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半藤一利 『墨子よみがえる 〝非戦〟への奮闘努力のために』

☆mediopos-2372  2021.5.15

古代中国の思想で
いちばん影響を受けたのは
老子・荘子だけれど
いちばん驚いたのは墨子だった

「どうすれば戦わないでいられるか」
きわめて実践的でありながら
きわめて理念的で理想的な実際を
墨子はその問いから導きだそうとした

その理念は兼愛
イエスの愛の理念にも似ている
それがイエスの四世紀ほど前に
実践的なかたちで説かれている

イエスは右の頬を打たれたら
左の頬を出し出すようにも説くが
墨子は頬を打つことそのものを
成立させないように説き
さらには戦いを止めるべく奮闘する

ぼくは小さい頃から
「どうすれば競わないでいられるか」
「どうすれば戦わないでいられるか」
とくに学校ではそういうことばかり
考えていたところがある
もちろんいわゆる社会に出てからも同じ

ぼくの場合の対処法は
できるだけ関わらないでいようとするような
ほとんど消極的なものでしかなかったが
墨子の場合は積極介入によって
「戦わない」ことを実現させてしまうのだ
それがどんなに困難なことか…

さて今回墨子をとりあげてみることにしたのは
この1月に亡くなった半藤さんのこの本に
中村哲さんとの対談が
特別付録として収められていたからだ

安野光雅・中村愿の両氏は
『『史記』と日本人』という座談のなかで
「現代日本の墨子が存在するとすれば、
それは中村哲さんをおいて他にいない」としている

悲しい最期を遂げた中村哲さんだが
この座談のなかであえて口にされている
「今、一番気に食わないのは、
西洋的なデモクラシーを入れないと
人間は幸せになれないという驕りです」
という言葉が印象的だった

そこには人は「主義」では
幸せにはならないという思いがあったのだろう
どんな時代どんな地域どんな境遇にあっても
上から与えられ教えられるような「主義」は
結局のところ人を幸せにすることはできない

「主義」を説く者は
じぶんのいま置かれている環境や
「経済や社会体制」を批判し
それが変われば幸せになれると錯誤している
女性の権利が向上すれば
そして差別がなくなれば
それだけで問題が解決するわけではない
それらはすべて「主義」でしかないからだ

どんな恵まれた環境にあったとしても
その生きられた場で
確かに生きられた心が
みずからの幸せを感じられなければ意味をもたない

中村哲さんのあえて選んだだろう困難は
「情けは人のためならず」で
「女も度胸、男も愛嬌」だと笑っていう

非業の死を遂げたとはいえ
中村哲さんの選んだ「兼愛」的なありようは
まさに墨子の積極介入する愛のように見えてくる
しかも集団ではなく
中村哲というひとりの個人として
それを行ってきた

■半藤一利
 『墨子よみがえる 〝非戦〟への奮闘努力のために』
 (平凡社ライブラリー 2021.5)

「およそ墨子のことを少々なりとも知っている人は、「非戦」の思想とともに、普遍的人類愛のことを説いた「兼愛」の二次を想いうかべるにちがいない。この独自の人類愛的な理念にもとづいてその上に、墨子は非戦論、平和論を強く主張するのである。」

「『墨子』には恋愛論はまったくでてこない。これは孔子の『論語』と同じである。しかも墨子が相愛というときは、それは兼愛と同意である。そしてその兼愛とは----「もし天下をして相愛せしむれば、国と国と相攻めず、家と家と相乱さず、盗賊あることなく、君臣父子みな孝慈たらん、云々」という徹底したヒューマニズムとったらいいもの。つまりは、ここにいう愛とは心情的な、個人的な愛情なんかではなく、他人のために努力する精神なのである。みずからのみを愛し、みずからのみを利する考え方を否定するために、墨子は人をひろく同等に愛しいつくしむ、兼愛をとなえるので、それはロシアの文豪レス・トルストイが感心した理念そのものなんであるという。」
「墨子は説く----おのれを愛するように人を愛し、おのれの父を愛するように人の父を愛し、おのれの国を愛するように人の国を愛せよ、と。これに孟子はカッとなっていう。
「墨子は兼愛す。これ父を無(な)みするなり。父を無みし君を無みするは、これ禽獣なり」
 もう一つ----。
 「墨子は兼愛す。頂を摩して踵に放(いた)るも天下を利するのはこれを為す」
 孟子があとのほうでいわんとしているところは、墨子は天下の利のためには頭のてっぺんから足の先まですりつぶしても悔いはない、なんてバカげたことをいっておる、の意ならん。」
「孟子からすれば、日月の如き無私無欲の精神で、すべての人をわけ隔てなく愛せよという、少なからず人気のある墨子の兼愛には、腹が立って仕方がなかったのであろう。
 墨子はいうのである。
「人を憎み人を害しようとするのは、兼愛の立場にあるのか、それとも別愛の立場にあるのかと問えば、必ずそれは別愛の立場からであると答えよう。相互に差別する〝別〟の立場こそ、天下の大害を生み出す根本なのではないか」」
「それ(「別愛の立場」)は根本的に間違っている。その誤った立場をとるものは誰なるや、それは儒家なんである、と墨子はいいきる。しかもその上で墨子は、
 「別は非なり」
 ときびしく断言する。おまえたちがいっている「別愛」は、自分たちさえよければいい主義ではないか、と。孟子がカッカと怒り猛るのも無理はない。」

