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吉住 義之助 (監修)・小野 桂之介 (著) 『都々逸っていいなあ』/中道 風迅洞  『【26字詩】どどいつ入門』

☆mediopos-2539  2021.10.29

なぜだかわからないけれど
小さいころから
小唄や端唄を口ずさんでいたりした

粋で色っぽい詩と響きが
子どもの頃にイメージできていたとは思えないが
そうした詩と響きからは
言語形成において
それなりに影響を受けているはずで
西洋的な耳とはかなり異なった耳も
育ててくれているように感じられる

さて都々逸である

「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」
というのは有名な都々逸だけれど
これを都々逸として受け取っている人は
いまでは少なくなっているだろう

日本語の短詩には
「五七五七七」の短歌・狂歌
「五七五」の俳句や・川柳があるが
都々逸は「七七七五」である

歌をつくる人は歌人
俳句をつくる人は俳人だが
都々逸をつくる人をあらわす言葉はないそうだ

そのことからもわかるように
現代では都々逸はほとんどなくなりかけているようだ
「五七五七七」が短歌で
「五七五」が俳句であることは誰でも知っているが
「七七七五」が都々逸であることはあまり知られていない

民謡の詩の多くが
「七七七五」が基本形となっているように
都々逸は神戸節や潮来節からよしこの節を経て
生まれたという説があるそうだが
もともと「三味線の伴奏に乗せて唄う」という
特徴をもっていたのは
実際に唄うという要素があったからのようだ

あらためて考えてみると
「五七五七七」「五七五」は言葉として詠まれ
「七七七五」は唄として唄われてきたが
その違いには日本語のもつリズムと
それが発揮しやすい表現形式と文化背景があるのだろう

さて引用の最後に
明治時代に黒岩涙香が
当時の都々逸の投句者に与えたという
「俚謡手引」を紹介しているが
その手引きは都々逸がよく表現されている
(「俚謡」というのが都々逸のこと)

「和歌はみやびよ俳句は味よ わけて俚謡は心意気
 欲を云ふなら情の艶に   時の匂ひを持たせたい
 木にも石にも情をこめて  つやを出しやこそ歌になる」

■吉住 義之助 (監修)・小野 桂之介 (著)
 『都々逸っていいなあ』
 (KADOKAWA 2021/10)
■中道 風迅洞
 『【26字詩】どどいつ入門/古典都々逸から現代どどいつまで』
 (徳間書店 1986/10)

(小野 桂之介『都々逸っていいなあ』より)

「都々逸の起源については、名古屋の神戸(ごうど)町(現熱田区)の民謡神戸節が起源という説や、茨城県潮来地方の潮来節からよしこの節を経て都々逸が生まれたという説など諸説ある。いずれにしても、ローカルな民謡を母体にして生まれたものであること、それを江戸後期の寄席芸人都々逸扇歌(せんか)が多くの人の口ずさむところで広めたということはまちがいなさそうである。
 扇歌は、現在の茨城県常陸太田市に生まれ、江戸に出て芸人となり、自ら都々逸坊と名乗って都々逸を唄った。美声に加えて優れた三味線の腕を持ち、頓智の利いた即興の歌で客を魅了し、高座や酒席で大いに人気を博したと伝えられている。その名跡は七代まで受け継がれたが、昭和六十年に七代目扇歌が没した後は継ぐ人はいないままになっている。扇歌の終焉の地茨城県石岡市には、扇歌の墓碑、歌碑、扇歌の功績を記念する都々逸一坊扇歌堂などがある。
 都々逸が寄席の講座から酒席とりわけ花柳界で広まったことから、内容的にもいわゆる四畳半的な色ごとを題材として作られることが多く、そうした隠微なイメージがつきまということになった。それにはそれなりの捨てがたい魅力があるが、それだけにとどまっていては水の淀みと一緒で進歩がない。もっと幅広く日常生活を詠むと共に、三味線の音と離れても味わえる短型詩として再開発しようという文芸運動が大正から昭和初期にかけて興った。こうした文芸運動は、俗体詩、情歌、俚詠、街歌などの名称で展開されたが、交流を通じて相互の差は薄まり、現代都々逸という幅広い枠組みのなかでゆるやかに統合されてきている。
 その後、ラジオ番組や新聞雑誌の文芸欄などで多くの人々を楽しませた時期もあったが、社会がめまぐるしく変わるなか、以前からの色恋ものも含め都々逸を作る人や唄う人が少なくなってきている。」

「よく知られるように、短歌や狂歌の基本詩型は「五七五七七」、俳句や川柳のそれは「五七五」。ぉこれに対して、都々逸は「七七七五」を基本詩型としている。これは、都々逸がもともと民謡からうまれたことの証左と言ってもいい。全国各地の民謡の詩の多くはこの「七七七五」を基本詩型としている。」
「民謡から生まれた都々逸は、他の多くの民謡と同様、もともとは「三味線の伴奏に乗せて唄う」という特徴を持っている。これは、創作された作品を「文字に書かれた詩として味わう」だけの短歌・狂歌や俳句・川柳などと大きく異なる特徴である。(・・・)
 その一方で、都々逸は、多くの民謡とも異なった特徴を備えている。全国各地の民謡の多くが、伝統的に唄い継がれてきた古典的な歌詞を皆が覚えて歌うのに対し、都々逸は、日々新しい詩を創作し続けていく点である。これは、都々逸の母体となったのではないかと言われている神戸節、よしこの節やさらにその源流といわれる潮来節などが即興詩で唄う特徴を持っていたことに由来するものと考えられる。もちろん、そうした新作の積み上げの中から名作と言われる〝いい文句〟が後世まで唄い継がれていくということはあるが、都々逸の基本は、絶えず新しい歌を作り続けていくことにある。」

