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水野太貴(著)・今井むつみ (監修)『きょう、ゴリラをうえたよ/愉快で深いこどものいいまちがい集』

☆mediopos3755(2025.3.1.)

水野太貴(今井むつみ監修)
『きょう、ゴリラをうえたよ』は

「ゆる言語学ラジオ」(YouTube)の
「赤ちゃんズミステイクアワード」のコーナーで募集している
子どもの「いいまちがい」の投稿から
著者の水野太貴が80のエピソードを厳選し
楽しく興味深いコメントを付けた著作

副題に「愉快で深いこどものいいまちがい」とあるように
こどものいいまちがいには
ことばの本質がつまっている

その著書から
日経BOOK PLUSにおいて
著者による「まえがき」
監修の今井むつみの「解説」
そして今井むつみ・水野太貴・編集者
それぞれが選んだエピソードが掲載されている

たとえば今井むつみの選んだエピソードから

 「かいじゅうのあかちゃんは
 『かいいち』なのかな」
 (3歳ごろ)

「いち=もっとも小さい」
「じゅう=すごく大きい」という
「スキのない推論」がされている

水野太貴の選んだエピソードから

 「ともだちのうちにあそびにくるね」
 (3歳)

「行く」と「来る」の違いは難しい
「どちらも移動を指してはいるんですが、ポイントは「方向性」。
自分から見て遠くに移動するなら「行く」、
近づくなら「来る」と使い分けているんです。
なので、「(自分が)ともだちの家に来る」は
おかしく感じるわけです。」

編集者が選んだエピソードから

 「ペレペレポッパー!!!」
 (3歳)

「この子はトイレットペーパーと言いたかったらしい。」
「p音の連続が、話者にえも言われぬ快感をもたらす。」

こうしたことばの本質がつまっている
こどものいいまちがいについて
今井むつみは4つの点を「解説」している

まず「ことばはシーンを表すのではない」こと

大人が「1」を言うときに人差し指を立てるのを見て
「1」は人差し指のことだと思うように
「1歳、2歳台のいいまちがいで特に多いのは、
ことばを特定の状況に結びつけてしまうこと」だという

「ことばをおぼえるということは、
そのことばが言われた状況で、
それが指し示す対象を切り取るところから始ま」るように

「ある状況で、知らないことばを聞いた時、
そのことばが何を指しているのかは、
すぐにわかることでは」なく
「これは「ガヴァガイ問題」として知られて」いる

次に「動詞の意味は視点で変わる」こと

上記に例にある「行く」と「来る」の違いのように
「「行く」「来る」の方向性は、
目で見てわかるものでは」なく
「視点の中心をどこにもってくるかについての
文化特有の慣習を知らなければ」ならず
「大人でも気づいていないことを
子どもは自分で発見しなければならない」

続いて「単語が複数の意味を持つ理由」

「やきそばを食べたかった子が、
お店の人に「今日は麺が切れていまして……」と言われ、
「ぼく、めんがきれててもいい! 
みじかくてもいい!」と言ったエピソード」のように

「赤ちゃんズミステイクアワード」の応募作品では
単語の意味の「誤解」についてが多かったそうだが
単語はその多くが複数の意味をもっているように
「経済性の原理」によって
「単語の意味を文脈に応じて毎回解釈しなければならない
というコストを払っても、必要な単語の数を抑える」
という特徴を持っている

そして「比喩」

「回転寿司のお店で、流れてくるお寿司をみて、
「おすしのさんぽ」と言った子ども」がいるように

子どもは「知っている単語の意味を比喩的に拡張」し
「大人が当たり前に思っている言語の慣習とは
外れたことを言」ったりするが

それは自由に想像力を羽ばたかせ
ことばを拡張する能力によって
「文化を創造する原動力」ともなっていく

大人は「いいまちがい」をしていたプロセスを経て
常識的な言語使用を行うようになる

それは無意識的に習得された慣習でしかなくなっているが
子どものいいまちがいの「作品」は
ルーティーン化し意識化されにくくなっている
言語の本質的な特徴について
深く考えさせられる発見に満ちている

