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『イエスとエッセネ派/退行催眠で見えてきた真実』

☆mediopos-2295  2021.2.27

魂の深みには
過去世の人間も存在している
時間と空間を超えて
その人間と対話することも可能だという

ドロレス・キャノンは退行催眠によって
若い女性ケイティの過去世のなかから
若きヨハネやイエスの教師でもあった
エッセネ派の「スディー」という律法学者を見出し
クムランやエッセネ派そしてイエスの生涯について
得られた貴重な情報を本書にまとめている

死海写本やイエスについてのリーディングといえば
エドガー・ケイシーが有名だが
ドロレス・キャノンの場合は
被験者の過去世の視点から得られる情報である
それらの情報はもちろん狭義の意味では
学術的に評価されるものとはいえないだろうが
批判的に吟味する視点をもちながら
さまざまな情報と照らし合わせていくことで
生きた情報としての価値を持ち得るものだと思われる

本書の内容を大まかにいえば以下のようになるが
重要なのはイエスと同時代にあって
その教師でもあった関わりのなかでの
「スディー」の生きた語りを共体験することだろう

死海写本の見つかったクムランには
エッセネ派の人たちの共同体があった
エッセネ派はユダヤの共同体のひとつではあったが
むしろそこは失われた古代から伝わってきた
驚くべき科学や叡智を守り伝えてゆくとともに
予言を成就させるために用意された秘教集団でもあった
予言の成就とはキリスト・イエスの復活である
ヨハネもイエスもエッセネ派ではなかったものの
若い頃そこで自らの叡智を開花させるために学んだのだ

「スディー」がイエスの神格化を戒めていることも
わたしたち一人ひとりの魂の成長にとって重要なところだ
イエスはわたしたちに代わって罪を引き受けたのではなく
自分に課せられた課題は自分で担い得るのだということを
人間として証明してみせたということなのだから

またこの退行催眠を行ったケティの場合には
エッセネ派の律法学者「スディー」をはじめ
二十六の過去世を確認できたとあるように
魂はきわめて多面的多層的であり
人はそれらすべての面で総合的に成長していくことが求められる

かつての律法学者としての面もあれば
それとはまったく関係しないケティのような面もあり
特定の面だけが重要だというわけでもない
人体の頭部だけが重要なのではないように
イエスに関わったからといって
他の転生でも同様な生を送るとは限らないのだ

■ドロレス・キャノン(白鳥聖子 訳)
 『イエスとエッセネ派/退行催眠で見えてきた真実』
 (ナチュラルスピリット 2021.2)
■グレン・D・キトラー著/ヒューリン・ケイシー編
 (大西正幸 監訳・相沢千恵子 訳)
 『エドガー・ケイシーの死海写本/リーディングの実証』
 (たま出版 1985.7)

(ドロレス・キャノン『イエスとエッセネ派』より)

「時間と空間を超えて旅をし、遠い昔に行って「失われた文明」を目の当たりにすることは可能だ。はるか昔にこの世を去った死者たちと対話をし、彼らの生涯や死の経験を一緒に体験することだってできる。」

「わたしは退行催眠療法士である。これは催眠術師の現代用語だ。わたしの専門は「過去世退行催眠」である。わたしは従来のダイエット、禁煙、身体の痛みを和らげるための催眠療法は行わない。二十年以上もの間、輪廻転生の思想に惹かれ、深い興味と関心を抱いてきた。当時、催眠術師のわたしの夫が実施した退行催眠の実験に立ち会ったことが、すべてのはじまりだった。それは夫が従来の催眠術を使い、減量したい女性とセッションをしているときであった。突如として、その女性の過去世が登場してきたのだ。」

「過去世退行催眠を実施する際、もっとも適した被験者は夢遊性トランス状態(きわめて深い催眠状態)に浸ることができる人である。夢遊性トランス状態に浸れる人は完全に前世の人格になりきり、いますべてが目の前で展開されているかのごとく体験できる。完全にほかの時代(現代の記憶)に関するいっさいの記憶が消滅している状態だ。何百年も、何千年も前の人物の人格が憑依したかのように、その人物の目線から過去の世界の物語を語ってくる。その代わり、彼らの立場でわかっていることしか語ることはできない。」
「夢遊性トランス状態に浸れる人は、催眠中に起きたできごとをまったくといっていいほどおぼえていない。催眠から目覚めたあと、その記憶が残るように指示をしないかぎり、すべて消えてしまう。そして自分は眠りから目覚めただけだと思っている。」

「キャサリン・ハリス(仮名)は、ケイティという愛称で呼ばれていた。運命的ともいえる出会いの日、彼女はまだ二十二歳だった。」
「彼女の趣味は、大衆的なロマンス小説やファンタジー小説を読むことだった。この退行催眠の核となる情報源や歴史書などを、図書館で読んだり調べたりすることに興味を示すような女性ではなかった。」
「彼女はさまざまな境遇の過去世を体験していた。男性、女性、富める者、貧しい者、知識階級の者、無教育な者など、全体的に調和のとれた前世体験をしていた。」
「キリストの生涯と深いかかわりを持つ「存在」が出現すると、その時代にとどまることがとても重要だと感じられた。(・・・)時代をどんどん遡っている段階でも<キリストに関するなにか>がみつかりそうな気配があったときには、そのたびにエッセネ派時代のイエスの師匠のいとり「スディー」としての生涯に必ず戻った。そして可能なかぎりの情報収集に専念した。わたしたちは三ヶ月間にわたり、このようなセッションを十三回も繰り返すことになる。」

