住吉雅美『あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン』(講談社現代新書&講談社現代新書Webサイト)
☆mediopos3688(2024.12.24.)
住吉雅美『あぶない法哲学 常識に盾突く思考』から
講談社現代新書Webサイトにおいて
再編集され紹介されている記事をとりあげる
「常識」というのは
使い方を間違えると
おそろしいほどの拘束力をもつ
外から強制されているときには
逃れようと「思考」することができるが
みずから積極的にそれを指向しようとするとき
そこから逃れる術はない
つまりそれはある種の「洗脳」である
そうならないためには
「常識に盾突く思考」をもたねばならない
まず「真面目な公務員」の話
ソクラテスは裁判を受け
法秩序を守ろうとあえて毒杯を呷る
しかしこれを一面的な視点でとらえてしまえば
マキャヴェッリの格言にあるように
「不正義はあっても秩序ある国家の方が、
正義があっても無秩序な国家よりよい」
ということになってしまう
極論を言えば
国家がある種の殺人を合法化すれば
それは法秩序を守るための有効な制度とみなされる
よく例にひかれるのが
ナチス・ドイツの親衛隊幹部であったアイヒマンによる
ユダヤ人殺害である
アーレントはこの件について
「完全な無思想性、それが彼があの時代の最大の
犯罪者の一人になる素因だったのだ」としている
命令に従い続ける有能な役人の
「凡庸という名の罪」である
そこには「思考のない遵法」がある
現在の日本の政治においても
それが暴力的に横行しているのは明かだが
いまだにそれに気づかないでいることこそが
「凡庸という名の罪」なのではないかと思われる
「上から命ぜられたことをただ守る。」
「それは、保身のために思考を止め、
ただ多数派の群れの中にいたい、そして支配されていたい、
その結果何が起ころうと自分は責任を負いたくない
という心根の表れである。」
そうしたことに関連して
「思考停止」した「真面目すぎる学生」の問題がある
たとえ災害時であっても
「安全のために休もう」と自分で判断せず、
ひたすら「大学からの指示」の有無で行動す」るような
「純粋培養されたよい子」になってしまう傾向である
それほどに現代の教育環境の背景には
文部科学省による大学への強い縛りがあり
現代の学問が「思考停止」してしまう要因ともなっている
決まりごとに対する「真面目さ」は
それそのものが「思考停止」を導いてしまう
その「思考」は「決まりごと」の外では全く無力なのだ
それは特定の道徳を法によって人々に強制するような
「健康増進法」などにもあらわれている
ナチスは「健康診断や癌検診、禁煙運動をはじめて導入した」が
現代の「国家による健康の強制」はそれに通じるものがある
思考の自由を失わないためには
与えられる「常識」を疑い
みずからの内的規範をもつことが不可欠である
いうまでもなくそこに「正解」はない
むしろ「正解」があり
それが与えられるということそのものを
疑わなければならない
■住吉雅美『あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン』
(講談社現代新書 2020/5)
■「講談社現代新書Webサイト」より
○まったく悪びれずに人を殺す…「真面目な公務員」が
「思考停止」することで生まれた「自覚なき虐殺者」という「最悪の史実」
(2024.11.29)
○「真面目すぎる学生」が急増中
…若者たちを「思考停止」させる「日本の大問題」
(2024.12.15)
○世界で初めて「健康診断」「禁煙運動」を
導入した国が犯した「衝撃の史実」
(2024.12.22)
**「講談社 現代新書Webサイト」より
○まったく悪びれずに人を殺す…「真面目な公務員」が
「思考停止」することで生まれた「自覚なき虐殺者」という「最悪の史実」
・思考停止した遵法は罪である
*「ソクラテスのエピソードからわかったことは、人が他人と社会生活を営んでいこうとする以上、学級崩壊のようなことになってはならないから、個人的に不満があろうとも法秩序を守る必要がある、ということである。」
「ソクラテスの考え方を一面的に極端化すれば、「不正義はあっても秩序ある国家の方が、正義があっても無秩序な国家よりよい」(ニッコロ・マキャヴェッリ)という格言になる。
