楽が一方で権威化し、その対極に資本主義のもと消費的な娯楽として商品化してしまった大衆音楽がある。この両極化し、形骸化してしまった「音楽」という制度を乗り越えて、音楽の始まりの輝きと、慎ましい真実と、その文化批評としてのあらたな可能性を私たちは再発見しなければならないのである。

 バラッドがバラッドであるための要諦。それは第一に「移動性・放浪性」。第二に、それがもっぱら文字ではなく「声」(=口承)による実践であること。第三に、それがセンチメンタリズムをきっぱりと排した「叙事的」な物語の伝達であること。そして最後に、それが「社会批評的・風刺的」なメッセージ性を強くもっていることである。この四つの条件は、一つも欠けることなく、古い吟遊詩人たちからその現代的ヴァージョンに至るまで、彼ら、彼女らの音楽的実践の核心を形成しつづけている。」

*「口承文化のエピックで即興的な探求。現代社会にむけてあらたな風刺的、遊戯的知性の復権を宣言すること、生身の「声」を導き手にしたこの徹底的にアクースティックな探求は、文明社会の文字とテクノロジーによる知識の集積を根源的に解体する、あらたな学び直しへと導かれていくだろう。」

◎ウェゲナ演奏
 撮影:川瀬慈/2023年収録

◎ラリベラによる門付け
 撮影:川瀬慈/2023年収録

◎アズマリと聴衆のやりとり
 撮影:川瀬慈/2023、2022年収録

◎川瀬慈ウェブサイト

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アズマリ、ラリベラの活動をテーマに記録した
多数の映像作品がみられます

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