見出し画像

小林道憲『生々流転の哲学』/『初期ギリシア哲学者断片集』

☆mediopos3493  2024.6.10

『生々流転の哲学』の著者・小林道憲は
「一哲学者として、自然、倫理、歴史、芸術、宗教、
存在、認識、文明、時代などについて考察してきた」が

「今回の著作は、この私の哲学のエッセイ版であり、
それぞれのテーマをできるだけ短く
簡潔に書いたもの」だという
(扱われているテーマについては「目次」参照)

扱われているテーマは多方面に及んでいるが
それらに通底しているものは
〈相反するものの相補性〉という思想である

〈相反〉は小林氏のの造語で
〈相互作用からの自己形成〉
「万物は相互連関から生成する」こと

つまり「天と地、生と死、善と悪、聖と俗、煩悩と救いなど、
相反するものは相補って存在し、それらが絡み合って、
生々流転する世界は成り立っているという考え」である

そのなかから最初の章「1 万物流転」から
「ヘラクレイトス」をとりあげる
(機会があれば他のテーマもとりあげたいと思う)

ヘラクレイトスは紀元前五百年頃の哲学者であり

「同じ川に足を踏み入れようとしても、
 つぎつぎと違った水が流れ去っていく。」

というように万物流転を説いたといわれるが
その言葉は引用された断片しか残っていない

ヘラクレイトスの言葉に
「足を踏み入れようとしても」
その言葉そのものはすでに流れ去っているように・・・

その流転と生成の考え方からすれば
相対立する相が相互に転換するがゆえに
「存在と非存在が矛盾しながら同時存在している」
「われわれは存在するとともに、存在しない」

「生成」は矛盾律を超え
「反対するものは、同時につながっている」のである

「互いに反対方向に向かう宇宙的プロセスが
同時進行することによって、変化はある。
自然は形を変えていく。満ちた月も必ず欠ける。
凝縮と分散、創造と崩壊も、同時存在してはじめて
変動ということがある」

本書のタイトルが「生々流転の哲学」となっているのも
小林道憲の〈相反するものの相補性〉という思想が
ヘラクレイトスの考え方に近しいからだろう

すべてが「一なるもの」であれば
そこに変化や生成は生まれない
「一なるもの」のなかに
「互いに反対方向に向かう宇宙的プロセス」が
生まれることによって変化や生成が可能になる

ゆえに「相反するものは相補って存在し、
それらが絡み合って、生々流転する世界は成り立っている」

しかし私たちが生きていくなかで重要となるのは
「相反するもの」をいかに調和に導くかということだろう
調和とは「相反するもの」を「中」することだが
その「中」は変化しないのではなく
常に動的な変化のなかにある
いわば「動的平衡」である

私たちの日々の営為も極端な偏りに対して
いかにその反対の力をつかって平衡をもたらすか
ということでもあるだろう

そのためには現状の「両極」あるいは
さまざまな方向に向けられたベクトルの
諸関係を把握することが不可欠になる

「生と死」も「善と悪」も
「聖と俗」も「煩悩と救い」も
片方の局に寄りすぎると「苦」の原因ともなる

いわゆる「無明」というのは
偏っていることに気づかずにいるということでもある

そんなこんなで
生きているということは
(同時に死んでいくということでもあるが)
なかなかに課題山積だが

わたしたちは
そうして「生々流転」しながら存在することを
「遊戯」しているのかもしれない

とんだ「酔狂」なことかもしれないが
なぜわざわざ世界があり
そのなかにわざわざ「わたし」がいるのかを考えると
結局のところそう考えるのがいちばん腑に落ちる(笑)

■小林道憲『生々流転の哲学/人生と世界を考える』(ミネルヴァ書房 2024/2)
■山本光雄訳編『初期ギリシア哲学者断片集』(岩波書店 1958/5)

**(小林道憲『生々流転の哲学』〜「あとがき」より)

*「(今回の著作に)通底するものを取り出すとすれば、それは、〈相反するものの相補性〉という思想に行き着く。つまり、天と地、生と死、善と悪、聖と俗、煩悩と救いなど、相反するものは相補って存在し、それらが絡み合って、生々流転する世界は成り立っているという考えである。宇宙的なものとその中で生きる人間を見据えながら書いてきた諸作品の低層流には、なお、私たちの生命哲学、〈相反〉の哲学が流れていると言えるだろう。絶えることのない変化の流れの中で、すべてのものは生成する。」

(*〈相反〉とは、私の造語で、〈相互作用からの自己形成〉を意味する。万物は相互連関から生成するの意。)

**(小林道憲『生々流転の哲学』〜「1 万物流転/ヘラクレイトス」より)

*「万物流転を説いた紀元前五百年頃の哲学者ヘラクレイトスは、エフェソスの王族兼聖職者としてこの町に生まれた。ヘラクレイトスの来歴は、この程度のことしか分かっていないし、書いたものも、後人の引用による断片しか残っていない。

 「同じ川に足を踏み入れようとしても、つぎつぎと違った水が流れ去っていく。」

 この断片は、あらゆるものは流転し何一つ留まらないというヘラクレイトスの思想を象徴的に語ったものであろう。自然は川の流れのように常に変化している。この世界には、何ら固定し不動なものはない。どんなものでも在るのではなく成るのであると、ヘラクレイトスは考える。」

「同じ流れに立つことはできないと考えたヘラクレイトスは、自然は不可逆で不確実性に満ち、逆戻りすることもなく、まったく同じことが起きることもないと考えていたと言える。」

「この世界は休むことのない流れである。ヘラクレイトスは、この常なる変化の世界の象徴として、〈火〉を世界の原理とした。世界は、火から生まれ、一定の周期に従い交代しながら、そして再び火に還る。あらゆるものは火の交換物であり、火の希薄化と濃密化によって生成する。

