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デイビッド・モントゴメリー+アン・ビクレー  『土と脂 微生物が回すフードシステム』 /ルドルフ・シュタイナー『身体と心が求める栄養学』

☆mediopos3635(2024.11.1.)

『土と文明史』『土と内臓』『土・牛・微生物』に続く
デイビッド・モントゴメリーの最新第四作『土と脂』
アン・ビクレーとの共著としては『土と内臓』に続く二作目

『土と文明史』では
「土壌の肥沃さと文明の盛衰興亡との関係を明らかにし、
土壌を荒廃させた文明が滅亡することを示し」

『土と内臓』では
「植物の根と人間の腸の類似性に注目し、
どちらにおいても微生物が栄養の取り込みと免疫に、
ひいては植物と人間の健康に重要な役割を
果たしていることを明らかにし」

『土・牛・微生物』では
「土壌を疲弊させず、反対に豊かにするような農業の可能性を、
世界各地での取材に基づいて提起している」が

本書第四作『土と脂』はその原題が
「What Your Food Ate」(あなたの食べものが食べたもの)
とあるように
私たちがなにを食べているかについて
その見方を変えてくれる

私たちはじぶんの食べたさまざまなものについて
その食べものとなったものが食べたもののことを
意識しないでいることも多いが

「野菜、果物、コメやコムギなどの穀物は土から育」つが
「肉やミルクを作るのは家畜が食べた餌であり、
それもまた土に育ったもの」

つまり「私たちの食べものが食べたものとは土であり、
その健康は、さらにそれを食べる人間の健康は、
土に左右される」ことになる

土が健康でなければ
そこから育ったものが健康であることは難しい

土の健康の鍵となるのは土壌生物である

土壌生物を損なうような農法は土壌の健康を損ない
つまりはそこから育ったものを食べている人間は
健康を損なうことになってしまう

良質な土壌で育ったホウレンソウやニンジンには
そうでない土壌で育ったそれらの
四倍の栄養が含まれているという
同じ量の食物を採っても同じだけの栄養は採れないのだ

とくに不足してしまいがちなのは
ほんらい含まれているはずの微量栄養素や
ファイトケミカルといった健康維持に必要な成分である

本書の邦訳の題名となっている「地の脂」は
第11章の章題ともなっているが
旧約聖書の創世記にある言葉で
「その土地の最上のもの」として訳され
英語の慣用句「live off the fat of the land」
「土地の恵みで豊かに暮らす」という意味

土壌の健康が損なわれてしまうことになったのは
化学肥料や耕起による近代農法が
土壌生物と植物の協力関係を損なってしまい
「土地の恵みで豊かに暮らす」ことが
できなくなってしまっているからである

私たちは「健康」に関心がないわけではない
むしろ健康志向はますます高まっている
メディアにもそれに関する情報はあふれている

しかし栄養や健康成分への関心は高くても
食品のなかにほんらい必要な養分が
たしかに含まれているかどうか
それがどのような「土壌」に由来しているのかについて
意識的であるとはいえないだろう

本書の著者モントゴメリーとビクレーは
膨大な論文を精査し
かつ実地の調査を行うことによって警鐘を発し
土に健康を作物に栄養をそして私たちに健康を与えてくれる
そんな食べものと身体の見方を示唆してくれる

ちなみにルドルフ・シュタイナーは
「人間は、食べるところのものである」と言っているが
それはたんに物質的な観点だけからの言葉ではない

「私たちの周囲にあるものは、
すべて霊的なものの現れ」だからである
つまりそこには物質的なプロセスだけではなく
霊的なプロセスも存在している

物質の背後には霊的なものが存在し
私たちは目の前にあるものだけを食べているのではなく
その背後にある霊的なものもいっしょに食べ
「私たちは食べものをとおして、
その背後に存在する霊的なものと関係する」という

シュタイナーがその視点を通じて問いかけているのは
「いかにして、食べものをとおして、
食べものによる拘束から自由になるか。
いかにして、体内で生じるプロセスの支配者になるか」
ということである

その点においても
食べものそのものに加え
『土と脂』で示唆されている
土壌や人体内でのマイクロオーム(細菌叢)が
重要な示唆ともなり

さらには肉食や菜食の問題
そして「どのように調理するか」
「どのような仕方で食べるか」
といったこともそこには関わってくるだろう

「健康」であるということは
それらすべてに関わってくる問いである

「人間は、食べるところのものである」からである

■デイビッド・モントゴメリー+アン・ビクレー (片岡夏実訳)
 『土と脂 微生物が回すフードシステム』(築地書館 2024/8)
■ルドルフ・シュタイナー(西川隆範訳)
 『身体と心が求める栄養学』(風濤社 2005/1)