「広く知られているように、短歌や狂歌は一首、二首というように「首」で数え、俳句や川柳は一句、二句というように「句」で数える。都々逸の数え方については全国的に統一されているとは言いがたいが、筆者の所属するしぐれ吟社では、一章、二章というように「章」で数えている。また、作品そのものは短歌や狂歌と同様に「歌」と呼ばれる。」

「若い頃から集めた古典的な名文句、所属するしぐれ吟社の先輩・仲間たちの秀作を並べてみると、その内容からざっくり四つのジャンル「色恋もの」「ユーモアもの」「含蓄もの」日常生活描写もの」に分類できる。」

「色恋もの」
「夢に見るよじゃ掘れよがうすい 心底惚れたら眠られぬ 詠み人知らず
 人の恋路を邪魔するやつは 窓の月さえ憎らしい」

「ユーモアもの」
「別れの汐どき彼女が浮気 ありたがいけど許せない 牧人
 嬶(かかあ)天下と威張っちゃいるが たかが家来は俺一人 紫蘭」

「含蓄もの」
「白だ黒だとけんかはおよし 白という字も墨で書く 詠み人知らず
 堅い決意と男の意地は 握り拳の中に有る 健二」

「日常生活描写もの」
「願い忘れた一つがあって も一度上った女坂 牧亮
 ふらり立ち寄りため息ひとつ 置いて帰れる店がある 笑子」

(中道 風迅洞『どどいつ入門』より)

「歌をつくる人を歌人といい、俳句作家を俳人という。私は永年「どどいつ」をつくり、その選者をつとめているが、だれも「ど人」とは言わない。創作二十六字詩(七七七五)、すなわち現代どどいつの作者を端的に言あらわす言葉がないのである。」

「フランスの詩人ポール・クローデルが、一九四五年(昭和二十年)、パリのガリマール出版から『DODOITZU』という訳詩集を出したことを知る人は少ない。
 同じくフランスの詩人ジョルジュ・ボノーが著した『日本の韻律』には、短詩、俳句、現代詩に先んじて、その第一部に「どどいつ−−−−二十六字詩」が語られていることをご存じだろうか。」

「この小著が語ろうとしている「どどいつ」なるものは、その作者に対する社会的な呼称も定まらず、戸籍の名前もあやふやで、いわば氏素性もはっきりしない日陰の花(こういう言葉も古くなった)の伝記を書くに似たむずかしさ、不正確さがあるということ、これがまず第一点である。」
「その二は、江戸時代の古版本はもとより、昭和に入ってからでも戦前戦後からごく最近までのどどいつ関係(どどいつという呼び名を使わないものも含めて)の刊行物、雑誌のたぐいが手に入りにくく、少数の関係者個人や好事家の私蔵するものをのぞいては、もはた古書店でもその書冊を見ることが困難になりつつある。」
「その三は私自身の門下初心者や、ラジオを通じて私の選評を聴いてくださる方々への「手引き書」の役目である。」
「その四は、どどいつの故事来歴はどうでもいいが、面白いどどいつの文句だけを知りたいという向きにも、古今の詞章の出ているところを拾って読んでいただければ、「本音の歌」「未練の詩」としての二十六文字詩が、文字どおり今日に生きていることがわかっていただけるように編んだつもりである。」

「明示以降の創作都々逸を語るとき、記憶にとどめておきたいのは、団珍(まるちん)こと『團團珍聞(まるまるちんぷん)』と、『萬朝報』が募集した「俚詠正調」である。
これらは、都々逸がひとつの短詩型文芸として、必ずしも香り高い光彩を放ったということではないが(・・・)、それまでほとんどよみ人知らずの拾遺集しかなかった時代に、はじめて定期刊行物が創作どどいつを載せ、とにもかくにも〝自分の歌〟をうたう〈作詞する〉ことを推し進めた点に注目すべきであると思うのである。」

「選者の即吟十首という、涙香作の「俚謡手引」は、当時の投句者に与えたものかと思うが、今日の俚謡、どどいつ、二十六字詩の作家にとっても平易ですぐれた心得の歌になっているので掲げさせていただく。

 歌は何う読む心の糸を   声と言葉で綾に織る
 歌の中でも俚謡の歌は   口に謡へにや歌じや無い
 口に謡ふて調子にのせて  人を動かす歌が歌
 歌の力にや鬼神も泣くと  流石貫之よく言ふた
 和歌はみやびよ俳句は味よ わけて俚謡は心意気
 欲を云ふなら情の艶に   時の匂ひを持たせたい
 木にも石にも情をこめて  つやを出しやこそ歌になる
 歌は皆まで云はぬが花よ  絵でもぼかさにや絵にならぬ
 言葉やさしく姿ははでに  かくな心を丸くよめ
 遊びましよぞ小唄の園に  睦みむつみて末永く」


◎【都々逸】立てば芍薬 // 弾き唄い 松浪千壽
「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」
https://www.youtube.com/watch?v=qQRng8Mst4E

◎「都々逸」美空ひばり / 古賀政男(三味線)
「腹の立つときや 茶碗で酒を 酒は涙かため息か」
https://www.youtube.com/watch?v=6shhlj-j1No

◎【端唄】奴さん // 三味線・唄  松浪千壽
「えぇ~ 奴さん どちらへ行く(アーリャコリャコリャ)
 旦那を お迎えに さっても寒いのに 共ぞろい
 雪の降る日も 風の夜も サテお供はつらいネ」
https://www.youtube.com/watch?v=ipkd5f1QpTc


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