■水野太貴(著)・吉本ユータヌキ (イラスト)・今井むつみ (監修)
 『きょう、ゴリラをうえたよ/愉快で深いこどものいいまちがい集』
 (KADOKAWA 2024/7)
■日経BOOK PLUS「きょう、ゴリラをうえたよ」
 ・きょう、ゴリラをうえたよ 第1回/「まえがき」を読む(2024.11.18)
 ・きょう、ゴリラをうえたよ 第2回/今井むつみさんが驚嘆した3本(2024.11.19)
 ・きょう、ゴリラをうえたよ 第3回/言語オタク水野さんの3選(2024.11.20)
 ・きょう、ゴリラをうえたよ 第4回/編集・廣瀬さんの3選(2024.11.21)
 ・きょう、ゴリラをうえたよ 第5回/今井むつみさんの「解説」を読む(2024.11.22)

**(きょう、ゴリラをうえたよ 第1回/「まえがき」を読む)

「こんな例を聞きました。

 2歳のお子さんのお話です。お菓子がないときに、「お菓子あんない」とずっと言っていたそうです。これは他のケースでも同様で、おもちゃがないときも「おもちゃあんない」と言っていたとのこと。

 これも「単なるおばかな間違い」と笑ってしまえばそれまでです。でも私はあなたに問いたい。なぜこの子は「あんない」と言ったのでしょうか?

 きっと、「食べない」「行かない」のように、動詞の後ろに「ない」をつければ否定形が作れることはわかっていたのでしょう。そこで、「ある」の後ろに「ない」をつけて「あんない」としたのです。

 まぬけな話だと思いますか? ところがこれは、この子ではなく日本語のルールが悪いのです。

 というのも、日本語では基本的に「ない」をくっつければ否定形ができあがるのですが、なぜか「ある」にはつけられないからです。「ある」を否定したければ「あらない」「あんない」ではなく、「ない」だけでOK。要は不条理な例外だったのです。

 子どもは大人が思うよりずっとお利口で、鋭い目で言語を学んでいきます。
まちがえてしまうのは、少ない情報をもとに頭をひねり、ルールを導き出すから。だからこそ、「あんない」などという聞きなじみのない発言をしてしまったのです。

 ここから、こんなことが言えそうです。

 子どものいいまちがいには、ことばの本質が詰まっている。

 僕はそんな思いから、ネット上で子どものいいまちがいを広く募集しました。そしたら来るわ来るわ。
 そして、趣味で言語学を勉強している僕にとっては、それはもう面白くてしかたなかった。日本語文法の核心に迫るような発言もあれば、英語と日本語の思わぬ共通点を突く発言も飛び出したり。子どもの発言をもとに辞書を引いたり、文法書をひっくり返したりすることしきりでした。

 その感動と興奮を少しでもおすそ分けしたい。そう思って、1000を超える投稿から特に興味深かったものを80個選(よ)りすぐって、短い解説を加えました。」

**(きょう、ゴリラをうえたよ 第2回/今井むつみさんが驚嘆した3本)

・「アブダクション推論」をするからこそ、こどもはまちがえる

 「かいじゅうのあかちゃんは
 『かいいち』なのかな」
 (3歳ごろ)

「この子は「いち=もっとも小さい」「じゅう=すごく大きい」という理解をしたのでしょう。そして「かいじゅう」もどれもすごく大きい。であれば小さいものは「かいいち」ではないか。改めて見ると、スキのない推論です。」

・同音異義語をこどもはどう理解しているのか

 「これは“にしょく”でかいたから、
 つぎは“さんしょく”でかくんだー」
 (3〜4歳)

「1色ずつ足していくなんて不思議なアプローチだな。そう思って姪(めい)っ子ちゃんに「もっとたくさん色を使ったら?」と言うと、「だって、さんしょくしかないんだよ!」となんだか噛(か)み合わない……。
 詳しく聞くと、「この絵には“にくしょく”と“そうしょく”を描いたの。でも動物には“ざっしょく”もいるんでしょ? 次はざっしょくも描くの。だから“さんしょく”なんだよ」と説明してくれました。つまり、「色」ではなく「食」を数えていたのです!
 肉食・草食・雑食ということばを聞いて、これらを助数詞で数えようとするのは、実はとっても高度で、動物にはまずできない推論です。」

・まちがえ方を見れば、言葉の学び方がわかる

 「たくさん“てんねんきねんぶつ”があったから、
 きょうは“てんねんきねんび”だね!」
 (5歳)

「テレビで「天然記念物」ということばを知り、「どうやら木とか草花みたいな自然物を指すみたいだ」と考えた彼。親戚と一緒に旅行した際に多用し、「難しいことばを知ってるね」と褒められてニンマリ。その帰り、新幹線の降り際にこのひとことが飛び出すと、一同は大笑いののちにほっこりしたようです。
「天然記念物」の意味を推測する利口さもさることながら、「〜記念日」という既存のことばと結び付けて新語を生み出すその創造性には舌を巻くほかありません。」

**(きょう、ゴリラをうえたよ 第3回/言語オタク水野さんの3選)

・各国の言語には、共通する発想がある?

