佐藤文隆『量子力学の100年』/『西田幾多郎講演集』
☆mediopos3672(2024.12.8.)
一九二〇年代に現在の量子力学の礎となる成果が
ド・ブロイ/ボーア/ハイゼンベルク/
シュレーディンガー/ディラックなどにより次々と発表され
一九二六年にはボーアによる
「コペンハーゲン解釈」が生まれるが
二〇二五年に量子力学が一〇〇年を迎えるにあたり
ユネスコは量子力学一〇〇年を記念する取り組みIYQ2025
「International Year of Quantum Science and Technology」
を行うことを決議している
その際の専門分野名は
「物理学、化学、物質科学、生物学、
情報科学に及ぶ量子サイエンスとテクノロジー」
となっており
「量子力学はいまや様々な分野で活躍している
量子科学・技術に成長した」ことをうたっているが
その宣言文にあるのは
「量子科学と技術(Scienece and Technology)」
量子力学や量子物理学とされてはいない
科学と技術であって
量子に関する認識を深めるための営為ではないようだ
おなじく量子力学一〇〇年を見越して
二〇二三年に、Oxfod University Presから
『量子解釈歴史のハンドブック』
と題された大部の論文集が発行されているが
その本の最初のFranck Laloëによる論文は
「量子力学は実験室でルーティンに使われて
大成功しているが、その解釈の合意はまだないままである」
という奇妙なタイトルをもっている
「合意がなくても実験室では支障がない」というのである
佐藤文隆『量子力学の100年』は
その「欠けている合意」をめぐる「思索の遍歴」であって
「「合意」出来るものに改良、改造しようという
物理理論の試みではない」としている
その「合意」のための試みは
一九五〇年代から七〇年代にかけて行われたものの
現在ではそうした試みはなされなくなっているようだ
佐藤文隆は「欠けている合意」とは
「科学とは何をすることか?」という問いであり
「科学における人間の位置」をめぐる「合意」のなさではないか
そう考え
「人間の諸活動の中で科学という社会的営みを
位置づける人文学的、社会的課題、科学論の課題」として
量子力学をとらえようとしているのである
さて量子力学といえば
それを象徴してきたのがシュレディンガーの「ネコ」だったが
今回の国際量子科学技術年IYQ2025にあたっては
量子「もつれ(entanglement)」を象徴する図柄が描かれている
「ネコ」は認識論の象徴であるのに対し
「もつれ」は量子技術を象徴している
「旧量子」から「新量子」へである
上記にもふれたがIYQ2025は
「量子科学と技術」の進歩をうたうものであって
量子に関する認識が問題となってはないようだ
つまり「新量子が示唆するのは、
扱う存在は自然そのものでなく、あくまでも
人間が仕掛けた装置にかかった情報データ」なのである
量子に関する認識の源にあるのは
古典物理学におけるような素朴実在論ではなく
従来の「外界」がなくなったという
「ボーアの論点」を核とした「コペンハーゲン解釈」である
つまり観測抜きの外界を認めないということ
西田幾多郎はボーアの来日のころ
一九三七年に「歴史的身体」と題する講演を行い
「今の物理学は昔の物理学のように
外界を認めない」ようになっていると示唆している
「此処に物が在る、この物を観測するのには
この物に何か変化を与えなくては観測できない。」
西田は当時すでにそう示唆しているのだが
そうした「量子力学によってもたらされた
認識論や存在論の哲学的位置付けと、
この量子力学を駆使して物質界の解明と制御の技術を
開発してきた多くの物理学者の心情的世界観あいだに、
共通理解を構築する対話が放置されてきた」
放置されてきたのは
「物理学や科学の研究界の圧倒的な知的パワー及び
社会的パワーに対抗できる哲学的考察の集団が不在だから」
だという
現代はお金と力を背景に
科学と技術が密接にリンクされ
技術化の前で認識は必要とされなくなってしまっている
かつて量子力学誕生の時代にあたっては
「西田の新刊哲学書発売日に若者は徹夜で書店に並んだ」が
