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『日本の現代写真1985-2015』

☆mediopos-2308  2021.3.12

写真は
写真とは何か
そう問いつづけざるをえない宿命をもった
メディアなのだろう

写真の基本は
「見る」ことと「写す」こと
そしてそれはともに
他のメディア以上に時代性を反映する

日本写真家協会創立70周年記念事業として
編纂された『日本の現代写真1985-2015』には
素材は銀塩フィルムから電子デジタルへ
表現媒体は紙からデジタルへと
大きく変化した時代の写真が
写真家ごとにそれぞれ1作品が収められている

1985-2015の30年間は10年ごとの3期に分けられ
2004年までの作品には
デジタルカメラで撮られた作品は一点も入っていないが
3期の2005年から2015年の10年間の作品の半数以上が
デジタルカメラによる撮影作品となっているという

いまやだれでもがスマホかデジタルカメラで
写真を手軽に写すことのできる時代となっている
「爆発的なスピードでのコモディティ化(一般化、大衆化)」は
「写真」そして「写真家」という存在の意味を
そしてその存在領域をずいぶんと変貌させることになっている
「写真」そして「写真家」だけにしかできないことは何か

だれも見たことのない
そしてだれも写せない写真を撮る
それが写真家だと言ってしまうのは簡単だが
それらの写真も容易にデータ化され
「過剰と蕩尽」にさらされてしまうことになる

JPS(日本写真家協会)が手がけた写真史としては
今回の本が4冊目だそうだが興味深いことに
「作家主義・作品主義の編纂」となったのははじめてだという
むしろかつての時代のほうが写真も
写真家も独自性を持っていたのではないかと思うのだが・・・

ある意味ではむしろ現代では逆説的に
「作家」や「作品」という概念が「守られねばならない」ほど
写真がだれにでも写せるようになったということかもしれない

だれもが簡単に写した夥しい写真は
「文脈を超え、ハイパーリンクで
 自在に結び付けることが可能に」なり
そんななかで
写真が「作家」や「作品」のもとにあることが難しくなっている
その意味で「個」であること
そして「個」を超えていくことがせめぎあっているともいえる

さらにかつてはアナログはデジタルの対義語だったが
いまではそれがフィジカルとなっているという
そしてデジタルはフィジカルの領域をどんどん浸食していく
写真のなかで今後どれほどのフィジカルな領域が
残り得るのだろうかという問いさえ生まれてしまう

音楽の領域でレコードが復活しているように
「スマホとSNSの時代」に
写真の領域で銀塩写真が復活することもあるのだろうか

フィジカルな領域への揺り戻しは
スポーツや芸能においてある程度みられていくだろうが
そんな折のコロナ禍のなかで
デジタルの領域はフィジカルな領域をますます浸食している

しかしそんな時代だからこそ
「見る」ことと「写す」ことという写真の意味が
先鋭化されたかたちで問いなおされてくることにもなる

わたしたちは何を「見」得るのか
何を「写」し得るのか
その根源的な問いは避けられない

そしてこのことは写真というジャンルにかぎらず
時代性を反映せざるをえないあらゆるところで
問いなおされていかなければならないのではないだろうか

■日本写真家協会編『日本の現代写真1985-2015』(クレヴィス 2021.3)

(田沼武能「JPSの日本写真表現史編纂の歴史」より)

「今回、創立70周年記念事業として刊行する『日本の現代写真1985-2015』はJPS(日本写真家協会)が手がけた写真史としては4冊目となる。その間写真の素材は100年続いた銀塩フィルムから電子デジタルへ、表現媒体は紙からデジタルへと大きく変化している。勿論、30年間の作品の変化も激しい。この激変する写真の世界に生きる写真家たちは、どう対応し、写真表現の道を歩むか、いま大きく問われている。今回JPSが編纂した日本写真表現史はまさに論語の教える「温故知新」である。」

(野町和嘉「JPS創立70周年記念事業にあたって」より)