**(『土と脂』〜
   「序章 「土壌の健康が食物の質に影響する」は本当か?」より)

*「ほとんどの人は友人や家族と食卓についたとき、土のことなど考えない。だが考えるべきなのだ。みんな、新鮮なモモが山盛りのしょっぱいポテトチップスより健康的であることを知っているが、健康に対するもう一つの側面は見失われがちだ。つまり、そのモモに何が含まれていて、どのようにしてそこまでやってきたのか──食べものをどう育てているのかだ。

 何を食べるべきだとか何を食べてはいけないとかいう扇情的な見出しが世の中にはあふれているが、普通の食料品店のニンジンは、私たちの曽祖母がその子どもたちに食べさせていたものより含まれる亜鉛が少ないとか、網の上でじゅうじゅうと音を立てている牛肉は、私たちの祖父母が子どものころ食べていたものより、たぶん鉄分がはるかに少ないことを、知る者はほとんどいない。栄養が減少しているという気がかりな報告は、果物や野菜から穀類、肉、乳製品まで、人間のあらゆる食物にわたっている。農業の将来をめぐる議論の中で聞こえてくるものは、主に有機農業と慣行農業〔化学肥料・農薬の使用、定期的な耕起を伴う農業〕の違いが中心だが、実際のところはそんな単純なものではない──そしてはるかに面白い。

 過去1世紀、農業慣行〔農業のやり方〕は、食事によって得ることのできる有益な成分の量を減らす方向に食べものを変えてきた。それは果物や野菜に含まれるがんを防ぐのに役立つものから、炎症を抑える肉や乳製品の脂肪にまでわたる。脂肪が身体にいいなどと聞いたこともない、植物由来のファイトケミカルが食事に足りないと健康に悪影響があることも知らない人はあまりに多い。しかし一生の健康のこととなると、そうした成分が適切に供給されることが、十分な運動と同様に重要なものだと思われる。

 何を食べるべきかという意見は尽きることがない。人々は、肉は控えるべきだ、もっと食べるべきだ、一切食べるべきではない、人工肉を食べるべきだなどと延々と論じあっている。食物の選択という枠組みからたいがい抜け落ちているのは、われわれが食べるものをどのように育てるかだ。作物や家畜の育て方は、食べものの選択と同じくらい重要であることは明らかだ。」

・土壌生物がもたらす作物の健康

「土壌生物がどのように植物の生長を助けるのか、どのような影響を、植物の身体を作り、ひいてはわれわれの身体となるものにおよぼすのかは、まだ完全にはわかっていない。よりよい土壌は、よりよいモモやニンジンを作る上でどのような役割を果たすのだろうか? もっとも健康によい食物を作ろうとする際、有機農業は役に立つのか? こうした疑問に答えるためには、すべての植物が多種多様な土壌生物と長きにわたって築いてきた関係を調べる必要がある。人間のマイクロバイオーム、特に大腸に棲み、入ってきたものを人間の健康にとって有益な物質に変える腸内細菌叢(そう)が重要であることは、読者も聞いたことがあるかもしれない。同じように、極小の土壌生物は作物の健康に影響する。そしてヒトの身体に当てはまるものは作物にも当てはまる。日常的に微生物との協力関係を壊したり邪魔したりすれば、宿主にとっていいことはめったにない。

 土壌は、大地がもたらす食べものの出発点であり、圧倒的な証拠、観察結果、研究が、正当に評価されていないある要素──農地や牧場の土壌の健康──が食物の質に寄与することを指摘している。これから本書で述べるように、相当な証拠によって土地の状況が作物の健康に、よきにつけ悪しきにつけ影響することが示されている。また牧草、飼料作物、放牧地の栄養状況は、家畜の健康を大きく左右する。しかし土壌の健康はヒトの健康にも影響するのだろうか? 自分たちの食べものが食べたものは、どれくらい自分の健康に関係するのだろう? 農家がどのように土壌を扱い、作物を栽培し、家畜に餌を与えるのかを、皿に、グラスに、身体に入れるものと、数珠つなぎにすることができるのだ。

 土地の扱いは、土地が人間にもたらすものとなって還ってくる。今日の慣行農業の柱、つまり日常的な耕起と化学肥料のふんだんな使用で比較的少品種の高収量作物を栽培することは、土壌の健康状態の悪化と食品中の栄養の低下という双子の問題を助長した。過去一世紀にわたり、銅や亜鉛のような私たちが微量に必要とするミネラルも、カルシウムやマグネシウムのようにもっと多量に必要なものも、食物から失われている。昔は「1日1個のリンゴは医者を遠ざける」と言ったものだが、今では一日に5、6個食べないと同じ効果は得られないだろう。

