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岡崎乾二郎「形態の黴」(『而今而後』)/植草甚一『植草甚一スクラップブック14』

☆mediopos3588(2024.9.15)

ここで引用した岡崎乾二郎のテキストは
「パウル・クレーの芸術」展
(一九九三年四〜七月)を契機に執筆され
『GA JAPAN』第5号に掲載されたものからで
岡崎乾二郎『而今而後』に収められている

テキストは
ほとんどセロニアス・モンクの演奏と
ブルー・ノートにおける音程のズレ・ゆらぎを
「ある形態が他の形態に変化するかもしれない
変化の徴候(=形態の黴)」としてとらえた
音楽論となっているが
それが同時にパウル・クレー論となっているのが面白い

「ブルー・ノート」はもともと
「カビくさい、おじけづく、びくびくしている、
という否定的な意味合いから転じたもの」で

その意味において
「ファンキーという言葉が示す言葉の領域はみな
「不安」、それも何か予期しないものが来る、
失敗するかもしれないという不安を中心に
形成されていたことになる」

「ブルー・ノート」は捉えどころのない
「逸脱した音であり、故意に間違ったような音」であり
「音階の決定に先行し」ていて
「その音の間違いがどのようなコードに
対応しているのかが一義的に決定できなくなってしまう」
逆にいえば「ブルース・スケールのように
音階として合理化してしまった途端、
ブルー・ノートらしさを失って」しまうことになる

それは「顔絵の認識に似ている」のだという
そしてそこでパウル・クレー(の天使)とリンクしてくる

「「へのへのもへじ」のように単純に描かれた顔の一部、
たとえば「へ」の一端が少し曲がっているだけで、顔
全体の表情が変わってしまう。
形態認識はあくまでもファジー」であって
「ひとつのかたちの全体をそのかたちとして
同定させる決定因は、個々の要素の一つでもないし、
外部に客観的なスケールがあるわけでもない。」

「実は私たちが表情として見ているのは、
顔の全体ではなく、
その顔の非常に細かいディテールの変化だけ」
つまり「ここにある形態が他の形態に
変化するかもしれない変化の徴候」なのである

ここで論じられているのは
未来を先取りするかたちでの変化に関係した
「形態認識」についてである

「一般に形態について思考するときの過りやすさは、
それを類型として考えてしまうところにある。」

「類型」といいながら
それは現実化することにありえない
「想像的な存在であるほかない」

「私たちは現象化したものから感じられる
「何かからズレている」という感覚から、
逆に類型すなわち形態が
存在するだろうことを想像している」

つまり「形態とは、この決して一般化されえない
「ズレ」としてだけ現象するのである。」

そしてその「ズレ」が
「「悲しい」「怖い」「おかしい」などの
あらゆる感情発生の源となる」

テキストではそのことを実感させてくれる典型として
ブルー・ノートのセロニアス・モンクの演奏と
パウル・クレーの天使が挙げられている

どちらも「すでにある」過去のかたちではない
「これからくる未来を先取りするようなかたち」でしか
現れてこないかたちなのである

ある意味では目の前にあるどんな「形態」も
「すでにある」過去のかたちとしてとらえたとき
その「形態」のほんらいをとらえそこなっているといえる

■岡崎乾二郎「形態の黴」
 (岡崎乾二郎『而今而後(ジコンジゴ)──批評のあとさき』
  岡崎乾二郎批評選集 vol.2 亜紀書房 2024/7)
■植草甚一『植草甚一スクラップブック14』(晶文社 1976)

**(岡崎乾二郎「形態の黴」より)

*「ブルーノートと呼ばれる音がある。もちろんこれはブルースをブルースに、ジャズをジャズたらしめるもっとも重要な音である。これがなければ、ジャズはあのファンキーな感覚を失ってしまう。

 ファンキー。FUNK。COOLやBADといった黒人スラングによくあるように、この言葉ももともとはカビくさい、おじけづく、びくびくしている、という否定的な意味合いから転じたものであった。煎じつめればファンキーという言葉が示す言葉の領域はみな「不安」、それも何か予期しないものが来る、失敗するかもしれないという不安を中心に形成されていたことになる。

 カビくささがファンキーにつながっているというのは意外な気もするが、ブルー・ノートがいわばジャズという音楽に発生した青いカビなどだとたとえれば少しは納得しやすい気もする(ブルー・チーズみたいに?)。しかしながら、ブルー・ノートの奇妙な仕組みを理解するには、われわれはチーズが必要なのだと考えるくらいの発想の転換が必要である。

