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『松浦寿輝全詩集』/松浦寿輝『人外』
☆mediopos3582(2024.9.9)
いわゆる「現代詩」の詩集を
はじめて購入したのは
思潮社の「現代詩文庫」の『入沢康夫詩集』で
一九七七年のこと
新刊での詩集としては同年
入沢康夫『「月」そのほかの詩』だったと記憶している
その入沢康夫もすでに二〇一八年に
八十七歳で亡くなっているが
現代詩の詩人でいえば
一九九二年思潮社の現代詩文庫「101」に
新鋭詩人として刊行されている
松浦寿輝はずっと後の世代にあたる
松浦寿輝の詩集をはじめて手に取ったのは
『松浦寿輝詩集 詩・生成3』(一九八五年)で
『松浦寿輝全詩集』に収録されている詩集としては
『冬の本』(一九八七年)で
二冊ともいまも本棚に収まっている
その松浦寿輝の「全詩集」が今春刊行され
若干の保留がつけられながら
「紙の束として物質化」されていない
『espacements』『人外詩篇』をふくみ
「書物の形をとった松浦寿輝の「詩集」のすべて」が
収録されている
そして「学術論文、批評、小説を含め、
わたしは何十冊かの本を上梓してきたが」
それらは「すべて消えてしまって構わない、
この一冊だけ残ればよい。わたしはそう考えている。」
という一冊
「詩集」が読まれなくなっている今
どういう残り方をするか時のみぞ知るであるが
そんな「詩集」を読まないわけにはいかない
そんななかで
本書に収められ
ほかではまとめて読むことのできない
『人外詩篇』を読むことができたのは幸いだった
松浦寿輝には小説『人外』(二〇一九年)があり
『人外詩篇』はその刊行後
「この「人外」に、もう少し別の形で、
今しばし付き合ってみたいと考え」
小説においては三人称のナラティヴで記述したのに対し
詩篇では一人称のナラティヴで
「人外」の「自意識としての「わたし」の内部に沈潜し、
その「わたし」といわば内側から一体化し、
「人外」が世界をどう見るか、世界とどう関わるか」が
語られている
松浦寿輝は「二〇一九年当時、詩というジャンルで
自分にできることはほとんどなくなったと感じていたが」
上記のような方法での連作詩篇のかたちでなら
「自分の生涯の最後に何かを成し遂げることが
できるのではないかと考え」
『現代詩手帖』の二〇二〇年一月号から連載がはじめられた
しかし編集部の意向で「「34」まで書いたところで」
(『現代詩手帖』二〇二三年一月号)
「連載が打ち切られる」ことになったという
(どんな「意向」があったのか気になるところだが)
松浦寿輝にとって
「もっとも大事な雑誌はずっと『現代詩手帖』」で
「それが「ルーツであり、希望であり、心の拠りどころだった」
と書いたことがあるということもあり
「もう未来も希望も失われた、帰る場所もなくなった。
そういうことか。」と
未完結のままに放置されそうになっていたところ
二〇二三年二月「これを一挙に完成させよう
という気持ちが卒然と湧」き
「38」まで書いたところで連作の完結の瞬間がくる
そしてそれが「中央公論新社編集部の郡司典夫さんの
ご厚誼とご尽力によって」
「このご時世において」
「「奇蹟的」な一冊」の刊行が可能となったという
さて詩人としての松浦寿輝の最後の作品
『人外詩篇』の主人公(人か動物か?だが)は
「固有名」をもたず
あえていえば「究極の固有名」として
「わたし」という主語で語っている
「わたし」には
「名前」も「執着」も「欲望」も
「帰ってゆく場所」もないのに
「わたしはひたすら帰ろうとしつづけている」
「わたしの旅はいつも帰途でしかない
わたしはただ「外」にいるだけだ
いつでもどこでも「外」にいるだけだ」
「世界のへりを
ヒトとヒトでないものとの境い目を
通り過ぎてゆくだけ」で
「世界の唯一の「意味」」として
「さびしい」とおもう
そして
「どんな目的地も持た」ず
「倦むことなくあるきつづけ
そのあいだ ただひたすら自問」する
「迷うとはどういうことか」という
「答えのありえない」問いを・・・
「詩篇」のはじめに
「痩せこけた少年」と川をくだってゆき
「海はまだ遠い」と語られ
「詩篇」のおわりには
「痩せこけた少年」と川をくだってゆき
「もう海が近い」と語られている
話は「全詩集」の刊行についてに戻るが
本書は「詩人としての生涯の締め括り」の一冊
と位置づけられているが
松浦寿輝はまだ一九五四年生まれの七十歳
「締め括り」としては
少しばかり早すぎる気もするのだが・・・
そういえば現代詩文庫『松浦寿輝詩集』(一九九二年)に
丹生谷貴志「松浦寿輝の余白に」という
「作品論・詩人論」が収められ