 こうした変化は意図したものではなく、不用意に量だけを追求した結果として起きたことだ。ここ数十年で私たちは、作物がミネラルやその他健康のために重要な栄養素や物質を、どのようにして得たり失ったりするのかわかるようになった。地下の土壌共生細菌と菌類の群集が、植物に栄養と情報を提供するために人知れずはたらいているのだ。そして、農業慣行がこうした群集を形成し、したがって作物、肉、乳製品の中に──究極的には私たちの体内に──作り出される、健康の増進に役立つミネラル、脂肪、ファイトケミカルの種類と量を決定づける。しかし主流の農業で行なわれる主力のやり方は、土壌マイクロバイオームを混乱させ、近代農業が化学物質に依存するきっかけとなった。有益な土壌生物の代わりに化学合成された資材に頼る農家が増えるほど、後者が必要になり、前者は失われるのだ。

 幸い、これから見るように、農家が土壌生物を繁殖させ、より健康な食物を生産できる、実用的で費用対効果の高い方法がある。しかしそうするためには、土壌に対する考え方を変えることが必要だ。次章以降では、土壌生物を失えば食物の栄養素が減少し、人間の健康が損なわれるという負のスパイラルにつながることに前々から気づいていた先見的な人々を紹介し、土地に生命を、作物に栄養を取り戻している革新的な農家について述べる。これは、大地から私たちへと健康がどのように流れるかという話だ。問題は農業のやり方であり、環境の健康と人間の健康のどちらかを選ぶ必要はないのだ。私たちは土地とみずからの身体両方の健康を築き、守るように食料を供給できるのだ。」

・健康な土と良い食べものをつなぐ科学的な根拠

「環境再生型(リジェネラティブ)農業慣行は、土壌侵食を押しとどめ、土壌の健康を増進し、土壌有機物(土壌炭素)を蓄積するのに役立つ。それは燃料、化学肥料、農薬への出費を削減するとして、アメリカの農家のあいだで流行し始めている。実際、リジェネラティブ農業慣行を採用した農家は、それまで農業化学メーカーから買っていたもののほとんどを、生物に置きかえられることに気づく。同時に、より持続可能な商品を消費者が求めるようになったことが契機となって、リジェネラティブ農場をサプライチェーンに取り込もうとする企業が増えている。だがこうした農産物は、本当に健康にいいことが証明されているのだろうか? 健康で肥沃な土壌からはよい食べものが収穫できるという主張に、科学の裏付けはあるのか? あるとすればリジェネラティブ農業は人間の栄養にとって──そして公衆衛生にとって──どのような意味を持ちうるのだろうか?

 食生活に関連する病気は特定の栄養素の不足から起きると、われわれは考えがちだ。壊血病を例に取ろう。ビタミンCが豊富な柑橘類を摂るようになると、壊血病はすぐによくなる。これは英国の海軍軍医ジェームズ・リンドが、1749年に軍艦ソールズベリー号で行なった有名な医学実験で証明している。このように簡単に治ることもある。だが、ある種の疾患の治療や、そもそも健康を維持するのは、はるかに複雑だ。この場合、ヒトの食事に含まれる食品の組み合わせが重要になる。ファイトケミカル、ミネラル、脂肪、その他の食品中の物質は相乗的に作用しあうからだ。そして農業慣行がそのすべてに影響するという事実は、不穏な疑問を私たちに投げかける。近代農業はわれわれの健康にとって、実のところどれほどよいものなのだろうか?

 もちろん、私たちは、劣化した土壌で育った食べものが、人類が直面する厄介な健康上の動向すべての原因だなどと主張しているわけではない。たしかに、私たちの健康──よいにせよ、悪いにせよ、その中間にせよ──は、遺伝子、食事、身体活動のレベル、マイクロバイオームから、居住し、働き、遊ぶ環境での毒物や病原体への曝露(ばくろ)まで、相互作用する多彩な要素を反映する。また、過去一世紀のあいだに、慢性疾患の発生数と種類が大幅に増えているのは、診断と観察の範囲が広がったことも一因だ。だが近年、治癒と老化のプロセスと同様に、ヒトの免疫システムの解明が進んできたことを考えると、今こそ主流の農業慣行が、頑健な身体の維持に必要なものすべてを作物と家畜に取り込ませているかどうかを見直すときだ。

・ジャンクフードの下に隠された飢餓

「食物の栄養素の減少に気づく人がきわめて少ない主な理由は、たぶん一時的にせよ、ほとんど解決してしまった大昔からの課題──すべての人を養えるだけの作物を生産すること──に社会が執着していることだ。十分な食料を手に入れることが明らかに困難な人々は、依然としてあまりに多いが、隠れた飢餓は、欧米化された現代世界にあふれる安くありあまるカロリーの洪水の下に沈んでいる。面積あたり収量、動物の体重、牛乳の量というような収穫高を重視するのは結構なことだ。それは腹を満たし、農家が収入を得るのに役に立つ。だが収穫物の量は、その食べものに十分な量の栄養が適切な組み合わせで含まれているか、私たちが若いときは成長を助け、生涯を通じ、特に高齢になってからも健康を満たすものであるかについて、何も言っていない。