だが、秩序が安定しているとしても、その法の不正の度合いがあまりに高い場合には、それを闇雲に守ることで存続させてよいのだろうかという疑問がわいてくる。」
・生真面目な公務員」が陥った「思考停止」
*「ひたすら法律を忠実に守る生真面目な一公務員が、その結果として多くの無辜の人々の生命を葬ってしまったという最悪の史実がある。ナチス・ドイツの親衛隊幹部であったカール・アドルフ・アイヒマン(1906─1962)である。
彼はナチス・ドイツの有能で忠実な歯車として、アドルフ・ヒトラーのユダヤ人絶滅作戦に関する命令を何の躊躇もなく遵守し、ユダヤ人を強制収容所に送る許可を淡々と出し続けた。彼は自分の職務の意味については何も考えておらず、ただただ命令と法を守るのみであった。結果として彼に送り出された大勢の無辜のユダヤ人が殺害されてしまった。
戦後、アルゼンチンに逃亡していたが、1960年にイスラエルの特務機関により逮捕された。エルサレムでの裁判で彼は防弾ガラスに囲まれた被告人席で「私は上司の命令に従ったまでです」とひたすら主張し続けた。もちろんそのような弁明は通用せず、彼は絞首刑となった。
この件についてハンナ・アーレント(1906─1975)という哲学者は、アイヒマンの「完全な無思想性、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ」と述べている。
専門的知識と能力という点では有能であっても、人間として思考することを放棄してひたすら命令に従い続け、その結果については上司に責任転嫁する一役人の、凡庸という名の罪深さが浮かび上がってくる。
しかも、彼が何ら悪びれることがなかった(ように見える)ことが一層恐ろしい。思考のない遵法こそ最もたちが悪いのである。」
**「講談社 現代新書Webサイト」より
○「真面目すぎる学生」が急増中
…若者たちを「思考停止」させる「日本の大問題」
・殺人的豪雨の中でも登校する大学生
*「上から命ぜられたことをただ守る。「法律だから」「規則だから」「政府が言うから」という理由で何も考えずにひたすら守る。それは、保身のために思考を止め、ただ多数派の群れの中にいたい、そして支配されていたい、その結果何が起ころうと自分は責任を負いたくないという心根の表れである。
しかし、命令を下した権力者や法律は、自分らに忠実なそういう人々がどうなろうと知ったことではない。
結局、法律や規則、命令と向き合って、それに従うことによってどういうことが起こるのか、それが良いことなのかどうか、自分で真剣に考えて行動する方がましであろうと思う。そのように考える姿勢は、一般的に法を尊重する生き方と矛盾するわけではない。」
・最近の大学生は真面目である。痛ましいほど真面目である。
*「たとえば、未明から防災速報アラームが次々と鳴り、気象情報は大雨警報を発し、早朝からJRの一部区間が運転を取りやめ、さらにその区間が拡がりそうな気配の中でも、「大学から休講の連絡がないから」といって危険を冒して一時間目の講義出席のために登校するのである。
「こんな大雨じゃ外出したらヤバいかも。帰れなくなるかもしれない。安全のために休もう」と自分で判断せず、ひたすら「大学からの指示」の有無で行動するのである。
理由は「もしかしたら講義があって、出席をとるかもしれないから」というものだ。出席と身の安全と、どちらが大事なのだろう。」
・大学生が「真面目」になってしまう理由
*「とはいえ、現代の大学生を「自分で判断しない指示待ち」と批判するのは彼・彼女らに酷である。
現代の大学生がこんなに悲しいほど真面目にならざるを得ないのは、大学なのに出欠をとるようになったこと(小学生じゃあるまいし)、そして(昔はなかった)半期15回講義のルールができて、大学が極力休講にしなくなったことなど、文部科学省による大学への縛りがきつくなったことによる。
今から40年近く前までは、15回ルールはおろか、シラバスもレジュメも板書もなく(休講も結構あったなぁ)、今の文科省から目一杯ダメ出しされていたであろう大学教育だったが、それだからこそ学生は「こんな教授陣には頼れない」(但し研究面ではすごい教授陣が多かったが)と危機感を覚え、「自分でどうすべきか」と真剣に考え、自力で必死に勉強した。」
「今の大学も大学である。とにかく近年は、私立大学さえお上の言うことを無批判的に、アホみたいに聞くから、純粋培養されたよい子たちの学生までそうなってしまった。