「このあいだ、編集者のおろくにせっつかれて、現代日本でただ一人の仙人たる安野光雅画伯と、在野にありながら司馬遷の『史記』に関しては他の追随を許さない学識をもつ中村愿さんとの座談をまとめ『『史記』と日本人』(平凡社)を上梓した。そのとき安野さんも中村さんも異口同音に「現代日本の墨子が存在するとすれば、それは中村哲さんをおいて他にいない」と推輓した。」
「中村さんは語っている。
 「私たちが作業している用水路と平行して、米軍の軍事道路をつくっているトルコの団体があります。それは兵隊に守られながら工事をしていますが、これも住民の攻撃対象になっています。トルコ人の誘拐・殺害が残念ながら後を絶たない」。しかい自分たちのほうではそんなことは起こらない。それでよりいっそう〝丸腰の強さ〟〝真の国際貢献とは何なのか〟を現地にいると痛感するのだと。
 その中村さんがさらにこう語っている。
 「(日本はいまの平和憲法をいじらず)その精神を生かす努力をすべきです。他国との関係を考えても、経済的なことを考えても、それが現実的でしょう」
 そしてまた、中村さんはつぎの言葉を信条としているという。
 「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」と。」

「墨子が「非攻」篇(上)でいっている言葉をもういっぺん試みに引いてみる。
 「小さな悪事を行うと、これを知って人は非難する。ところが大きな悪事を行って他国を侵略すると、非難しようともせず、かえってこれを誉め、それこそ正義であるという。これで正義と不義との区別をわきまえているといえようか」
 さらに、中村さんの言葉を引く。
 「これまでのどんな戦争も『守るため』に始まった。『自国を守るため』という名目で外に行って、非道なことをしているんです。悪いことを始めるときに本当のことを言って始めるわけじゃないんです。大義名分を押し立てて始める。それが現実なんです。」
 この中村さんを「現代日本の墨子」と讃えた安野・中村愿説に同感と叫びたくなっても不思議ではない。人として最後まで守るべきは何か、尊ぶべきは何かを求めて、〝日本の墨子〟は本物の墨子以上に奮闘努力している。」

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(「[特別対談]中村哲さんに聞く/民主主義で人は幸せになれるのか?/聞き手・半藤一利」より)

「中村/時代が変わっても、われわれがなぜ『史記』の時代の物語をいきいきと読むのか、墨子がなぜ偉いのか。春秋戦国だろうが、日本の戦国時代だろうが、ピラミッド状の封建社会の中でも人びとにはいろんな喜怒哀楽があり、さまざまに葛藤しながら暮らしてきた、それは宗教のスタイルも関係なく、われわれもちっとも変わりません。今、一番気に食わないのは、西洋的なデモクラシーを入れないと人間は幸せになれないという驕りです。ならば江戸時代の女性は皆不幸だったか、私はそういう気がしない。その時代の枠組みの中で、たとえば自分の気に入った気立てのいい男性と一緒にいられる幸せなどは、今と同じでしょう。たとえ男女平等の時代になっても、暴力をふるう男性と一緒になれば不幸です。そういうことは言わずに、経済や社会体制が変われば幸福が来るかのような風潮です。人を殺してまでその体制を入れる必要があるのか。これを言うと叩かれるので、あまり大声で言わないようにしています。
半藤/先生はもう、叩かれてもまったく平気でおられればいい(笑)。
中村/今日は楽しかったです。若い人や理論家の方と話していると、「先生はなぜ頑張れるのですか、原動力は何でしょう」という話ばかりで、結局、男は度胸、女は愛嬌でしょうというのを上手に言い換えるのはどうしたらいいかと(笑)。
半藤/つまり、これが男の生きる道、です・
中村/浪花節みたいですね(笑)。八十歳以上の方になると「頑張るねえ、しっかりやって下さい」、それだけで、理屈は問わない。日本人の心性が変わってきているのかなあと感じます。気障なことを言えば、「情けは人のためならず」です。そしてあえて、「女も度胸、男も愛嬌」でいきたいですね(笑)。」

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