松浦寿輝の最初の詩集『ウサギのダンス』から
「生きているうちに自分の腐臭を嗅がなければならないとは!」
という詩の一部がひかれ
「老いてある者は未来をもたない」
「老いは人生の黄昏であり、未来もあらゆる「記憶」も
「忘却」の中にゆっくりと雪崩れてゆく時である」
というように
一貫して「老いてあること」が論じられている
この当時松浦寿輝は若き詩人だったはずだが
「松浦寿輝はどこかすでにあらかじめ老いている、
そんな詩人であるだろう」
「松浦寿輝の言葉は忘却と絶えず対面し続ける、
そうした言葉であるだろう。
彼はすべてを忘れてしまった詩人であるだろう。」
という・・・
松浦寿輝ご本人のことはなにも知らないが
たしかにその言葉はたしかに
「どこかすでにあらかじめ老いている」と感じられる
ある意味で「あらかじめ老いている」というのは
「人外」が
「世界の唯一の「意味」」として
「さびしい」とおもいながら
「世界のへりを
ヒトとヒトでないものとの境い目を
通り過ぎてゆくだけ」だ
ということとどこか通底している
「この分厚い一冊は「生の肯定」の書である」
そう読まれてほしい」と記しているように
その「さびしい」というのも
松浦寿輝なりの「生の肯定」なのかもしれない
「わたしの旅はいつも帰途でしかない
わたしはただ「外」にいるだけだ
いつでもどこでも「外」にいるだけだ」
というように
「外」にいながらにして
生を生きているように
■『松浦寿輝全詩集』(中央公論社 2024/3)
■松浦寿輝『人外』(講談社 2019/3)
**(「凡例」より)
*「一、書物の形をとった松浦寿輝の「詩集」のすべてを収録する。
一、既刊の七冊は、「解題」に掲げた諸刊行本を底本として再録する。『espacements』と『人外詩篇』の二冊は、この「全詩集」において初めて形をなした詩集であり、「未刊行詩集」としてここに収録する。」
「一、『松浦寿輝詩集 詩・生成3』(思潮社、一九八五年刊)、『詩篇20(現代詩人コレクション)』(沖積舎、一九九一年刊)、『松浦寿輝詩集(現代詩文庫)』掲載の「韻文作品」も収録しない。」
「一、以上の留保をつけたうえで、本書は『松浦寿輝全詩集』の名にふさわしい書物であると信じる。」
**(『松浦寿輝全詩集』〜「解題 ———— 著者自身による」
「第九詩集————『人外詩篇』より)
*「紙の束として物質化することはなく終わった。しかしわたしのうちでは完全な姿で実現し堅固に存在している、一冊の「書物」である。「未完詩集」としてここに収録する。
わたしは長編小説『人外』(講談社)を二〇一九年に刊行したが、その後もなお、自分が創造した「人外」という登場人物(?)、あるいは生き物(?)への愛着ないし執着がいくばくか残った。小説『人外』は、その生き物(?)のうちに「わたし」という一人称の自意識が発生するところから始まり、それが消滅するまでの過程を、三人称のナラティヴで記述した物語である。わたしはこの「人外」に、もう少し別の形で、今しばし付き合ってみたいと考えた。
別の形とは、一つには、「人外」の意識と行動を小説『人外』のように外から三人称的に追うのではなく、彼(?)の自意識としての「わたし」の内部に沈潜し、その「わたし」といわば内側から一体化し、「人外」が世界をどう見るか、世界とどう関わるかを、一人称のナラティヴで語るということだ。またもう一つには、その語りの滑らかな流れを、小説的散文で線的に記述するのではなく、その強い瞬間のみを、行分け詩の文体で点的に浮き彫りにしてゆくことだ。」
*「わたしは二〇一九年当時、詩というジャンルで自分にできることはほとんどなくなったと感じていたが、以上のような視覚と方法に基づいて書き継がれる連作詩篇のかたちでなら、自分の生涯の最後に何かを成し遂げることができるのではないかと考えた。」
「「34」まで書いたところで、『現代詩手帖』での連載が打ち切られることになり、少々残念だったが、それが編集部の意向ならば仕方がない。かつてわたしは、自分にとってもっとも大事な雑誌はずっと『現代詩手帖』だった、それが「ルーツであり、希望であり、心の拠りどころだった」と書いたころがある(・・・)。もう未来も希望も失われた、帰る場所もなくなった。そういうことか。」
「かくしてこの連作もまた、かつてのあれこれと同じく、未完のまま放置され、そのまま何年も何年もの歳月がするすると流れてゆくのではないかと思われた。それもまた一興ではないかという思いもなくはなかった。だが、二〇三〇年二月の厳寒のある夜、これを一挙に完成させようという気持ちが卒然と湧いた。「35」以降を孤独に書き継ぎ、二ヶ月ほどかけて「38」まで書いたところで、この連作に完結の瞬間が来たことを不意に知った。「迷うとはどういうことか 迷うとか」と自問しながら歩きつづけた「わたし」は、いま、痩せこけた少年と一緒に小舟に乗って川を下ってゆく途中だ。稲光が走り雷鳴が轟く。ある瞬間、「わたし」が「もう海が近い」とふと感じる。それで終わりである。」