 (ドアノブに届かなくて)
 「かたい!!!」
 (2歳)

「お菓子の袋が開かないとき、この子は「かたい」と親に言って、代わりに開けてもらっていたようです。しばらくすると、ドアが開けられないときや、服を上手に着られないときも「かたい」と言うようになったんだとか。
 さて、「言いがたい」みたいに「かたい」は「難しい」という意味で使うこともありますよね。これは、「堅い」と同語源のようです。つまり、この子は「難しい」と言いたくて「かたい」と言っていたのかもしれないのです。
 さらに驚くことに、英語を見てみると、「難しい」を指すhardは、「堅い」という意味も持ちます。弾力のあるグミのことを「ハードグミ」なんて言いますよね? つまりこの現象は日英で共通しているんです。」

・「行く」と「来る」の違い、あなたは説明できますか?

 「ともだちのうちにあそびにくるね」
 (3歳)

「実は「行く」と「来る」の違いは難しいんです。
 どちらも移動を指してはいるんですが、ポイントは「方向性」。自分から見て遠くに移動するなら「行く」、近づくなら「来る」と使い分けているんです。なので、「(自分が)ともだちの家に来る」はおかしく感じるわけです。
 ところが、ややこしいことに、方言によっては使われ方がビミョーに異なります。例えば福岡の方言なら、「今からそっち来るけん」は自然な文。つまり、福岡の感覚ならこの子の発言も全然アリなのです。英語もそうですね。"I'm going."より"I'm coming."の方が自然です。」

・ことばと性別 こどもの学びとは

 娘「ありんこは男の子、女の子だとありんめだね」
 (5歳5か月)

「「娘」(・・・)の反対は「息子」ですが、ひらがなに直すと「むすこ⇔むすめ」と対応関係になっています。この対立は「おとこ⇔おとめ」、「ひこ(彦。美しい男の子)⇔ひめ」などにも見られます。おそらくこの子はこうしたことばを覚えたからこそ、ありの女の子を「ありんめ」と呼んだのでしょう。
 なお、言語によっては名詞に性別があるものも。例えばイタリア語なら、語尾がoなら男性名詞、aなら女性名詞です。単語の語尾で性を区別する……「ありんこ/ありんめ」の発想は、実は遠い国の言語の文法に似ているんです。」

**(きょう、ゴリラをうえたよ 第4回/編集・廣瀬さんの3選)

・まちがいには論理がある

 「これはどう?」「どうくない!」
 「こっちはどう?」「どう、どう」
 (2歳)

「「お誕生日のケーキおいしい?」と聞かれた、幼少期の記憶は残っていませんか? あるいは、「遊園地、楽しい?」と問いかけられたときでも構いません。
 そんなとき、「おいしい!」「楽しい!」と返したら、両親はパッと笑います。その顔を見て、子どもはこう学習したのかもしれません。「どうやら、上昇調で問いかけられたら最後のところを繰り返すだけで、うちの親は笑顔になってくれるっぽいぞ?」と。
 「どう?」と聞かれて「どう」と返しちゃうのは、子どもなりに親を喜ばせようと一生懸命思いやっているのかもしれませんね。」

・「焼く」「燃やす」…使い分けは何歳から?

 「は〜い、ピザもやしてきました〜」
 (2歳10か月)

「レストランごっこをしていた女の子が、調理されたピザを持ってきてこう言ったそうです。それを言うなら「焼く」だ!! ただ、「焼く」も「燃やす」も「火にかける」という点では同じ動作を指しています。難しいですね。
 「調理のために加熱する」を指す動詞は日本語にけっこうあって、「煎(い)る」「炙(あぶ)る」「燻(いぶ)す」「炒(いた)める」「揚げる」のほか、水を使ったものでも「蒸す」「茹でる」「炊く」などさまざまです。中国語だともっとあって、「炸(ジャー)」(大量の油で揚げる)、「烤(カオ)」(直火であぶって焼く)、「焖(メン)」(とろ火で煮込む)などなど……。
 似た状況で使われることばを正確に使えるようになるのはずいぶん難しく、時間がかかりそうです。」