 ブルー・ノートはいったい全体、捉えどころのない音である。それは逸脱した音であり、故意に間違ったような音である。(・・・)間違った音といっても、どの音どの音程から間違っているのかが決定できないのだ。言い換えると西洋の和声理論では、まず音階が決定され、そこからそれぞれの音程そしてそのズレ、間違い具合がはかられるという道筋になるわけだが、ブルー・ノートはその音階の決定に先行してしまっているということである。したがって、その音の間違いがどのようなコードに対応しているのかが一義的に決定できなくなってしまう。このことはブルー・ノートをブルース・スケールのように音階として合理化してしまった途端、ブルー・ノートらしさを失って、つまりファンキーでなくなってしまうという事実でもよくわかる。」

*「もっとも納得のいく説明は、それが音階ではなく、音型認識の不安定さに由来しているというものである。ここでいう音型とは「旋律のかたち」と言い換えられる。西洋音楽では「旋律」は最終的には「和音」という法に従属することになって、その形態の独自性は解消されてしまうが、ここでは順序が逆である。それは似顔絵の認識に似ている。「へのへのもへじ」のように単純に描かれた顔の一部、たとえば「へ」の一端が少し曲がっているだけで、顔全体の表情が変わってしまう。形態認識はあくまでもファジーである。ひとつのかたちの全体をそのかたちとして同定させる決定因は、個々の要素の一つでもないし、外部に客観的なスケールがあるわけでもない。それは先験的であるかのように現れる。たとえば私たちが似顔絵の表情を見るとき「そこに顔がある」ということは、それを見る「私に顔がある」というのと同じように疑いえない自明の事柄である。実は私たちが表情として見ているのは、顔の全体ではなく、その顔の非常に細かいディテールの変化だけなのである。にもかかわらず、私たちはそこに顔全体の表情そしてその変化を見ていると感じている。性格に言えば、そこで表情として読み取っているのは、いまある顔自体の形態ではなく、たとえば、その顔がこれから怒るかもしれないという変化の徴候なのである(fig-1/パウル・クレー《疑いを持つ天使》1940)。ここにある形態が他の形態に変化するかもしれない変化の徴候。

 いわば、この変化の徴候がカビでありブルー・ノートである。これは細部のように見えてあくまでも全体に関わる。それもまた、ここには現れていない全体に——。」

「(ホイットニー・パリエット/植草甚一『植草甚一スクラップブック14』晶文社〔1976〕より)
  間違った音程の連続であるかのようなコード進行にともなった何だか分からない粘っこい弾きかた。なんだか急に驚いたような鍵盤へのタッチ。叩き方が充分でないうような音を出したのは、いささかあわてたのかと思っていると、急にうしろから背中をドンとたたいて驚かすような大きくて鋭い音を出し、こうした真似をくりかえしていく。しかし、この誰でも感じる混沌状態は、それれぞれの瞬間が、誤ることなしに全体として緊密に統一されはじめ、逆に不思議なリズムを生み出すようになる。」

*「ブルー・ノートとはまさしくこのセロニアス・モンクの演奏に見られるようなものだ。

 不安定な音の存在がジャズのスリリングなコード展開を可能にする。演奏者は間違った音を取り繕おうとして(構造を与えようとして)、ますます多くの間違った音を生成させて、そのたびに旋律の形態は別の形態へと次々と展開していくことになる。

 というわけで、このファンキーなリズムが不安を基礎的な感情にしているということも少しは理解しやすくなった。不安は人を、あらゆる細部にびくびくと敏感にさせる。あらゆるところに変化の徴候がある。それだけでない。そもそも形態認識それ自体が、こんな切実で危機的な感情に裏打ちさせて、はじめてくっくりと機能しはじめるのだ。」

*「一般に形態について思考するときの過りやすさは、それを類型として考えてしまうところにある。ところが、その類型とされるものが現実化することはありえず、それは想像的な存在であるほかない。つまり、私たちは現象化したものから感じられる「何かからズレている」という感覚から、逆に類型すなわち形態が存在するだろうことを想像しているのだった。形態とは、この決して一般化されえない「ズレ」としてだけ現象するのである。そして「悲しい」「怖い」「おかしい」などのあらゆる感情発生の源となるのも、この「ズレ」だったのである。

 形態はつねに感情に裏打ちされていた、ととりあえず言っておいてもいいが、もっと重要なのは、それらが共に、時間的な変化、それも未来に起こるであろう出来事に関係しているということである。環境に形態が重なり合ってくるのもこのあたりであり、それは「すでにある」という過去ではなく、いつも、これからくる未来を先取りするようなかたちでしか、私たちの目の前に現れてこない。」

◎Thelonious Monk - Blue Monk (Norway, 1966)


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