鼎談:藤原良雄×新保祐司×小川哲生「追悼 渡辺京二氏を偲ぶ」(週刊読書人)/渡辺京二『無名の人生』・『逝きし世の面影』
☆mediopos3004 2023.2.7
昨年(2022年)の12月
石牟礼道子の執筆活動を長年にわたり
支え続けてきたことでも知られている
渡辺京二が92歳でなくなったが
「週刊読書人2023年1月27日号」で
その追悼としての対談が掲載されている
そこで語られている
〈独学者〉と〈無名〉ということについて
そのふたつは
「まともな人間として生き」るための重要な基本で
それを生き抜いた渡辺京二への畏敬は尽きることはない
〈独学者〉であるということは
勝手に学ぶということではもちろんなく
「学者然」として
「アカデミズムにあぐらを」かかないということでもある
渡辺京二の仕事は「歴史書であると同時に
文学としても読まれるもの」であるように
アカデミズムに場所をもちえないだろうが
「一度も世に出ようなんておもったこともないし、
無名の本読みでも満足して死ねた」というだけあって
「日本の腐りきった知識社会のなかで、
知の世界を腐らせないために、
まさに〝地の塩〟としての在り方を実践で示し」
その著作は「血肉化した言葉」で書かれていた
それゆえにアカデミズムから自由な
生きた〈独学者〉であり
かつまた名を残そうとしたり
名に驕ったりすることのない〈無名〉を生きた
その〈無名〉は
ある種の「下降願望」でもあると同時に
自分に甘く埋もれてしまうようなものではなく
「自分にも遺せる『後世への最大遺物』はなんであるのかを
真剣に自分に問う生き方」でもあった
つまりみずから学ぶことを怠りなく
かつまたじぶんに恥じない生き方をする
ということなのだ
そうした〈独学者〉と〈無名〉こそが
渡辺京二の最大の遺産だろう
渡辺京二の冥福を祈る
というよりは
死後においてますます
〈独学者〉と〈無名〉への衝動を
与える存在でありますように・・・
■鼎談:藤原良雄×新保祐司×小川哲生「追悼 渡辺京二氏を偲ぶ」
(「週刊読書人 2023年1月27日」所収)
■渡辺京二『無名の人生』(文春新書 文藝春秋 2014/8)
■渡辺京二『逝きし世の面影』 (平凡社ライブラリー 平凡社 2005/8)
(「追悼 渡辺京二氏を偲ぶ」〜「〈独学者〉としての矜持と品位」より)
「新保/(・・・)アカデミズムにあぐらをかいた学者然とした人ではなくて、本当の実力と生活に根ざした、血肉化した言葉を書いている人だなと思って読んでいました。それで渡辺さんが大佛次郎賞を受賞されて東京にこられるときに、藤原さんのご厚意で対談の場を設けていただいたのですが、実際にお目にかかったのはその時が初めてでした。この時の印象を思い出してみますと、かつて夏目漱石が二葉亭四迷に初めて会った時のことを後で回想しているんですが、こんなふうに書いているんですね。「品位のある紳士らしい男————文学者でのない、新聞社員でもない、また政客でも軍人でもない、あらゆる職業以外に厳然として存在する一種品位のある紳士から受くる社交的の快味であった」(『長谷川君と余』)。私が渡辺さんに初めてお会いしての印象は、まさにこのようなものだったといえます。中村光夫は名著『二葉亭四迷伝』で、この漱石の評に触れて「一口で云えばまともな人間として生きた」と書いていますが、渡辺さんも現代日本で、まともな人間として生きた稀なる人物です。」
(「追悼 渡辺京二氏を偲ぶ」〜「歴史への逆説への感度」より)
「新保/かつてホイジンガの『中世の秋』がそうであったように、これ(『逝きし世の面影』)はいうなれば渡辺京二による『近世の秋』ともいうべき書物です。それが歴史学の大学教授ではなく、在野の人によって書かれ得たというところに、日本の近代化がもつ逆説的な性格がよくあらわれている。一方で渡辺さんの本は、歴史書であると同時に文学としても読まれるものでもあるわけですね。」
「小川/(・・・)(渡辺京二は)常々「一度も世に出ようなんておもったこともないし、無名の本読みでも満足して死ねた」といい、少数の読者がいれば満足であり、「私は自分の著作が世の注目を浴びなくても、一向に不満を覚えない物書きであった」と言っている。
(・・・)