・「音」としてのことばの奥深い世界

 「ペレペレポッパー!!!」
 (3歳)

「この子はトイレットペーパーと言いたかったらしい。「パー」以外、何も合ってないじゃん!!
 なんてツッコミは野暮ってもの。
 本を閉じて口ずさんでみましょう。ペレペレポッパー。あぁ、なんと軽快な響きか。p音の連続が、話者にえも言われぬ快感をもたらす。これは海を越えてジャスティン・ビーバー氏が感動したことで知られる、ピコ太郎さんの楽曲「ペンパイナッポーアッポーペン(PPAP)」以来の衝撃と言ってまちがいないでしょう。」

**(きょう、ゴリラをうえたよ 第5回/今井むつみさんの「解説」を読む)

・笑いと洞察の瞬間 言語の本質的な特徴と人間の思考のしかた

「この本は、私たち大人に、「言語とはどういうものか」、そして「言語を学び、使いこなすために人間はどういう能力を持っているか」という大問題を考える手がかりを与えてくれるのです。

 「ゆる言語学ラジオ」では、2022年から「赤ちゃんズミステイクアワード」という不定期コーナーで、愉快で示唆に富む子どもの「いいまちがい」の募集をしています。現在1200件を超す投稿をいただいているそうです。言語発達や人間の学び、思考のクセなどを研究する私の眼(め)からみると、どれも、素晴らしい「作品」で、この「いいまちがい集」は宝の山です。」

「たくさんの応募作品の中から、水野さんが80のエピソードを厳選し、それぞれに、楽しい、そして奥深いコメントを書かれています。」

・ことばはシーンを表すのではない

「1歳、2歳台のいいまちがいで特に多いのは、ことばを特定の状況に結びつけてしまうこと。例えば、お墓参りで「ハッピバースデー」と言った子ども。この子は、「ハッピバースデー」ということばは「ろうそくがある場所で使うことば」と思ったのでしょう。人差し指のことを「1」と思った子どももいました。大人は「1」を言うときに、たしかに人差し指を立てます。「1」は人差し指のことだと思うのは、まったく無理のないことです。

 ロケットが切り離されたときのテレビ中継を見て、「うちゅうがとれちゃったー!」と言った子どももいます。ロケットといっしょに「うちゅう」ということばを聞いていたから、「宇宙」はロケットのことだと思ったのですね。

 このように、ある状況で、知らないことばを聞いた時、そのことばが何を指しているのかは、すぐにわかることではありません。これは「ガヴァガイ問題」として知られています。言葉が通じない土地で現地の人が、野原を横切ったウサギのほうを指さし、「ガヴァガイ」と言ったとき「ガヴァガイ」は何を意味するか? 多くの人は「ウサギ」と答えるでしょう。しかし、「耳の長い動物」という意味かもしれないし、「食べ物だ!」かもしれない。ありとあらゆる可能性があるのです。その中で、私たち大人が「ガヴァガイ」を「ウサギのことだ」とすぐに思ってしまうこと自体が、不思議なことです。私たちは論理的に可能なありとあらゆる意味を吟味したりしない。最初から「○○」は「△△」を指す、と決めてかかっています。それは、私たち大人が、「ことばというのはこういう概念を指す。こういう概念は指さない」ということを無意識に知っているからなのです。
 しかし、小さい子どもは、まだそのような思い込みをもちません。ことばをおぼえるということは、そのことばが言われた状況で、それが指し示す対象を切り取るところから始まります。ことば(単語)は、状況そのものをベタっと指し示すことはありません。特定の基準で世界を切り取り、その対象のカテゴリーを名づけます。事物を表す名詞はモノのカテゴリーを切り取ります。その時、ことばで指示されるモノは、異なる状況で現れても、異なる動作の中で使われても、同じ名前で言い表されます。

 動詞は一般的には行為を表します。しかし、動作を表す場合もあれば、行為の結果のみを表す場合もあります。例えば「アルク」は歩いている動作を指します。「カタヅケル」は、行為の結果を指します。整頓されていない状況から、片付いて整頓された結果に変化させれば、「カタヅケル」が使えます。」

