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高橋たか子『意識と存在の謎―ある宗教者との対話』/『終りの日々』

☆mediopos2988  2023.1.22

高橋たか子の小説は
学生のころわりとよく読んでいたが
とくにパリに渡って観想修道生活に入った頃からは
ほとんど読む機会がなくなっていた

それが講談社現代新書で一九九六年に
カトリック跣足カルメル会司祭・田中輝義との
「意識と存在の謎」をめぐる対話が刊行されたので
少しばかり驚いて読んでみた記憶があるものの
ほかにはその著書を読む機会のないままだったが
先日古書店で生前最後の日記を見つけたのを機に
あわせて『意識と存在の謎』を読み直してみることにした

高橋たか子はその母親が二〇〇〇年に亡くなって
二〇〇三年からは茅ヶ崎の老人ホームで暮らすようになり
二〇一三年に八十一歳で亡くなっている
そこで聖書朗読と思索と執筆を続けていたが
日記の最後の日付の二〇〇六年六月十五日以降
何も書かなくなったそうである

『意識と存在の謎―ある宗教者との対話』で
交わされている内容はとても興味深く
キリスト教の範囲を超えて語られる
田中輝義の言葉はとても深い
キリスト教神秘主義と仏教を合わせたような内容である
(その若干は以下に引用してある)

それはそれとして
今回とりあげてみたのは
二〇〇六年に書きはじめた日記の最初にある
「年をとらぬと決して見えてこない
何か深い広いことがある、と気づくようになった」
という言葉と
日記の最後二〇一〇年のところに
シモーヌ・ヴェイユへにあらためて感嘆したことが
語られているからである

日記を読んでみても
「年をとらぬと決して見えてこない何か深い広いこと」が
いったい何だったのかわからないのだが
そして最後にシモーヌ・ヴェイユが登場してきたことの
意味もまたよくわからないところがあるのだが

個人的にいって
深くも広くもないかもしれないけれど
「年をとらぬと決して見えてこない」ものは
たしかに年々実感することは多くなっているし
シモーヌ・ヴェイユの言葉も
以前にも増して届いてくるようになってきている

こうして毎日書いている日記でもあるようなものも
いつまで続けられるかわからないが
ある意味ではその
「年をとらぬと決して見えてこない」ことの
じぶんなりの記録になっているところがあるような
そんな気もしている

■高橋たか子『意識と存在の謎―ある宗教者との対話』
 (講談社現代新書 講談社 1996/8)
■高橋たか子『終りの日々』(みすず書房 2013/12)

(高橋たか子『意識と存在の謎―ある宗教者との対話』より)

「意識の目覚め――意識とは何でしょうか。一般に言われているそれではなくて、一般に言われている無意識をもふくめた、意識のことですが。存在イコール意識という存在論と表裏をなす意識論における、それ。」

「意識とは何かについては本論でくわりく述べてゆくことになるが、意識は、人間ひとりひとり悲喜劇の演じられている舞台を、内側から時々刻々つくりだしている、見えない巨大な演出家だ、と言ってもいい。それを知ることなしには自分というものがわからぬまとなってしまうけれども、知るといっても、その全貌を人間が知ることはできないほどまでに、茫洋と無限なる域である。
 そこへむけて、古今東西の宗教者・哲学者・芸術家の、ある種の人たちが、それぞれの仕方で、直感し体験し、探索し測深し、見きわめようとしてきたのであった。
 この意識というものを、何らかの教説や学説を大前提にせずに、御自分の体験のまとめなおしから出発して、独自なパースペクティブで見ておられる、カトリック跣足カルメル会司祭・田中輝義師との、たびたびの対話を私がメモし、私なりの構成の対話体において表しなおしたものが、本書の内容である(跣足カルメル会とは十六世紀スペインの神秘家であるアヴィラの聖テレサが創立した修道会)。

「高橋/本来の自分への回帰する「入」方向というものを、田中師と私とは協調してきたのでありますが、生まれる前の本来の自分に戻るのならば、生まれる必要はなかったかのようなロジックに受けとられかねない。生まれてきて、生きて、死んでゆく、一生というものの意味は、田中師なら、どのような言葉で説明されますか。
(・・・)
田中師/生まれる前の、与えられたいのちとは、原石のようなもの。それが、一生を生きてゆく間に、磨かれてゆき、光った石になる。大理石の彫刻を思い浮かべていただきたいが、一生の間に原石が磨り減っただけのものになるのでなく、光った石となって、与えられたいのちである本来の自分へと回帰する。光るのは、磨かれていると、光を受けて光る、ということですが。」

「田中師/人間の意識と存在についてさまざまに見てきましたが、ここで簡潔に要約しておきたいのは、私たちの与えられた生存の始めと終りとが出会う場であるということ。たとえで言うなら、第一のバラ園から入って、次々とばら園を通り、第七のバラ園へ来ると、第一のバラ園の入口にいたという感じ。そのことはたくさんの図で示したとおりで。その出会う場とは、一つの生命単位の根底である脳幹、そこに密着していると想定される根源識(自己識)です。
 いのちの到来が起こるのと、いのちの回帰が起こるのと、逆方向の同じ道筋である。一日の生存の展開は、この道筋において、目覚めが出発であり、最熟睡が帰入である。そしてまた、その同じ道筋が、意識の明暗すなわち認識の明暗を起こし、暗は出発の方向で、明は帰入の方向で起こる。与えられた生存の中身であるいのちは、光であるから。それで一つの生命単位の根底にあって、こちら側から向こう側へまたがっている根源識の、その境界域は、本来の故郷への入口。その入口へ、私たちは、最熟睡の先の、最深熟睡(死)が起こる時に、やっと入ることを許されるだろう。
 死が起こる以前でも、帰入の道ゆきが深まれば深まるほど、意識は、分節が分節として分別が分別としてあっても、不固定となり、透明にされ、そして、自他不一から自他一如へ、自他別々から自他不二へと、我と汝とが相互浸透されて、連綴的で平等の我々となる、意識転換が与えられるだろう。何も失うことなく、そのままで、すべてが不固定な呼応関係の姿のうちにあるだろう。
 このように、帰入の道ゆきにおいて、合掌心も、過越も、救いも、私たちは受動的に与えられるだろう。」