 ゆっくりとした進化の過程で磨かれた私たちの身体は、先天的な栄養学の知恵を発達させた。人間の生命現象に深く埋め込まれたそれは、私たちを健康的な食事へと導く羅針盤のような役割をする。その過程で、触覚、嗅覚、味覚は、何を食べ何を食べるべきでないかを判断するのに役立つ。人間の脳の約半分は見たものを処理し、選別し、解釈するためにもっぱら使われている。そして食べものの外見と味は、われわれを栄養へと導くものとして頼りにする手がかりを含んでいたのだ。

 だが今日、われわれの栄養の知恵に頼って、現代の食料品店にある食物の質を判断しようというのは危なっかしい考えだ。私たちの誰もが、見かけは立派だがパサパサしたモモやスカスカのリンゴをかじってがっかりした経験を持っている。現代のマーケティングとどこにでもある高度に加工された食品は、生まれながらに持っている栄養の知恵をさらに混乱させ、あらぬ方向に誘導する。目に鮮やかなキャンディのように、いかにもおいしそうな写真をあしらったカラフルなパッケージ入りの高度加工食品は、魅力的な味付けをされたエンプティ・カロリー〔カロリーが高く栄養価が低い食品〕の摂りすぎへと私たちを誘惑する。加えて、育種家は一般に、収量、収穫のしやすさ、輸送、貯蔵を、味や栄養より重視して選択する。食べものに何が入っているのか、失われているかもしれないものは何か、それはなぜかと疑問を持つ人が増えているのは不思議ではない。

 では健康を意識する消費者はどうしたらいいのか? オーガニック食品はその簡単な解答になるのだろうか? 必ずしもそうではない。これから見るように、栄養豊富な食物を届けるために、見慣れた緑と白のオーガニック・ラベルはいつも当てになるわけではないのだ。ほとんどの有機農家は、こと農業のもっとも象徴的な行為である耕起となると、慣行農家とあまり変わりがない。そして生きている生態系の中に犂(すき)を通すことは、家を竜巻が襲うようなものなのだ。植物が依存する土壌生物は傷つけられ、そのすみかはばらばらになる。さらに、議論はあるものの現在オーガニックの名の下で認められている慣行──土を使わない水耕栽培や乳牛のつなぎ飼い、ニワトリのケージ飼い──は、栄養や動物福祉のような、ほとんどの消費者がオーガニック食品と結びつけて考えるものをもたらすとは限らない。

 食べものの育て方を気にかける理由は、台所の外にもいくらでもある。なにしろ、現代農業の幅広い影響力は、農場を飛び出して下流の水質汚染や気候変動にまでおよんでいるのだ。その上、農場で働く人々の健康と福祉は、われわれすべてが考えるべき社会的公正の問題となっている。土地全体にとって──とりわけ土壌の健康にとって──よりよい農業慣行を採用することは、こうした関連問題に取り組む上でも役に立つだろう。

 私たちは量と質のどちらかを選ばなければならないのだろうか? それともすべての人を養うに足るものを作れるのだろうか? リジェネラティブ農業で不毛の土壌を改善すれば、土地に生産力を回復させ、病んだ人々を癒やし、私たちの生活の質を向上できるのだろうか? 大まかに定義すれば、リジェネラティブ農業慣行とは土壌有機物を蓄積し、やがては生産力を高め維持するような方向で土壌生物を支えるものだ。

 人間と農業と健康のつながりを問い、解き明かす私たちの探究は、過去の三冊の本から始まった。最初の本、『土の文明史』では、土壌の侵食と劣化が過去の文明社会の寿命に果たした役割を検討した。『土と内臓』では、植物と人間のマイクロバイオームの最新科学を伝え、土壌と人間の腸には驚くべき共通点があることを明らかにし、農業と医学に変革が求められていることを指摘した。3冊目の『土・牛・微生物』は、この最新科学と歴史の教訓を利用して、環境再生型農業がどのように土壌の健康を再建し、炭素を地下に貯留し、農薬の使用を大幅に減らすことができるかを探究した。これら以前の本はそれぞれ歴史、科学、解決策に対応しているが、読者はどの順番で読んでもいいし、本書から読み始めてもいい。

 地質学者(デイビッド)と生物学者(アン)の目と経験を通して、私たちは農業慣行が土壌から植物、動物、そして人間へと伝わる様子を掘り下げようと思う。人間と土地との関係の背後にある複雑な歴史と科学を探り、健康、医学、人体、それらと食物と農業との交差点を再検討する。その過程で、農学、微生物学から環境科学、栄養学、言うまでもなくウシとヒトの生物学も探究するつもりだ。これらの分野をつなぐ知見は、リジェネラティブ農業慣行が、なぜ、いかにして土壌を回復させ、土地に生命を呼び戻し、人間が健康を取り戻すために必要な栄養豊富で風味豊かな食物を作ることができるのかを説明している。このつながりを理解してしまえば、植物、動物、人間いずれにとっても、健康の根は健康な土壌から生えることが明らかになるだろう。」