「現在では、それが新型iPhone発売日の行列に変容」しているように
しかし科学は「人間がいてもいなくても変わらない」ような
自然法則の探求ではない
まさに「観測抜きの外界」は存在しない
佐藤文隆は本書の最後にこう記している
「 二〇二四年早春
「新しい戦前」がなぜか実感となる空気を感じながら」
戦争は人間が起こす
戦争兵器は人間がつくる
そして兵器は科学と技術が作り
そこには人間がいる
私たちが新しい「戦争」を
「観測」しなくてもすみますように・・・
■佐藤文隆『量子力学の100年』(青土社 2024/3)
■『西田幾多郎講演集』 (田中裕編 岩波文庫 2020/6)
田中 裕 (編集)
**(佐藤文隆『量子力学の100年』〜「はじめに」より)
・量子力学一〇〇年————IYQ2025
*「二〇二三年六月、国連総会はユネスコの提案で二〇二五年に量子力学百年を記念する取り組み、International Year of Quantum Science and Technologyを早々と決議した。この宣言文で注意すべきが「量子科学と技術(Scienece and Technology)」であって量子力学や量子物理学でないことであろう。専門分野名も「物理学、化学、物質科学、生物学、情報科学に及ぶ量子サイエンスとテクノロジー」となっている。知識の革新をもたらした事例として「太陽はなぜ輝くか、磁石はどう働くか、化学結合で原子はどう動くか、宇宙での銀河分布のパターン」を挙げ、技術としてはエレクトロニクスでのトランジスター、グロバルな情報通信を支えるレーザー、照明に革新をもたらしたLED」とし、国連の唱える「SDGs」に関連させ、最後に「次世代の教育」を強調している。一〇〇年前に誕生した量子力学はいまや様々な分野で活躍している量子科学・技術に成長したという進歩をハイライトしているのである。
おなじく量子力学一〇〇年を見越してのことであろうが、二〇二三年に、Oxfod University Presから『量子解釈歴史のハンドブック(The Oxford of the History of Interpretataions)』と題した五一編の論文からなる一三一二ページ、厚さが六センチもある、今どき珍しい大部な本が発行された。そしてこの本の最初の論文がFranck Laloëによる「量子力学は実験室でルーティンに使われて大成功しているが、その解釈の合意はまだないままである(Quantum Mechanics is Routinely Used in Laboratories Great Success,but No Consensus on its Interpretation has Emerged)」という奇妙なタイトルなのである。「合意がなくても実験室では支障がない」とは「社会で揉めているが、お客様には迷惑はかけません」的な、本家の物理学内では何かドロドロした揉めごとを抱えている雰囲気である。祝祭気分満載の国連決議とは違う楽屋裏的な内情も見え隠れする。「物理学、化学、物質科学、生物学、情報科学に及ぶサイエンスとテクノロジー」の全分野勢揃いで一〇〇周年の式典が始まろうとしているのに、創業家の物理学で「欠けている合意」とは何なのか? 確かに気になることだが、「合意がなくても実験室では支障がない」ことなので気にならない人は敢えて深入りしない方がいいかもしれない。
本書はこの「欠けている合意」が気になったいち定年教授の思索の遍歴である。もっともいまの量子力学を「合意」出来るものに改良、改造しようという物理理論の試みではない。一九五〇年代から七〇年代にかけてそのような試みが理論物理の研究として行われたが成功しなかった。この歴史も踏まえて、私は「欠けている合意」とは「科学とは何をすることか?」、あるいは「科学における人間の位置」をめぐる「合意」のなさではないかと考えるようになった。そのため、数式をいじくるような物理学研究の話ではなく、人間の諸活動の中で科学という社会的営みを位置づける人文学的、社会的課題、科学論の課題でもあると考えるようになった。漠然としたもので系統だったものではないが随筆風に想起する論点を『現代思想』誌上の連載で披露させて頂いた次第である。本書はそれらに加筆して上梓したものである。」
