中嶋洋平『社会主義前夜――サン=シモン、オーウェン、フーリエ』/『オーウェン サン=シモン フーリエ』 (中公バックス)
☆mediopos2893 2022.10.19
フーリエの名をはじめて目にしたのは
ロラン・バルトの『サド、フーリエ、ロヨラ』だったが
そのときサドとロヨラについてはなんとかイメージできたが
フーリエのことはよくイメージできないままだった
ロラン・バルトがなぜその三人をとりあげたかといえば
それぞれが独自の言語体系を創り出したからだというが
フーリエが創り出したのは
社会的な幸福を追求するユートピアの言語体系である
フーリエは
「オーウェン サン=シモン フーリエ」というように
三者がセットで論じられることが多いのだが
それは「空想的社会主義」と呼ばれている
なぜそう呼ばれているかといえば
マルクスとエンゲルスがあの『共産党宣言』において
その三者の名が労働者階級と資本家階級の闘争の
未発達な時期の思想家さらには「空想的」な思想家として
並べられたことからそう呼ばれることになっている
そしてその「空想的社会主義」に対して
じぶんたちは「科学的社会主義」であるというのである
しかし三者は「空想的」であるのではなく
一九世紀初頭
フランス革命と産業革命で荒廃したヨーロッパで
それぞれの立場と視点において
労働者と資本家というように
格差によって分断された社会の諸問題を
どのように建て直していかなければならないのか
そんな問題意識をもって活動した
「〝社会〟プランナーのような人びとだった」
というのが本書『社会主義前夜』の基本的な視点である
三者の活動によって
その後多義的にとらえられることになる
「社会主義」が結果的に生みだされ
その影響をおそらく多分に受けながら
マルクスとエンゲルスは三者を「空想的」と形容することで
みずからの構想を「科学的」として意味づけかったのだろう
それが「科学的社会主義」ないし「共産主義」である
しかし三者の問題意識やその活動を
「空想的」と呼ぶこともできないし
たしかに「社会主義」としてしまうこともできない
「社会主義」が袋小路のようになった感のある現代において
かつて三者が「社会主義前夜」において
それぞれ取り組もうとした営為のなかから
さまざまな格差等の問題の「種」を
あらためて見いだしていくことが必要だと思われる
■中嶋洋平『社会主義前夜――サン=シモン、オーウェン、フーリエ』
(ちくま新書 筑摩書房 2022/10)
■『オーウェン サン=シモン フーリエ』
(中公バックス 中央公論社 1980/3)
(「中嶋洋平『社会主義前夜』より)
「サン=シモン、オーウェン、フーリエは「空想的社会主義(utopian socialism)」という表現でよく知られている。世界史や現代社会、あるいは公民といった科目の教科書において、彼らは空想的社会主義の代表的人物として挙げられ続けている。
また、教科書に登場する対義語のような表現は科学的社会主義(scientific socialism)、あるいは共産主義(communism)で、カール・マルクス(一八一八〜八三年)とフリードリヒ・エンゲルス(一八二〇〜九五年)によって構想された、となっている。
社会主義にも「空想的」と「科学的」の二つがあるというわけだが、字面だけ見て考えるなら、ふらふらとして地に足のつかない「空想的」に対して、しっかりと構築された理論を持った「科学的」というイメージが湧いてくるだろう。あるいは、「空想的」な状態で生まれた未熟な「社会主義」が「科学的」なものに成長した、というストーリーが頭の中に描かれるだろう。
ところが、サン=シモンもオーウェンもフーリエも、社会主異議を打ち立てようとか、社会主義のために戦おうとか、そんなことをまったく考えもしていなかった。そもそも、三者は同じ時代を生きていたというだけであって、社会主義のために一緒に仕事をしたという事実はなかったのである。
実のところ、社会主義という表現とは、サン=シモン、オーウェン、フーリアの周辺の人びとや、三者よりも後の時代の人びとがそう呼ぶようになったことで生まれたにすぎない。
空想的という言葉もまた、科学的社会主義とも共産主義者とも名乗ったマルクスとエンゲルスがそのように表現したのである。サン=シモンもオーウェンもフーリエも、自分たちの構想を空想的であると考えていたわけではない。」