「本書では編纂対象とする30年を、第1期:1985〜1994年、第2期:1995年から2004年、第3期:2005年から2015年と10年ごとの3期に分類した。
 第1期の時代は、経済の拡大によって人々の関心がグローバルに向かい、歴史上グラフジャーナリズムが最も栄えた時代と位置づけることができる。世界的に見ても、’90年代初頭には、『ナショナル ジオグラフィック』誌英語版が発行部数1000万部を超え、ヨーロッパでも『シュテルン』(独)、『GEO』(独、仏)を筆頭とする週刊誌、月刊誌が最も充実してフォトジャーナリズム全盛を誇った時代であった。」
(・・・)
 次いで1995年から2004年までの第2期で特筆すべきことといえば、2000年頃から急速に進んだデジタルカメラの性能向上により、フィルムカメラからデジタルへの切り替えが始まったことである。だがデジタルカメラの描写性能は発展途上であってプロ機材としての信頼は得られておらず、この写真集に掲載した2004年までの作品でも、デジタルカメラで撮られた作品は一点も入っていない。
 そして2005年から2015年の第3期になると、デジタルカメラの進化は著しく、機種が更新される度に性能は各段の進化を遂げ、一面ではフィルムの描写力をはるかに凌駕するまでに進化した。フィルムカメラの新たな開発はなくなり、世界で流通するカメラがデジタルカメラに切り替わり、数年ごとに新機種に更新されることにより、日本製デジタルカメラが世界市場を席巻しカメラ業界は大いに潤った。
 因みに第3期の掲載作品は、半数以上がデジタルカメラによる撮影作品となっている。ところが、デジタル技術の急速な進化によって、スマートフォン内蔵カメラの性能と通信技術の進歩は止まるところを知らず、今や“写真は誰にでも取れ、どこからでも発信(発表)できる時代”となり、事故や災害等のスクープ写真の大半が、一般人がスマホで撮った写真、あるいは監視カメラ、車載カメラに偶然写り込んでしまった映像などでまかなわれる時代となってしまった。そしてもっとも身近な発表の舞台がSNSとなり、日々アップロードされる夥しい映像上のの中の1枚として、瞬間に消耗される媒体と化してしまっているのが一つの現実である。」

(飯沢耕太郎「日本の現代写真」より)

「結局のところ、「スマホとSNSの時代」においても、写真家たちはアナログからデジタルまであらゆるツールを総動員して、自己と現実世界との関係のあり方を、写真を通じて提示していかなければならないのだろう。その意味では、1980年代以降のデジタル化による技術革新は、大きなインパクトを与えたことは間違いないが、そのことで「写真家」という存在のあり方をのものが一変してしまったわけではない。ここでも、失われたものと変わらないものとが交錯しているということだ。」

「「写真は芸術なのか」というという議論は、19世紀以来何度も蒸し返されてきたが、20世紀以降の近代写真の成立により、その独自の表現力が認められることで決着がついたと考えられてきた。ところが、日本においては1970年代まで、写真をアート作品として展示・販売するギャラリーや、組織的な収集、保存、展示をおこなう美術館はまったくなかった。」
「写真作品を扱う商業ギャラリーや、写真部門を持つ美術館の出現によって、写真家たちの展示の意識はより先鋭化してくる。それまではフレームに入れたり、パネル加工したりした写真印画を壁に飾るような展示が一般的だったが、天上や床などを含めて、画廊や美術館の空間全体を活かした「インスタレーション」が試みられるようになる。縦横数メートルを超える巨大サイズの作品もあらわれ、印画紙の表面を削ったり、複数の作品をコラージュしたり、絵画やビデオといった他ジャンルの作品と合体させるといった、多彩な手法が用いられるようになった。」
「ということは、これまでの写真家たちとは作品制作の発想そのものが違っているということだ。彼等は現実世界をストレートに描写するのではなく、「コンセプト」というフィルターをかけ、演出や画像の加工などを加えて作品化していく。」

「1970年代より前には、女性写真家の数は圧倒的に少なかった。」
「その状況が変わってくるのは、1970年代後半になってからである。」
「1990年代前半になると、女性写真家を巡る状況はさらに大きく変わっていった。この頃、各大学の写真学科、写真専門学校の学生の男女比率が逆転した。1970〜1980年代には全学生の10%にも満たなかった女子学生の数が急増していったのだ。」
「「女の子写真」が一斉に登場してきた背景として、写真器材の技術的なハードルが下がったということがあった。」
「その状況に鋭敏の反応したのが、若い女性たちだった。」
「「女の子写真」の被写体として目につくのは、「半径5メートル以内」の身近な空間である。そこに集められたお気に入りのモノたち、家族、友人、恋人、さらに自分自身の姿(セルフポートレイト)が写真にたびたびあらわれてくる。そこは自分の身体の延長として、心から安らげる空間であり、対社会的な砦の役目も果たす。」
「2000年代以降は、報道写真や商業写真などの分野でも、女性写真家の存在はごく当たり前いなり、クオリティの高い、多彩な表現が展開されるようになった。」