**(『松浦寿輝全詩集』〜「後期 ———— この一冊だけ残ればよい」より)
*「本書は、わたしが書いた詩篇のほぼすべてを集成した一冊である。収録から洩れたごく少数の作品については巻頭の「凡例」を参照されたい。」
*「一九七三年十二月初出の「習作」めいた「一日(抄)」を括弧にくくるなら、『ユリイカ』一九七六年九月号初出の「儀式」「玄関」から始まって、二〇二三年四月に書かれた『人外詩篇』の最終篇「38 海」に至るまで、執筆期間はおよそ四十七年にわたる。九冊の詩集に含まれる二百三十一篇、さらに『雷文』(未完)の九篇を加えれば全二百四十篇の収録詩篇。「四十七」「九」「二百四十」」こうした数字が多いのか少ないのか、今わたしには俄にはわからない。」
*「本書の内容それ自体に関しては、「解題」にいくばくかの言葉を連ねたので、それ以上に立ち入ったことはもう言うまい。ただ、さらにひとことだけ付け加えておくとすれば。しばしば暗く沈んだ色調が支配的な多くのページにもかかわらず、この分厚い一冊は「生の肯定」の書であるということだ。そう読まれてほしい。
学術論文、批評、小説を含め、わたしは何十冊かの本を上梓してきたが、それらは結局、時間の流れのなかで遠からず霧散してゆくことだろう。図書館の棚、書店の棚に、また少数の読者の心のなかに、今はまだ多少は残っているかもしれないが、わたしの死とともに、あるいは死を待たずに、それも早晩消えてゆくだろう。だがそのなかで、この『松浦寿輝全詩集』だけは、これもまらいずれ忘却の淵に沈んでゆくことは間違いないとしても、他の数十冊の本と比べて、相対的にはいくぶんか長い生命を持つことになるはずだ。
端的に言ってしまえば、他はすべて消えてしまって構わない、この一冊だけ残ればよい。わたしはそう考えている。」
**(『松浦寿輝全詩集』〜「Ⅸ 人外詩篇」2023 より)
*「1 小舟」
「櫂をうしなった小舟は川波にゆすられ
舳先は左右にふれて方角がさだまらない」
「痩せこけた少年が川をくだってゆく
ひとでなしの生きものと一緒に
海はまだ遠い」
*「3 水浴怪談」
「固有名こそないものの
わたしはまだ わたしという
主語をうしなっていないから
それはじつは最後にのこされた
究極の固有名なのかもしれない」
*「4 子どもたち」
「子どもの生誕 それはきもたちの世界への
他界からの贈り物のはずだった
よろこばしい恩寵のはずだった
なのにこの世界がそれじたいすでに
先行する世界 後続する世界とおなじ
もうひとつの他界でしかないとしたらどうか
唯一本当の「この」世界などどこにもなく
たんに無数の他界が並行して在り
かさなり合いすれ違い合っているだけだとしたら」
*「13 スクリーン」
「現実はどこにある 現実は
ひょっとしたら「無」こそが現実なのか
それはまた「死」の別名なのか
わたしは草原をくだってゆく
海がみたい とつよく思う」
*「19 芸術家」
「わたしには名前がない
わたしには執着もなく欲望もない
わたしには帰ってゆく場所がない
なのにわたしはひたすら帰ろうとしつづけている
わたしの旅はいつも帰途でしかない
わたしはただ「外」にいるだけだ
いつでもどこでも「外」にいるだけだ」
*「21 あじさい」
「だがわたしは「母」も「父」ももたないから
愛惜も嫌悪も知らず ただ路傍を
世界のへりを
ヒトとヒトでないものとの境い目を
通り過ぎてゆくだけ
さびしい とわたしはおもう
しかしこのさびしさがわたしにとって
世界の唯一の「意味」なのだ」
*「33 迷う」
「どんな目的地も持たないわたしは
何をしているのか いったい何を
————迷うとはどういうことか 迷うとか」
*「37 迂回」
「わたしは倦むことなくあるきつづけ
そのあいだ ただひたすら自問していた
答えのありえないあの問いを
————迷うとはどういうことか 迷うとは」
*「38 海」
「櫂をうしなった小舟は川波にゆすられ
舳先は左右にふれて方角がさだまらない」
「痩せこけた少年が川をくだってゆく
ひとでなしの生きものと一緒に
もう海が近い」
*******
『松浦寿輝全詩集』収録詩集
Ⅰ ウサギのダンス 1982
Ⅱ 冬の本 1987
Ⅲ 女中 1991
Ⅳ 鳥の計画 1993
Ⅴ 吃水都市 2008
Ⅵ afterward 2013
Ⅶ 秘苑にて 2018
Ⅷ espacements 2023
Ⅸ 人外詩篇 2023