「一九世紀初頭にサン=シモン、オーウェン、フーリエが思想活動や実践活動を開始したことで、社会主義という思想系譜が生まれたことは紛れもない事実である。そして、マルクスとエンゲルスは先駆者たちの構想を批判的に検討しながら、科学的社会主義とも共産主義ともマルクス主義とも呼ばれる自分たちの構想を確立していった。
「もっとも、こうした三者のあり方、あるいは行動にゆいて、マルクスとエンゲルスは否定しているわけではなく、社会主義のさきがけとして評価している。三者の思想や行動があったからこそ、社会主義という思想系譜が生まれたからである。しかし、それらを「空想的」や「実現不可能な」を意味する表現で形容することで、マルクスとエンゲルスは自分たちの「科学的社会主義」を社会主義社会の実現を可能にするもっと優れた思想だと示した。」
「誤解を恐れずに今日的な表現を使うなら、サン=シモン、オーウェン、フーリエは、〝社会〟プランナーのような人びとだったと言えよう、
工場経営者であったオーウェンの場合、資本家と労働者の貧富の格差や労働者の悲惨な生活を目の当たりにしながら、実際に企業経営の実践をとおして労働者の境遇の改善を進めた。そのようにして、資本主義社会の矛盾を解消しようと行動した点で、社会企業家のさきがけのような人物であった。
また、サン=シモンとフーリエの場合、それぞれの生まれ育った境遇は大きく異なるが、両者ともに上述のような社会問題を解決するために、著作の刊行という思想活動をとおして社会のあるべき理想像とその実現方法を広く世の中に提示していった点で、社会プランナーと呼んでよいような人物であった。フーリエが多様性を持った人間の包摂と共生を可能にする協同体を構想する一方で、サン=シモンは資本家と労働者の融和を実現しようと、自由な産業活動をとおして生まれる新しい宗教のあり方を構想した。
(・・・)
ところが、サン=シモン、オーウェン、フーリエによって社会主義という思想系譜が生まれた後、この三者の本来的な思想と行動とは必ずしも一致するわけではないままに社会主義が大きく発展していった。したがって、三者に近い立場から社会主義を捉えるのか、三者を「空想的」と形容したマルクスとエンゲルスに近い立場から社会を捉えるのか、あるいは他の思想家の立場から社会主義を捉えるのかによって、社会主義の解釈は大きく変化する。社会主義は実に多義的なものとなってしまったのである。」
「貧富の格差を完全に消滅させることは不可能であっても、せめて労働環境を整備したり、貧困層の境遇を改善したりと、理想に近づこうとすること自体は不可能ではない。むしろ、どんな理想も掲げられない世界では、現状の問題が問題として認識されていないのだろうし、誰もが現在を改善することを意識していないのだろう。それは実に不幸な状況と言えよう。
「空想的」であることは、社会を変えていくために必要な姿勢なのである。」
「サン=シモン、オーウェン、フーリエの構想はマルクスとエンゲルスの構想に比べれば、構築されているとは言い難い。
経営実践をとおして労働者の境遇の改善を進めるとともに、私有財産制度を基礎とした資本主義の矛盾を解消する方策として、労働協同体という理想の実現を目指したオーウェン。このようなオーウェンを批判しながら、多様性を持った人間を包摂して共生させる「ファランジュ」という名の理想社会を構想したフーリエ。はたまた自由な産業活動をとおして生まれる道徳を新しいキリスト教に昇華させたうえで、その下での資本家と労働者の融和を構想したサン=シモン・・・・・・。
いずれの人物もが、目の前に現れた新しい「社会」とそこで生じている貧富の格差といったさまざまな問題をなんとかしたいという強い思いを持っていた。ただし、そうした強い思いから生まれた構想が資本主義の矛盾を解消できるかといえば、それは決してかんたんではなかった。
とはいえ、二〇世紀におけるソ連を中心とした東側諸国での社会主義建設の実験と失敗を、あるいは革命という大変動によって生みだされた多大な犠牲を踏まえながら、二一世紀の現代を生きるわれわれは目の前の「社会」をなんとかしたいという強い思いを持つことによって、ひとつひとつの問題の解決を目指していくしかないだろう。」
「一%の富裕層による富と利益の独占が問題視され続ける二一世紀とはいえ、今さらソ連の政治体制を復活させるわけにはいかず、あくまでも資本主義を基軸として社会をどうにかして持続させていこうとするとき、サン=シモン、オーウェン、フーリエの社会を前にした思想と行動はわれわれにとって見習うべきでありこそすれ、無視できるものではないのである。」