「1960年代の高度経済成長の時期を過ぎると、人工的で均質な都市空間が日本中を覆い尽くしていくようになる。ベビーブーマー以降の世代にとって、東京や大阪のような大都市の環境は異質なものではない。むしろ、自らの新たな故郷(ホーム)として、写真を通じて検証していくべき対象となる。」
「都市化が日本全国を覆い尽くすような状況において、逆に失われつつある自然環境への関心が高まったのはやや皮肉な現象といえる。1980年代以降に、最も大きく発展していったジャンルの一つは、自然写真(ネイチャー・フォト)だった。」

「フォト・ジャーナリズムの「冬の時代」と言われるようになって久しい。」
「日本でもその状況に変わりはない。かつて名取洋之助、土門拳、濱谷浩らが主導してきた正当的な報道/ドキュメンタリー写真を発表する場は、次第に狭められていった。」
「ところが、本展の出品作をあらためて見直すと、広義のドキュメンタリー写真の仕事がかなり多いことに気づく。(・・・)フォト・ジャーナリズムの「冬の時代」が続いているにもかかわらず、そこには厚みのある岩盤が形成されている。」

「いま、この原稿を書き継いでいる2020(令和2)年の夏〜秋にかけては、新型コロナウイルス感染症の勢いが衰えず、パンデミックの不安が世界中を覆い尽くしている。とはいえ日本の写真家たちは、各イベントが中止になり、国内や海外への移動がむずかしくなっている厳しい状況の中でも、「コロナ以降」の状況を見据えて動き始めた。本展が、過去をふり返るだけでなく、未来への予感を感じさせるものになることを願っている。」

(上野修「デジタル化がもたらしたもの」)

「かつて、アナログという言葉が、デジタルの対義語としてよく用いられてきた。」
「今日、デジタルの対義語として、しばしば用いられているのは、フィジカルという言葉だ。身体/物質を意味するフィジカルと、メディアという言葉の組み合わせが指すのは、手で触れることができるメディアのことである。現在、急速に消滅しつつあるのが、そのフィジカルメディアだ。」
「デジタルは、フィジカルなものを、次々とソフトウェア化し、吸収していく。」
「なによりも想定されていなかったのは、爆発的なスピードでのコモディティ化(一般化、大衆化)だったに違いない。手のひらに乗るスマートフォンえ写真を撮り、画像をスクロールするのは、気散じや実用のためであって、身体的な高揚感はどこにもない。」
「たとえどれほどデジタル化が進もうとも、(・・・)飯沢が描いた写真の本質は変わらない。1枚の写真を撮る喜び、1枚の写真を見るための染みは、これからも決して変わることはないだろう。------そういえたら、どんなにいいだろう。しかし、これを書いている2020年という年は、それを許しそうにない。」
「このような現在の状況のあれこれが、変動のなかのどこかにあるのかすら定かではない。数年後に振り返ってみたとき、ここにあえて列挙したような出来事は、大きな変動のほんのはじまりにすぎなかったと思えるかもしれないのだ。」

「写真の作家性と作品性とは、つまるところ、一人の作家、一枚の写真という価値である。その価値観は、日本写真家協会による4回目の歴史展となる、本企画の編纂方針の基軸となっているものである。それはいっけん自明のように見える基軸だが、これまでの3回の企画では、今回のような作家主義・作品主義の編纂ではなかったころからもわかるように、けっして普遍的なものでも恒常的なものでもない。
 日本では1985年以降の傾向ともいえる、この作家主義・作品主義は、デジタルともじつに相性がいい。一人一人の作家、一枚一枚の写真に切り離されることによって、作家や写真は検索可能になり、既存の文脈を超え、ハイパーリンクで自在に結び付けることが可能になる。一人一人という身体性、一枚一枚という物質性を追求した結果、作者名や作品名がタグになり、身体性や物質性から切り離されてしまうのは逆説的ともいえるし、検索できないものは存在しないに等しいインターネット時代の必然性ともいえよう。
 その必然性を、ほかならぬこの身体によって、切実に感じはじめているのが、この2020年という年なのかもしれない。
 しかし、別の見方をすることもできる。銀塩写真のコモディティ化は、1888年の「ザ・コダック」にはじまり、1986年の「写ルンです」でピークを迎える。本企画の1985〜2015年という時代は、コモディティ化が銀塩からデジタルに変わっていった過程にも重なる。「あらゆるイメージを封じ込めた、巨大な資料庫」と飯沢が形容するように、写真はその本質と欲望に従って、あらゆるものをイメージ化し続けていくだけだともいえるのである。そこには、逆説はなく、過剰と蕩尽があるだけだ。」

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