・旧量子から新量子へ————「ネコ」から「もつれ」へ
*「国連決議の「記念年」には必ず洒落たロゴマークが作られている。国際量子科学技術年IYQ2025のロゴマークは紐が絡み合った様子を描いたもので、量子「もつれ(entanglement)」を象徴する図柄である。量子力学の図柄としてながく世間に広まっているシュレディンガーの「ネコ」ではない点は注意を引く。敢えて定番の「ネコ」でなく「旧量子から新量子へ」の発展を表現する量子「もつれ」を持ってきたと思われる。ある意味で「ネコ」は認識論の象徴であり、「もつれ」は量子技術の象徴である。実は「ネコ」はアインシュタイン等の「量子もつれなどありえない」というEPR論文に刺激されてシュレーディンガーが「ネコ」論議を登場させたものだった。だが実験の結果はアインシュタインらの考察を裏切って「もつれ」は事実であったのである。二〇二二年のノーベル物理学賞はこの実験を顕彰したものである。このアインシュタインをも誤らせた「不思議」を使う進展として、量子コンピュータや量子暗号といった「新量子」の技術の時代が始まろうとしているのである。」
・百家争鳴の果てに
*「『量子力学の100年』と銘打っているが、本書は国連決議が称揚するような量子科学の成果を記述したものではない。そうではなく、量子力学のスタート時に、物理学の巨匠アインシュタインとボーアが意見を違えたという歴史の烙印の結末に関わっている。論争は未決着だったが、第二次世界大戦を挟んで、この論争を放置しても、すなわち論争点に「合意がなくても実験室では支障がない」ことに気づかされた。ボーアが提示した量子力学は二つの異なった科学論から成るという相補性原理やこの数理理論をどう使うかのコペンハーゲン解釈は深く考えると矛盾に満ちており、一時凌ぎのマニュアルに過ぎないとの見方もあった。しかし百家争鳴の果てに見えてきたのは、ボーアは正鵠を得ていたことである。プランクの作用量子は自然構造だとしても、合意の欠けている確率解釈の部分は認識の手法として人間が編み出した情報理論だという二重構造である。物理学は何を目指すのかに関わって「合意がない」のである。本書はそこに焦点を合わせたいくつかの省察のアンソロジーである。量子一〇〇年は一九世紀に姿を表したサイエンスという社会的営みに新たな意味を充填していくものと考える。」
**(佐藤文隆『量子力学の100年』〜「第1章 新「量子」の意味を問う」より)
・情報技術への既視感
*「量子力学の専門家である理工系の大方の人は「なぜ今ごろ「新たな文明の萌芽」のモチーフとして「量子」が登場するのか理解できない」という感じだろう。「二〇世紀後半こそ量子の時代であったのだ」と。確かにこの旧量子は強力で興奮ものだったが、もう使い込まれて手垢のついたコモディティじゃないか、と。もし近年の新量子フィーバーが、ある技術革新が新たな産業政策の一つに昇格したという話題に過ぎないなら、社会的にはこれ以上情報技術が進んでどうなる?という課題に転化するだろう。いまやSNS炎上のように便利すぎる情報機器に振り回される社会が出現し、AIが進化して出生前診断書が可能になっても人々に新たな苦悩を生む未来が見えてくると、色褪せた「夢の原子力」や「夢のプラスチック」に似た既視感さえ漂う昨今である。と同時に社会生活でも研究現場でも旧量子のコモディティ化によって、もう「トンネル効果」に興奮する科学少年はいないように、新技術のコモディティ化は、思考の枠組みの訓致化を伴い、精神世界を確実に改造することに気付かされる。」
*「新量子が示唆するのは、扱う存在は自然そのものでなく、あくまでも人間が仕掛けた装置にかかった情報データに過ぎないという見方である。これは古典物理にも環流する。ニュートン力学は弾丸という自然の理論ではなく、弾丸に関する人間の関心に由来する情報を扱う理論となる。それはあたかもニュートン力学を世論調査のデータサイエンスのイメージに近づけ、科学者を「聖なる職業」から引き下ろすものである。これは、かつての「新語「サイエンティスト」への抵抗」の再現となるかもしれない。」
**(佐藤文隆『量子力学の100年』〜「第3章 存在の「非局所性」と量子情報」より)
・素朴実在論の危機