こんなに真面目な学生たちは卒業して就職しても、たとえ豪雨だろうが、ヤリが降ろうが、川が決壊しようが、火山が噴火しようが、地球が滅亡しようが、会社から指示がない限り、ひたすら時刻を気にしながら職場に向かうのだろう。」
**「講談社 現代新書Webサイト」より
○世界で初めて「健康診断」「禁煙運動」を
導入した国が犯した「衝撃の史実」
・気持ち悪い健康増進法
*「法と道徳は、十戒に見られるように内容的に重なるところもある(殺すな、盗むな、など)。しかし、特定の道徳を法によって人々に強制するとなったらいかがなものだろうか。
日本にも「余計なお世話法」といえるものがある。健康増進法である。
そ の第2条では、「国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない」と命じている。
こんな風に、人に特定の生き方を命令する法律はどうも虫が好かない。どう生きようと個人の勝手である。
また、その人の職業、また人生の目的によっては、健康の増進に努められない場合もある。
日本のサラリーマンの多くはストレスで胃を痛め血圧が高まり、運動不足と不規則な飲食で血糖値や尿酸値も上がっている。素晴らしい作品を生み出すために酒と煙草で身体を壊すアーティストもいる。
プロボクサーはつねに頭部の負傷や脳障害の危険に晒されている。新記録を目指すアスリートは、その代償に必ず身体のどこかを酷使して痛めている。
その一方でメディアは老いゆく人々に老け込むな、薬や栄養剤を飲んで走れと煽っている。
しかし、そもそも生きてゆくこと自体死に近づくことなのだから、健康に反しているのである。完璧に健康でいたいなら何もしなければよい、というか生きるのを止めればよい。」
・健康管理に積極的だったナチス
*「こういう法律ができる理由は想像がつく。高齢社会で公的医療保険の負担がこれ以上増えたら困るから、みんな病気にならないようにしなさい、ということだろう。
国民は自分たちのためにではなく、国家の社会保障のために健康になるよう求められているのだ。
しかし政府広報でなく、わざわざ法律の形をとって人の生き方を指示するやり方に気味の悪さを感じる。もしかしたら将来、健康管理をしない人に対して何らかの制裁規定を追加しようと企んでいるのかも……。
ちなみに、健康診断や癌検診、禁煙運動をはじめて導入したのはナチスである。それは個人のためではなく、総統やお国のために労働力として使える人間を選び出して健康に保つためであった。
健康帝国とは結局、企業や国家のために使える人間を育て維持するためのものなのである。だから、ナチスは8時間睡眠や菜食を国民に奨励していた。
しかし、そんな健康帝国もその裏側では、アルコール依存者、同性愛者、精神障がい者を迫害し、病などで労働力として役立たなくなった人間をさっさと安楽死させていた。
国家による健康の強制には気をつけた方がいい。人には不健康に生きる自由もあるのだ。」
■住吉雅美『あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン』の構成
第1章 社会が壊れるのは法律のせい?--法化の功罪
第2章 クローン人間の作製はNG?---自然法論 vs. 法実証主義
第3章 高額所得は才能と努力のおかげ?--正義をめぐる問い
第4章 悪法に逆らうワルにあれ!--遵法義務
第5章 年頃の子に自由に避妊させようーー法と道徳
第6章 大勢の幸せのために、あなたが犠牲になってくださいーー功利主義
第7章 人類がエゾシカのように駆逐される日ーー権利そして人権
第8章 私の命、売れますか?--どこまでが「私の所有物」か
第9章 国家がなくても社会は回るーーアナルコ・キャピタリズムという思想
第10章 不平等の根絶は永遠に終わらないーーどこまで平等を実現できるか/するべきか
第11章 私には「誰かに食べられる自由」がある?--人はどこまで自由になれるか
○著者について
1961年、北海道生まれ。北海道大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。山形大学人文学部助教授を経て、現在、青山学院大学法学部教授(法哲学)。著書に『哄笑するエゴイスト――マックス・シュティルナーの近代合理主義批判』(風行社)、共同執筆書に『法の臨界[2]秩序像の転換』(東京大学出版会)、『ブリッジブック法哲学』(信山社)、『問いかける法哲学』(法律文化社)などがある。