**(**(『土と脂』〜「訳者あとがき」より)

*「 本書は、デイビッド・モントゴメリーによる土と農業と人間の関係を探求する著作の第4作であり、アン・ビクレーとの共著としては『土と内臓』に次ぐ2作目となるものだ。

 最初の『土の文明史』は、土壌の肥沃さと文明の盛衰興亡との関係を明らかにし、土壌を荒廃させた文明が滅亡することを示した。初の共著である2作目『土と内臓』では、植物の根と人間の腸の類似性に注目し、どちらにおいても微生物が栄養の取り込みと免疫に、ひいては植物と人間の健康に重要な役割を果たしていることを明らかにした。植物の根と人間の腸は、裏返しのものであり、根を取り巻く土壌中の微生物や腸内の細菌との共生が生きていく上で欠かせないという事実は、ある意味でセンセーショナルだった。3作目の『土・牛・微生物』では、前2作を踏まえて、土壌を疲弊させず、反対に豊かにするような農業の可能性を、世界各地での取材に基づいて提起している。それは、原題Growing a Revolutionからわかるように、農業革命の可能性を予見させる「楽天的な環境問題の本」だった。そして本書では、地質学者であるモントゴメリーと生物学者のビクレーが再びタッグを組み、それぞれの専門から、農業のやり方が土壌から作物や家畜へ、そして人間の健康にどのように影響を与えるかを探っている。

 本書の原題What Your Food Ateは、直訳すれば「あなたの食べものが食べたもの」という意味になる。野菜、果物、コメやコムギなどの穀物は土から育つ。肉やミルクを作るのは家畜が食べた餌であり、それもまた土に育ったものだ。私たちの食べものが食べたものとは土であり、その健康は、さらにそれを食べる人間の健康は、土に左右される。そして土の健康を決めるのは土壌生物であり、土壌生物を痛めつけるような農法を採っていれば、それは土壌の健康を損ない、巡り巡って人間の健康も損ねる。現在、先進国を中心に増加している心臓疾患、がん、糖尿病などの慢性疾患の多くは、その結果と考えられる。

 邦題『土と脂』は、第11章の章題「地の脂」に由来する。これは旧約聖書の創世記にある言葉で、日本語では一般に「その土地の最上のもの」というように訳される。また、英語の慣用句で「live off the fat of the land」は「土地の恵みで豊かに暮らす」という意味だ。だが、土地がもたらす脂は、比喩ではなかった。土の中の物質が、土壌生物のはたらきで脂肪をはじめさまざまな栄養となって、農作物や家畜に取り込まれ、それを人間が食べる。合成化学物質や耕起によって土壌や土壌生物を攪乱すれば、土からの栄養は減ったり、バランスが変わったりするのだ。

 もちろん、解決策はある。土壌生物を増やし多様性を高めるような農法、環境再生型農業(リジェネラティブ)は、作物や家畜、そしてそれを食べる人間の健康を高める。こうした農法は、炭素を土壌に貯蔵する効果を持ち、地球温暖化対策にも貢献する。慢性疾患の予防は医療費の削減につながり、社会全体の利益にもなる。個人、社会、地球環境の健康が一体となる可能性がそこにはあるのだ。

 栄養と健康の情報はメディアにあふれている。だが、食品に含まれる栄養や健康成分への関心は高くても、本当にその食品に期待する成分が十分に含まれているのか、まして栽培法がどのように影響しているのかまで気にかける人は少ない。食べものがどのように育ったかは、健康のために何を食べるべきか、何を食べるべきではないかという議論から抜け落ちているが、食べ物の選択と同じくらい重要だ。モントゴメリーとビクレーはそれを膨大な論文の精査と実地の調査により見事に描き出した。」

**(**(『土と脂』〜「編集部より」より)

*「質の良いホウレンソウやニンジンには、質の悪いものの4倍の栄養がある。アメリカの子どもたちは、米国史上初めて、親より寿命が短く不健康な生涯を送ると予想されている。

 これらはともに、本来食べものに含まれる微量栄養素やファイトケミカルといった健康維持に必要な成分の不足を示している。

 その原因は、近代農法が、化学肥料や耕起によって、土壌生物と植物の協力関係を絶ってしまったからだ。

 土壌生物の力を取り戻すには、不耕起・被覆作物・輪作を柱とする環境再生型農業が重要だと、取材を重ねた著者らは語る。さらに、それらの農法は土と食物中の栄養を改善するだけでなく、炭素を土壌にとどめることで、地球温暖化の抑制も可能にする。」