*「自然探求は潜んでいる実在を発見するイメージで語られる。物理学でのミクロの世界の場合には感覚的イメージを超越したものだが、探求の情熱を掻き立てるものである。科学では、動機が誤った憶測や予見によるものでも、多くの実証を踏まえることで真理に至る。こういう動機的実在論とでもいうべき素朴実在論が研究現場での日常の哲学といってよいだろう。
素朴実在論を守る「踏み絵」は次のようなものである。
1 観測者と観測者が持つ知識とは無関係に実在がある
2 測定(観測)の概念が理論において基本の役割を果たさない
3 理論は、集団だけでなく、個々のシステムを記述できる
4 周辺外部から孤立した存在を想定できる
5 孤立したシステムに作用しても、そこから離れたものに影響はない
6 客観的確率が存在する
ところが。半導体テクノロジーで発展したレーザーやハイテク機器による一九九〇年代以降の種々の量子力学実験によって、これらの「踏み絵」は次々と踏み破られている。」
**(佐藤文隆『量子力学の100年』〜「第9章 量子力学が哲学だった時代」より)
・西田幾多郎講演「歴史的身体」
*「これまでの一般の考え方は世界の根底をあるいは精神と考えあるいは物質と考えて来た、普通の人々は世界の根底は物質であると考える。それにはもっともな理由がある。誰が考えても我々が考える前に世界がある。人間の前に動物の世界があり、動物の世界の前に物質の世界がある。歴史的世界は物質の世界から段々発展して来たと言うのは今日の科学から考えて極めてもっともな考えである。しかしこの頃物理学がまた進んで来て、量子力学というものが出て来た。先頃四、五月頃であったか日本へ来たデンマークのボーアという人などはこの量子力学の首脳のようになっている人である。今の物理学は昔の物理学のように外界を認めない。主観的な我々の精神というものを考えれば、それに対して外界というものは精神と関係の無いいわゆる外界となる。今日までの物理学の考えに依ると、人間がいてもいなくても、つまり主観が有っても無くても客観が在るのである。光なら光というものがエーテルの振動であると昔は言った。物理学者がそういう実験をしてもしなくてもエーテルの振動というものはちゃんと在る。つまり観測者(observer)が物を実験するとか観察するとかいうことの有る無しに拘わらず、物理学の法則に支配される物質の世界は在る、とニュートン頃までの物理学者は考えたのである。それを今では、量子力学に対して古典的物理学と言っている。今日の物理学者からは古典的物理学は捨てられたようなものになっている」
・量子力学とボーアの来日
*「この引用文は西田幾多郎が一九三七年夏頃に行った「歴史的身体」と題する講演記録の一節である。一九二五年版量子力学の登場によって「今の物理学は昔の物理学のように外界を認めない」ようになり、従来の「古典的物理学は捨てられたようなものになっている」との最新物理学の動向を引き合いに出して、「歴史的身体」という自説に前振りをしているのである。」
・「働きかけなければ働いて来ない」
*「西田の講演はこの後に量子力学登場で起こった新思考の内容についても軽く触れている。「一寸横道にはいるが、それはどういうことであるかと言うと、此処に物が在る、この物を観測するのにはこの物に何か変化を与えなくては観測できない。此方から働きかけなくてはそれが働いて来ない。此方から働きかけなければ働いて来ないからその物がどんな物であるかわからない。この物(水入れ)が硬いか柔らかいかは働いてみなくてはわからない。観測するにはこの物に何か衝動を与え動かさなければならない。その動いたところからその物を知るのである」。ここは一九二七年のハイゼンベルクの「ガンマ線顕微鏡」による不確定性関係の直感的説明で得た知識と推測される。観測という「働きかけ」の擾乱によって観測しようとしていた「外界」は消えてしまうというハイゼンベルクの思考実験は大変説得性があり、量子力学の不可知論的なイメージを広めたものである。しかしこれは不確定性関係の十全な説明としては正しくなく、現在では観測の擾乱による効果を入れた小澤の不確定性関係は別に得られている。それは細かいことで、西田にとって大事なのは「これまでの物理学というものは、我々が観測しなくてもその物は在ったのだと言っている。天体の観測をやるのに此方で観測したことに依って天体が大きくなったり小さくなったりするようなことは無い。星は星として在って、観測したた大きくなるとか小さくなるとかいうことはない。観測に依って星そのものが変わるということはなく一定の進行を続けていると考えていた。しかし今日では物理学が進んできて量子力学などのように精密になって」きたとして、「働きかけなければ働いて来ない」身体論に繋げようというわけである。」