「退行催眠にてその存在が明るみに出た「スディー」のことをより深く理解するためには、彼が暮らした場所や日常的な生活習慣についてくわしく知る必要があると感じた。その暮らしぶりを知ることは、イエスがもっとも多感な思春期をすごした場所を知ることと直截的につながってくるからである。わたしが少年期のスディーと話したとき、彼はクムランのことを「共同体」と呼んでいた。」

「考古学者の情報によると、クムラン共同体における規則を定め管理していたのは聖職者だった。彼らの『死海文書』の翻訳に基づくと、エッセネ派の規則はとても厳しく、なかには非常に厳格なものもあった。しかしそれらはわたしが入手した情報とは相反するものであった。エッセネ派は公平で慈愛に満ちあふれた人たちだと思っていたからである。スディーを通じて伝わってくるエッセネ派の印象は、やはりわたしの思ったとおりの人たちだった。多くの場合、そのようなことが起きてしまうのは翻訳の仕方や技法に問題があるからだろう。」

「クムランはいわゆる「普通の学校」ではなかった。(・・・)クムランの学校では、わたしたちの想像の域をはるかに超えた、とても奥深い内容の授業科目を教えていた。クムランの図書館には、多くの謎が隠されていることもあきらかになった。」

「S(スディー)/カルー族は、故国から遠く離れた地へ旅立った種族である。彼らが培った叡智をこの世の人々と共有するため・・・・・・そしてその知恵を伝授するためだ。エッセネ派はカルー族の末裔だと伝えられている。我々は、その滅びゆく種族の一員であるらしい。我々も同様に培った叡智を人々に伝え、それを広めるための教育を受けている。再び高度文明の時代を到来させるためだ。」

「スディーが「イエスとヨハネ」について話しているとき、いつもその声には真心がこもり、愛情がにじみ出ていた。彼らはスディーが受け持っている唯一の生徒たちだった。そして全身全霊を捧げて、彼らに律法を教えていた。クムランの先生たちがいかに彼らの教育に力を注いでいたかが伺える。さぞかし重要なプロジェクトとして扱っていたにちがいない。」

「D(ドロレス)/わたしたちの時代のこの地上界では、イエシュアは「わたしたちの罪のために死んだ」といわれています。また、それに反論する意見も出ています。自分自身の行動や言動の責任はすべて自分にあるという意見です。やはり自分自身の行動の責任はすべて自分にあるのではないでしょうか?
S/(ため息をつく)これは答えるのは非常にむずかしい質問だ。(・・・)
 おそらくいろいろな要因が重なり合ったことで「人間が犯した罪のために死んだ」といわれているのだろう。イエシュアは世間から嘲笑され、屈辱を味わうために磔にされたのだ。嘲笑や屈辱などを乗り越えて、無我の境地に到達するためだ。我々もイエシュア同様に無我の境地に達することができるということを示すためだった。また、人々に示すだけでなく、それを体験するのがイエシュア自身の学びでもあった。イエシュアは弟子や民衆が思っているほど完璧な存在ではなかった。磔刑になることでイエシュアは自分に課せられていた罪を償ったのだ。そして、世間に対し、自分たちに課せられた罪を償うことに恐れを抱く必要なないということを示したのだ。罪の代償を支払うことで、我々にも超越できるということを。これが磔刑になった理由のひとつだ。イエシュアはどんな人間であれ、それらをすべて乗り越えることができるということを表現したかったのだ。
(・・・)
S/他人が犯した罪のためにイエシュアが死んだわけではない。自分の罪の代償は自分で払うだけだ。今回の人生で代償を払えなければ、来世で払うことになる。もしくは来来世かもしれない。いずれにせよ、だれかを傷つけた罪の代償は、最終的に自分で刈り取らなければならないのだ。
(・・・)
S/イエシュアは神のごとく崇拝する価値のある存在ではある。もうその域に達している。イエシュアは我が身をもってそのことを証明した。たしかにイエシュアは驚くべき存在ではあるが、イエシュアのことを闇雲に崇めてはならない。また、イエシュアのことを神格化してもいけない。我々も神の一部であるからだ。(・・・)
S/(イエシュアは)自分のことを「ガイド」、または「守護天使」のような人類を導く存在に思われたいと思っている。人間が本来持っている大いなる力を発揮できるよう、そして悟りの境地へと導く手助けをする存在だ。人々の霊性を高め、みえない領域をも知覚できるように手助けをしたいと願っている。イエシュアは自分のことを人間が困ったときにアドバイスを与えられるヘルパーかガイド、もしくは親友のような存在だと感じている。
(・・・)
S/絶対に盲目的に従ってはならない!常に疑問を抱くことだ。自分自身の頭で考えることで、その答えの価値を高めることになる。そては自分の頭で必死に考えて「導き出した答え」だからだ。ただ「与えられた答え」よりも、それははるかに価値が高いのだ。疑問を抱かない人間には信念がない。疑問に思うことで、物事のさまざまな角度や可能性を考慮する必要がある。さんざん考えた末に出した結論であれば、そこには強い信念が生まれる。そのような過程を経て出した答えだけが「信じる価値があるもの」となるのだ。」

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