**(シュタイナー『身体と心が求める栄養学』〜
   「精神科学の光に照らした栄養問題」より
  (1908年12月17日、ベルリンでの公開講演
   GA57『どこで、いかに精神を見出すか』所収)

*「精神科学は、「人間は、食べるところのものである」という言葉を、唯物論者とは別の意味で用います。

 精神科学にとって、私たちの周囲にあるものは、すべて霊的なものの現れです。鉱物・植物など、私たちの周囲にあるものは、外面的に見れば物質ですが、じつは霊的なものの現れなのです。物質の背後には、霊的なものが存在します。食べものの背後にも、霊的なものが存在するのです。私たちは、目のまえにある食べものだけを食べるのではありません。私たちは食べものの背後に存在する霊的なものも、いっしょに食べるのです。私たちは食べものをとおして、その背後に存在する霊的なものと関係するのです。

「人間は、食べるところのものである」という言葉は正しいのですが、その際、物質的なプロセスだけでなく、霊的なプロセスも存在していることを理解しなければなりません。

 精神科学が食べものの研究に重きを置いているのは、その研究をとおして人間と自然の関係を見通すことができるからです。人間は自然のなかに生きています。「人間は外界に働く力に従っている。人間は、この力から自由になることはできるのか。人間は、食べものをとおして周囲の力から自由になることはできるのか。人間は、食べるところのものであるとしても、別様の食べ方をすることによって、食べものによる規定から自由になることができるのではないか」という問いが発生します。

「いかにして、食べものをとおして、食べものによる拘束から自由になるか。いかにして、体内で生じるプロセスの支配者になるか」という問いが、精神科学のなかで生じます。」

*「人間は食べものの大部分を、動物界と植物界から取っています。現在では、肉食だけとか菜食だけとかいう人は少なく、多くの人はこの両方を食べています。食物を提供する周囲の世界の法則と、人体の力はどのような関係にあるのでしょうか。」

「人間は自然科学の見解にしたがって、自分の体を唯物論的に理解する傾向があります。精神科学はそこに、精神的な法則を補います。理論的にはそう考えていないとしても、実際問題として、多かれ少なかれ無意識のうちに、人々は人体を単なる肉体と考えています。人体を構成する素材を研究し、人間を大きなレトルトのように見なしています。それは理論ではなく、思考の習慣なのです。

 大事なのは、何を考えるかではなく、その考えがどのような作用を及ぼすかです。人生を豊かにし、前進させる思想かどうかが問題です。」

*「人間は自分のなかに、植物を取り込みます。太陽の光が構築したものを、アストラル体が常に破壊しますが、そのことによって、アストラル体は人間に神経組織を組み込み、人間の生は意識的なものになります。アストラル体はネガティヴな光体であることによって、植物に対峙するものです。

 植物の有機体構築のプロセスには、霊的なものが基盤になっています。精神科学は、光として現れているものは霊的なものの外的な表現にほかならないことを示します。光をとおして、霊的なものが絶えず私たちに流れてきます。神霊たちの光が流れてくるのです。

 物質的な光の背後に隠れているものが細かく分割されて、アストラル体のなかにも現れます。太陽の光のなかに物質的な姿で現れるものが、アストラル体のなかにアストラル的な方法で現れます。光の霊的な側面が、内的に、私たちの神経組織の構築に働きかけるのです。このように、植物の生と人間の生は共同しています。」

*「人間は食物をとおして動物界と関係をもちます。人間の食料となる動物という存在のなかで、アストラル的なプロセスはすでに遂行されています。植物から清浄で新鮮なままに摂取されるものが、動物のなかでは部分的に変化し、すでにアストラル的になっています。動物もアストラル体と神経組織を、自らの内に組み入れているからです。人間は無垢なものを食べるのではなく、すでにアストラル的な力を受けいれたものを食べることになります。動物のなかに生きているのは、動物のなかで発展したアストラル的な力です。

 それなら、人間は栄養摂取に要する力を節約できるのではないか、と思われるかもしれません。」

「動物は素材を不完全な仕方で消化しています。人間が肉食をすると、動物のアストラル体をとおして生じたことが人体内で継続します。それを人間はまず克服する必要があります。アストラル体は意識を持った存在のなかで、あるプロセスを生じさせます。ですから、肉食をすることによって、人間は自分の神経組織に影響を与えるものを摂取することになります。

 これが、菜食と肉食の基本的な違いです。肉食は、まったく独特な方法で人間の神経組織とアストラル体に働きかけます。菜食の場合、神経組織が外から影響を受けるということはありません。(・・・)菜食にしていると、神経の働きは外から入ってくるものではなく、人間のなかにもともとあるものに浸透します。」

「人間が神経組織を水方構築するなら、その神経組織は精神的・霊的なものに対して敏感になります。個人という狭い限界から発する偏見を超える、事物の壮大な関連を見上げることができるのは、菜食のおかげです。大きな観点から、自由に人生と思考を整理できるのは、菜食のおかげです。怒り・反感・偏見に狂うのは肉食のせいです。