「田中師/たびたびたとえとして言った、花びらの中心が神。こちら側から言えば、そうなります。向こう側から言えば、そこが神のフロント。
 存在力・生命力は、神から連結している。けれども、この生命の姿、有限性の姿によって、断絶している。言いかえると、人は、力において常に神の中。しかし姿において常に神の外。
 神の位置は、いろいろ示した図でわかるとおり、人の日常と違ったところでなく、日常の中の底という感じの問題なのです。
 こうも言える。数学の座標軸の「ゼロ」のようなもの。プラスもマイナスも統合しているが、無ではない。人間はプラスのところで右往左往している。私たちの一人一人は、「ゼロ」ではなく、限定された誰かある人。
「ゼロ」というのは、前に言ったよういん、「ある」(be,être,sein)のことです。それは無限定です。」

(高橋たか子『終りの日々』より)

「————二〇〇六年六月十五日から書き始めるが、死の日まで、と思って書く。(いま七十四歳。でも、私って年齢がない。何となく四十六歳ぐらいと自分で思っている。いや、四十八歳としよう。一九八〇年にパリへすっかり行ってしまった年齢だ。あの時の私は居なくなったのだから————)」

(二〇〇六年六月十五日(木))

「二〇〇二年十一月二十二日から二〇〇四年九月三十日までの間の、毎日ではないが、ある時ある時に思ったことが『日記』というタイトルで本になっている(この期間より前の、一九九九年のものと二〇〇二年六月の「パリ日記」とを、合わせた形で)。今、ふいに、大体あのような書き方で、折にふれて思いついたことを書いておこう、と思った。
 年をとってくると、きちんきちんと、その時点で書いておかぬと、思ったこと考えたこと思い出したことが消えてしまう、と意識するようになったせでもあり、また同時に、年をとらぬと決して見えてこない何か深い広いことがある、と気づくようになったせいでもある。
 年をとらぬと決して見えてこない何か深い広いこと。
 なぜ?
 なぜ?
 誰でもそうなるのかどうか、他人に尋ねてみたことはない。
 でも私自身については、この「なぜ?」が言えるような気がするのだ。きっと、自分の存在をすっかりオープンにして、子供時代からずっと生きてきたから? すっかりオープンというのは、何に直面するにしろ、日々、刻々、五感と感受性と精神能力とを全的に開ききって、そうしていると。いのちそのものの喜びのようなものがあると同時に、傷だらけにもなる。
 でも、この傷のおかげなのだろう、それをとおして、すべての事実が私の内部の深層にインプットされる。そうであるらしい。」

(二〇一〇年六月二十六日(土))

「ずっと昔に買ったものらしい『シモーヌ・ヴェイユの生涯』という本を、たまたま本棚から取り出した。そして、読み出したのである。(著者は日本の男性だが、シモーヌ・ヴェイユの著作からの引用を、つなげつつ、大変、興味深い、フランス・二十世紀の時代潮流やシモーヌ・ヴェイユが時代を生き抜いていく姿が、じつに具体的に叙述されている。(すでに私自身、読んだものらしく、ところどころエンピツの印が見られるのだ————)
 何と、有りあまる生命力と聡明な頭のはたらきとで以て、彼女自身が時代を生きぬいていったことだろう! と、私の感激! やはりフランスならではの、女性の生き方。こういう生き方が、すでに二十世紀〔前半〕の中で、可能だったことにも、感嘆!」

(鈴木晶「解題」より)

「高橋たか子は、二〇一三年七月十二日に他界した。享年八十一歳。」

「高橋さんは二〇〇三年に茅ヶ崎の有料老人ホームで暮らし始めた。契約したのはその少し前で、しばらく京都の実家(母上は二〇〇〇年に亡くなった)と茅ヶ崎を行ったり来たりしていたが、二〇〇三年からは、亡くなるまでずっとこの老人ホームで暮らしていた。」

「書きはじめられたのは二〇〇六年六月十五日で、二〇一〇年六月二十六日で終わっている。その意を汲んで、本書を『終りの日々』と題した。
 この二〇一〇年あたりから高橋さんは、もはや何も書かなくなったようである。」

◎高橋たか子
1932年3月2日、京都市生まれ。旧姓岡本、本名和子(たかこ)。小説家。京都大学フランス文学科卒業。在学中に知り合った高橋和巳と結婚、鎌倉に居住。1971年、夫和巳と死別。その後、小説を書き始めた。 カトリックの洗礼を受けている(洗礼名はマリア・マグダレーナ)。
著書『空の果てまで』(1973、新潮社、田村俊子賞)『誘惑者』(1976、講談社)『ロンリー・ウーマン』(1977、集英社、女流文学賞)『怒りの子』(1985、講談社、読売文学賞)『きれいな人』(2003、講談社、毎日芸術賞)ほか多数。訳書 マンディアルグ『大理石』(澁澤龍彦と共訳、1971、人文書院)グリーン『ヴァルーナ』(1979、人文書院、ジュリアン・グリーン全集3)ほか。
2013年7月12日、心不全のため死去。

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