  「火は土の死を生き、空気は火の死を生き、水は空気の死を生き、土は水の死を生きる」

 と言う。しかも、火は永遠に生き、「定量だけ燃え、定量だけ消える」とも言う。

 ヘラクレイトスの宇宙論では、ある一定の量のエネルギーが様々な宇宙の構成物に転換し合い、そのエネルギーの一定量は変わらないと考えられていたようである。現代物理学でも、この宇宙はエネルギーに満ちた場と考えられ、それが収縮して物質を生みだし、それが分散して元のエネルギーに戻ると考えられている。しかも、そのエネルギーと物質の総計は一定量だと考えられている。川の流れと渦は明確に区別できないように、エネルギーと物質も相互に転換しうる・ヘラクレイトスも、すでにこのことを、万物の原理、火の転化として考えていたのであろう。」

*「この世界は瞬間瞬間に変化して止まない流れである。ヘラクレイトスの考えたように。「われわれは同じ川に入っているとともに入っていない」のである。とすれば、「われわれは存在するとともに、存在しない」ことになる。生成とは、存在と非存在が矛盾しながら同時存在しているということである。一であって同時に一でないことはありえないという矛盾律を超えるもの、それが生成である。

 したがって、昼と夜は一つだとヘラクレイトスは言う。昼と夜は対立するが、それも一つの過程の表裏にすぎない。本質は、その過程の中にある。流転と生成の世界では、相対立する相が相互に転換する。反対するものは、同時につながっているのである。ヘラクレイトスが言うように、弓と竪琴のように逆向きになったものがつながることによって、最も美しい音律が生まれる。互いに反対方向に向かう宇宙的プロセスが同時進行することによって、変化はある。自然は形を変えていく。満ちた月も必ず欠ける。凝縮と分散、創造と崩壊も、同時存在してはじめて変動ということがある。

 自然現象でも、遠心力と求心力、高速と低速、軽重、濃淡、膨脹と収縮など、反対するもの道士が絡み合うと、回転や巻き込み、律動や蛇行、螺旋運動などが生じ、生成変化が起きる。台風も、高気圧と低気圧、冷たい気流と温かい気流、下降気流と上昇気流が接触するとき、その接触面から渦が生じることによって生まれる。

 生と死も、同時に存在している。われわれは生きていると同時に死につつある。死があるがゆえに生がある。生と死もまた一つである。生と死も相反し対立するが、生が死になり、死が生になることによって、生成変化は起きている。ヘラクレイトスは言う。

  「不死なる者が死すべき者であり、死すべき者が不死なる者である。かのものの死をこのものが生き、かのものの生をこのものが死している」と。

 われわれも、誕生し、成長し、成熟し、退化し、老衰し、そして死んでいく。結んでは直ちに消え、消えてはまた結ぶ泡沫のようなもの、それがわれわれに生である。」

*「ヘラクレイトスは、また、「万物から一が生じ、一から万物が生じる」とも言う。世界は、一から多へ、多から一へ、生成そのものである。現代の物理学でも、ミクロの世界で生成消滅している多くの素粒子を根源的場の現れとみている。そして、それらは相互に結びついた不可分な織物のようなものだと考えている。世界は一であると同時に多なのである。われわれは根源的一に還らねばならない。」

*「ヘラクレイトスは、その時代、聞いても理解しない輩、聞くすべもの語るすべも知らない人間、いかがわしい歌や踊りに熱狂する人々を批判してやまなかった。だから、ヘラクレイトスは、エフェソスの人々とはうまくいかなかった。」

**(『初期ギリシア哲学者断片集』〜「11 ヘラクレイトス」より)

*「77.〔一つのものは相反するもの、またその逆〕
 海は最も清らかな水であると共に最も汚い水である。それは魚にとりては飲むことが出来、命をもたらすものであるが、人間にとりては、飲むことが出来ず、命を滅ぼすものである。」

*「78.〔一つと凡て〕
 一緒に把握されるもの、それは全きものであると共に全からざるもの、一致するものであると共に一致せざるもの、相和するものであると共に和し難きものである。凡てのものから一つが出て来、また一つから凡てのものが出てくる。」

*「80.〔戦い〕
 戦いは万物の父であり、万物の王である、そしてそれは或るものたちを神として、或るものたちを人間として示す、また或るものたちを奴隷とし、或るものたちを自由人とする。」

*「82.〔河の比喩〕
 河は同じだが、その中に入る者には、後から後から違った水が流れよってくる。」
「同じ河に二度はいることは出来ない・・・・・・散らばっては、再び集って来、・・・・・・また近寄っては、去っていく。」

*「85.魂にとって水となることは死、また水にとって土となることは死、しかし土から水が生まれ、自ら魂が生まれる。」

□小林道憲『生々流転の哲学』【目次】

1 万物流転
   ヘラクレイトス
   共鳴する宇宙
   華厳の世界

2 いのちのかたち
   食虫植物
   飛 翔
   螺旋と渦

3 時間と空間
   モグラとデカルト
   動物の時間感覚
   時の矢

4 先史と古代
   洞窟から神殿へ
   大地女神
   太陽神と王権

5 文明の条件
   マチュピチュ
   サマルカンド
   風土論再考

6 人間について
   「アンティゴネー」と「寺子屋」
   エッシャーの多義図形
   仮想現実

7 善と悪
   孫子に学ぶ
   『韓非子』を読む
   老 子

8 美と詩
   田中一村
   詩人良寛
   寒山詩を読む

9 業と救い
   阿修羅の祈り
   越後の親鸞
   道元の世界

10 生と死
   人生と偶然
   後期ストアに学ぶ
   メメント・モリ

参考文献
図版出典
あとがき
人名・事項索引

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?