 しかし、私は菜食主義を煽動するものではありません。肉食は人間にとって必要なものでした。今日なお必要なものです。地上の人間が堅固であらねばならず、個人的になるべきだからです。人間が個人的な興味を抱くのは、肉食のおかげなのです。

 戦争をしたり、共感・反感を持ち、感覚的な情熱を持つ人間がいるのは、肉食にその原因があります。人間が狭い興味に夢中にならず、普遍的なものに興味を持つのは、菜食のおかげです。菜食を好む民族は霊性への素質を有し、そうでない民族は勇敢で、果敢です。勇敢さ・果敢さというものも、人生には必要です。勇敢さ・果敢さというのは、個人的な要素なしには持つことができません。そして、個人的な要素は、肉食なしには発生しません。」

□『土と脂』目次

序章 「土壌の健康が食物の質に影響する」は本当か?
土壌生物がもたらす作物の健康
健康な土と良い食べものをつなぐ科学的な根拠
ジャンクフードの下に隠された飢餓

第1章 健康というパズルの重要なピース
食べものの役割に関心が薄い医学
「正しい食べもの」がかつて含んでいた栄養
収量という罠
隠れた飢餓─親より寿命が短くなるアメリカ人
食べものの栄養素密度を予防医学として考える
土壌の健康を通して農法を考える

土 SOIL

第2章 人は岩でできている
店頭のニンジンとホウレンソウの栄養価
岩を食べた植物を食べる人間
植物の生長と健康を支える極小のパートナー
土壌微生物の植物学的重要性に気づく
微生物は日和見主義の政治的同盟者
品種改良によるミネラル低下
単純な実験─ミネラルを土から作物へ運ぶ微生物の育て方

第3章 生きている土
食べものを疑ったイギリス人
農業慣行がつくる作物の健康と食品の栄養価
非現実的な神秘主義と合理的思考
緑の女王バルフォア
自分の農場を一大実験場に
有機農地のウシとニワトリ
微生物生態学の進歩が明かしたバルフォアの洞察の正しさ

第4章 慣行農業の行きづまり
土壌の健康は世代を超えた信託物
耕起による土壌生態系の破壊
耕起がもたらす菌根菌・細菌へのインパクト
土壌のジャンクフード─窒素肥料
植物の防御システムを解除する化学肥料
はびこる問題15年で広がった除草剤耐性雑草
グリホサート─鉱物元素を奪い植物を枯らす
もう一つの道─土づくりから始める

第5章 農民の医師
植物の根と菌根菌
作物の健康は菌類と腐植で成り立つ
ビタミンBを含まない化学肥料施肥の種
全粉粒パンには鉄が3倍、ビタミンBが7倍
白米の普及と脚気、2型糖尿病
手がかりを追って
戦時中に英国人の食事を変えた科学者
野菜や飲料水を汚染する硝酸塩
大量の窒素施肥がもたらすもの

植物 PLANT

第6章 植物の身体
土がなくても作れる有機作物?
植物の錬金術師─ファイトケミカル
作物の生長・収量と健康を混同する研究者
議論が終わらない理由
ファイトケミカルが有意に多い有機作物
農法による収量差と収益性

第7章 偉大なる園芸家
私たちの手作り野菜の栄養組成
タバコ・ロード農場の不耕起集約的野菜栽培
裸地を作らず、常に何かを栽培する
キノコが生える畑─森から土を入れる
歌うカエル(シンギング・フロッグズ)農場─アグロフォレストリーの野外実験
固定資産税を支払うため、不耕起栽培で年3回収穫
不耕起─土壌からの窒素流亡が起こらないわけ
慣行ブドウ園との土壌比較
土づくり─畑の生命の躍動を見守る
成功事例を小規模農場で再現する

第8章 堆肥が育てる地下社会
農業コンサルタントへの疑問
土壌比較調査
堆肥の力
ジョンソン=スー・バイオリアクターの発明
生産性をつかさどる菌類・細菌比
多様な菌類群集の速い推移
高まる関心

第9章 多様な植物由来の見過ごされた宝石
ワシントン大学薬草園
ファイトケミカルの種類は5万種
フラボノイド、カロテノイド、フェノール
ヒト細胞を浄化する抗酸化物質
抗酸化物質含有食品を健康のために食べる
食べる薬
薬理効果とトマト、チョコレート

動物 ANIMAL

第10章 沈黙の畑
農薬への曝露
農家以外の農薬曝露は食事から
害虫への対抗手段としてのファイトケミカル
抵抗の根─多様性で病害虫防除
農務省を辞めて自分で研究農場を始めた昆虫学者
昆虫群衆の相互関係
農学の研究制度の壊滅を思い知る
そろそろ変わるときだ
生き物の賑わいが戻った研究農場