・ボーア・アインシュタイン論争の核心
*「この物理学で従来の「外界」がなくなったという「ボーアの論点」こそアインシュタインは難色を示したいわゆる「ボーア・アインシュタイン論争」の核心であり。西田はこの物理学の大転換を正確にとらえている。この「論点」を核にした一九二五年版量子力学数理の物理学的解釈のセットが「コペンハーゲン解釈」である。」
・緻密な内的整合性と混乱極みの外観
*「「物理学は外界を認めない」とか「自然科学は外界を認めない」とか、「外界」の不在を無限定に一般化することには慎重であるべきだが、そうは言っても、我々が現在手にしている物理理論が観測抜きの外界を認めないということは明らかである。この理論は少なくとも「外界」の存在を自明のものとしていた古典物理学の見方を否定している。」
「現在でも「恥じらい」の実在論者である多くの物理学者もこの「論点」についてはボーアを受け入れ難くアインシュタインに与する人が多いともいえる。そのために玄人には驚くほど緻密な整合性をもつ理論ではあるが、素人からの知的質問に対する対応は一〇〇年間あいも変わらず混乱の極みの「量子力学の不思議」が放置されたままなのである。」
・対抗する哲学の不在
*「ここに量子力学によってもたらされた認識論や存在論の哲学的位置付けと、この量子力学を駆使して物質界の解明と制御の技術を開発してきた多くの物理学者の心情的世界観あいだに、共通理解を構築する対話が放置されてきた現実に気付かされるのである。「放置される」のは物理学や科学の研究界の圧倒的な知的パワー及び社会的パワーに対抗できる哲学的考察の集団が不在だからである、あるいは弱体であることであろう。また科学界の方からはその必要性を全く感じないし、世紀末の「サイエンス・ウォー」のように、文系的な外部からの関心を敵視する一部勢力も存在するということである。
このような知的世界の光景に慣れてしまって久しい現時点からすると、一九二七年ごろにボーアが物理学の従来の考えの困難を「思想で乗り切った量子力学誕生劇」は遙か昔のセピア調の光量に映る。そしてまた、この一件は学問、思想、文化、教育といった知的世界に起こった激変を印象付けるものである。日本でもその時代、西田の新刊哲学書発売日に若者は徹夜で書店に並んだというが、現在では、それが新型iPhone発売日の行列に変容した現実を想起させる。」
**(佐藤文隆『量子力学の100年』〜「第12章 量子力学に見る科学と鑑賞」より)
・社会的責任の回避の没頭主義
*「科学は人類の知的活動の中では別格だとお墨付きを与えたのが唯物論思想であったことなど意識させない時代になっている。こうなると「メカニズム」の徒に堕ちることへの抵抗からか、むしろ人間界を超越した存在と人間の聖なる媒介者であると自らを想定する意識が高まる。したがってこの「聖性」を弁えない外部からの科学批評や「もてはやし」などは生理的に忌避するのである。それは史的唯物論による社会発展の法則の操縦者と自認する前衛党が外部からの批評を厳しく拒否するのに似ている。論理的には奇妙でもこれが広がるのは、科学者にとって社会的に心地よいものだからである。社会的というよりもミーハー的に心地よい職業だからである。これがポスト・「サイエンス・ウォー」の時代の後に広がった風景なような気がする。しかしこの安穏な状況を揺さぶるかもしれないのが新量子が描く科学の姿である。科学は「人間がいてもいなくても変わらない」自然法則の探求ではないのである。」
**(佐藤文隆『量子力学の100年』〜「おわりに」より)
「 二〇二四年早春
「新しい戦前」がなぜか実感となる空気を感じながら」