新保/(・・・)私は新約聖書のなかの〝地の塩〟という言葉を思い出さずにはいられません。日本の腐りきった知識社会のなかで、知の世界を腐らせないために、まさに〝地の塩〟としての在り方を実践で示してこられたと思います。そしてもちろんそれだけでもすごいこよだけど、渡辺さんがさらに偉大だと思うのは、本が売れてからもその地の塩の「塩気」を失って砂糖菓子みたいになったりしなかったことです。あくまで〝地の塩〟であり続けられた。そして私は予想するのですが、アカデミズムの、戦後の歴史学者たちではなく、在野の歴史家・渡辺京二の書いたものの上にこそ今後の歴史書は書かれていくことでしょう。これも聖書的な逆説ですが、この渡辺京二という〝隅の首石(おやいし)〟の上にこそ、日本近代史は建てられていくべきだというふうに私は思います。」
(「追悼 渡辺京二氏を偲ぶ」〜「「下降願望」の意識」より)
「二〇一四年に刊行された『無名の人生』(文春新書)を読むと、渡辺さんが実は少年時代から永井荷風が好きだったと明かされていますね。永井荷風のありかたというのは、小説家として有名になってからも浅草のとんかつ屋で食事をしたり、ストリッパーとおしゃべりしたりするのが楽しみだという、巷に身を隠して江戸の庶民の世界にどっぷり身をひたすのを何より好んでいた人です。そして最後は吐血して孤独死————それも千葉の市川の六畳間で、枕元には空の一升瓶が転がっていたと、そういういわば野垂れ死にこそが「じつは立派な死に方だったと思う」と渡辺さんはいうわけですね。「人間というのは、生きていると社会的地位や肩書きがくっついたり(中略)そういうもの一切を払い捨ててゆきたい、脱ぎ捨ててゆきたい、何も持たない、生まれてきたときの自分にもどり、大地に還っていきたい・・・・・・」(同書一八四頁)こういう〝下に下に降りていきたい衝動〟がある時期以降の渡辺さんのなかで優位をしめてきた、そのあたりのいきさつを吐露されています。荷風も渡辺京二も、近代の果てまで行ってみて、そのうえで「下降願望」について語らずにはいられない。これは現代のインテリたちがどうしても脱却できない上昇志向、知の巨人を目指さずにはいられないあり方と、対照的なものでしょう。」
(「追悼 渡辺京二氏を偲ぶ」〜「編集者としての渡辺京二」より)
「小川/(・・・)渡辺さんの書いたもので「編集者はいらない」という文章があるんですが、とにかく著者が書いたものに手を入れることが編集者の優秀さを示すと思い込んでいる勘違いの編集者がいるわけで、やるべきは誰に何を書かせるかにあるので、著者の文章に手を入れることに編集者の本文はないということを力説しています。著者を駒あつかいしたり、そういう小賢しさみたいなものをきっぱり断つ「古武士」の風格を漂わせる渡辺さんが、わたいは本当に好きなんですよね。」
(「追悼 渡辺京二氏を偲ぶ」〜「〈無名〉の最大遺物」より)
「新保/(・・・)だから一種のアウトサイダーなんだけれど、アウトサイダーこそが正統であったというのが、近代日本の問題というか、大きな逆接だったわけです。
それからもう一つ、これは評価の分かれるところかもしれないけれど「生活基層民」に対する関心ですね。島の住民とふれ合うとか、そういうことを大事にされたということです。
それは『無名の人生』ということにも通じるし、先に述べた内村鑑三との連想でいえば「後世への最大遺物」の思想とつながっていると思います。その〈無名〉という考え方、これがよく誤解されやすいというのは、そんなふうに無名の人生でいいんだ、世間の富貴栄達に無関心でいてかまわないんだと言ってもらえると、人間というのはえてして安心してしまうわけですよ。でも渡辺さんが本当に言いたかったのは、そういうことじゃない。単に世間から隠れ逃れる生き方を肯定しようということではなくて、自分にも遺せる『後世への最大遺物』はなんであるのかを真剣に自分に問う生き方であって、時代と闘いつつも時代に埋もれてしまわないような〈無名〉なんですね。
もっと言えば、これも内村の言葉ですが、「勇ましい高尚なる生涯」こそが無名にして後世に残せる最大のものなのだという思想です。」
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