第11章 地の脂
マイクロバイオームの大部分を収めた生態系
脂肪が人体を支配する
地の脂が乳となり人間になる
トウモロコシを食べるウシ
食餌で変わる牛乳の中身
オメガ6と共役リノール酸
バターとチーズとファイトケミカル
乳牛の健康問題

第12章 肉の中身
脂肪悪玉説のはじまり
食事─心臓仮説がもたらした混乱
肉について考える
イヌイット食の謎の脂肪
アザラシ肉に匹敵するDPAの摂取源
草を食わせろ
肥育場病─食餌と生活環境が引き起こすもの

第13章 身体の知恵
多種を少量ずつ食べる草食動物
草と牛─マルチパドック輪換放牧を生んだ着想
土壌中のミネラルバランスに注目する
野生動物が知っている薬効植物
身体の知恵の3本の柱
味のフィードバック、もしくは植物と踊るダイナミックなダンス
平均という問題─費用対効果の真実
正常な満腹信号を歪める食味増強剤
永続する多様性─適応と回復力を生む群れの中の変わり者

人間 PEOPLE

第14章 健康の味
脳のそばの隠された細胞
味は単色タイル、風味は複雑なモザイク
腸内の神経細胞にもある味覚受容体
喉にある苦味受容体の役割
壊れた羅針盤─身体の知恵を狂わせる甘味、塩味、うま味
食の相乗効果
栄養研究の難しさ
健康のための食事指針は、食べものが何を食べてきたのかを考えない

第15章 バランスの問題
『美味礼讃』が伝えたかったこと
低脂肪食品の効能は薄い─ボーイング社員で徹底研究
よい脂肪、共役リノール酸
太古の脂肪
炎症のバランスを取る脂肪
オメガ3とオメガ6のバランスのよい蓄え
オメガ3サプリの効果
脂肪と心の健康
日本食の評価

第16章 作物に栄養を取り戻す
本場フランスのバゲットがおいしくなかった理由
パン研究所で学ぶコムギ製粉の歴史
コムギの育種─貯蔵寿命と収量の最大化
世界から集めた1000種類のコムギ
必要な多様性がすべて揃った畑
化学肥料を与えない畑に合うコムギの育種
穀物に足りないもの─栄養より収量でいいのか
近代の品種と古代の品種
食べものに栄養を取り戻す
主要作物の復活─SRIによるコメ栽培

第17章 畑の薬
超加工食品を食べない人々の歯はなぜ健康か
伝統食と栄養
健康のための農業
栄養素欠乏が引き起こすもの
菌類からの化合物の活躍
新しい栄養学のススメ
食の多様性

第18章 健康を収穫する
土地をどう扱うかで人間の健康が決まる
新たな方向性─土壌に必要な生物も育てる農業
選択肢は慣行農法か有機か、ではない
不耕起、被覆作物、多様な作物の輪作で1セット
未来の農業
未来の選択─農業のやり方が人間のありようを形作る

謝辞
訳者あとがき
参考文献
索引

○デイビッド・モントゴメリー
ワシントン大学地形学教授。地形の発達、および地質学的プロセスが生態系と人間社会に及ぼす影響の研究で、
国際的に認められた地質学者である。天才賞と呼ばれるマッカーサーフェローに2008 年に選ばれる。邦訳された著書には、『土の文明史』、『土と内臓』(アン・ビクレーとの共著)、『土・牛・微生物』(以上、築地書館)の3部作のほか、『岩は嘘をつかない』(白揚社)がある。また、ダム撤去を追った『ダムネーション』(2014 年)などのドキュメンタリー映画ほか、テレビ、ラジオ番組にも出演している。執筆と研究以外の時間は、バンド「ビッグ・ダート」でギターを担当する。

○アン・ビクレー
流域再生、環境計画、公衆衛生などに幅広く関心を持つ生物学者。公衆衛生と都市環境および自然環境について魅力的に語る一方、環境スチュワードシップや都市の住環境向上事業に取り組むさまざまな住民団体、非営利団体と共同している。余暇は庭で土と植物をいじって過ごす。モントゴメリーとビクレー夫妻は、盲導犬になれなかった黒いラブラドールレトリーバー、ロキと共にワシントン州シアトル在住。

○片岡夏実
1964 年神奈川県生まれ。主な訳書に、土3作を成すデイビッド・モントゴメリー『土の文明史』、『土と内臓』(アン・ビクレーと共著)、『土・牛・微生物』、トーマス・D・シーリー『ミツバチの会議』、デイビッド・ウォルトナー= テーブズ『排泄物と文明』、スティーブン・R・パルンビ+アンソニー・R・パルンビ『海の極限生物』(以上、築地書館)、ジュリアン・クリブ『90 億人の食糧問題』、セス・フレッチャー『瓶詰めのエネルギー』(以上、シーエムシー出版)など。

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