・動詞の意味は視点で変わる

「動詞の意味には「視点」も入りこみます。
「ともだちのうちにあそびにくるね」
 英語で「すぐ(そっちに)行くよ」と言うとき“I’m going.”ではなく“I’m coming.”と言います。take とbringの使い方もそれと連動しています。「パーティにワインを持って行くね」と英語で言うとき、“I will bring wine to the party.”と言います。英語では、相手がいるところを基準にして、そこに近づいていけばcome を使います。しかし日本語は、自分を基準にして、相手に近づいていくときは「行く」と言うのです。おともだちのうちに「くるね」と言った子は、英語の発想で「行く」「来る」の意味を考えたのですね。
 「行く」「来る」の方向性は、目で見てわかるものではありません。視点の中心をどこにもってくるかについての文化特有の慣習を知らなければなりません。でも、それを大人は教えてくれない。というより、意識の上では気づいていないのです。大人でも気づいていないことを子どもは自分で発見しなければならないのです。

 動詞は、動作なのか、結果なのかを見極めるのも難しいし、それぞれの状況に共通するビジュアル的な手がかりはほとんどない。お父さんやお母さんが口で説明することさえできない、文化の慣習で決まる視点も入り込んでくる。でも、ことばを覚えていく小さい子どもは、結局は、こんな複雑な視点システムを見破ることができるのです。
 動詞の意味を正しく推論するのは、シャーロック・ホームズなみの推論の力が必要なのです。最初は戸惑い、たくさんのまちがいをしながらも、最終的にはこんなに複雑で抽象的なシステムを自分で発見し、膨大な数のことばを覚え、言語を使いこなせるようになる人間の子ども。ほんとうに脱帽するしかありません。」

・単語が複数の意味を持つ理由

「「赤ちゃんズミステイクアワード」の応募作品で目立ったのは、単語の意味の「誤解」です。やきそばを食べたかった子が、お店の人に「今日は麺が切れていまして……」と言われ、「ぼく、めんがきれててもいい! みじかくてもいい!」と言ったエピソードがありました。私の大のお気に入りです。
 単語は、たいてい複数の意味をもちます。なぜでしょう? 答えは「言語の経済性」です。言語の本質的な特徴として、「経済的であること」ということがあります(・・・)。金銭的な意味での「経済性」ではありません。言語の情報処理をするときに、脳への負担をなるべく少なくする、という意味での「経済性」です。単語ひとつについて、ひとつの意味しかもつことができなかったら何が起こるでしょうか? 単語の数がものすごく増えてしまいますね。

 覚えなければならない単語の数をなるべく減らして、でも表現のクオリティは下げたくない。このジレンマを解決するのは、ひとつの単語に複数の意味をもたせることです。これが多義語が必要になる所以(ゆえん)です。
 ひとつの単語の複数の意味を簡単に覚えられるか。そうではないようです。
 「ボールぽーいして」とお母さんが言ったら、ボールをつかんでゴミ箱に捨てた、という愉快な例がありました。「ポイする」ということば(オノマトペの動詞)は、「捨てる」という意味と「投げる」という意味の両方で使われます。この子は「捨てる」しか知らなかったのですね。目が痛くて泣いていた子ども。「(目を)パチパチしてごらん」と言われて、涙を流しながら「手をパチパチ」たたいたという、可愛くも、かわいそうなエピソードもありました。

 言語は、まったく同じ表現でも、文脈によって違う意味に解釈できます。それこそが、言語のとても重要な特徴のひとつです。大人でも一瞬考えてしまうかもしれません。
 それでも、「経済性の原理」は大事で、単語の意味を文脈に応じて毎回解釈しなければならないというコストを払っても、必要な単語の数を抑えるほうが大事なのです。」

・比喩は言語の本質

「多義語は単語の典型的な意味から比喩的に派生し、その使い方が慣習としてコミュニティに共有されたものと考えられるかもしれません。まだ慣習となっていないと比喩と受け止められるのかもしれません。
 回転寿司のお店で、流れてくるお寿司をみて、「おすしのさんぽ」と言った子ども。
 ネックレスのことを「くびしまり」と言った子ども。
 「たいらな歌うたって」とか「ちょっとくにゃくにゃな歌だね」と言った子ども。
 こういういいまちがいはみんな、すてきな比喩の表現ですね。子どものころから、自然とことばを比喩的に使うことができます。この力をもってことばを使っていけば、自然に単語のひとつの意味は拡張されていき、多義になります。多義語の慣習的な意味を文脈に応じて解釈するのは小さい子どもには難しいけれど、人間が幼いころからもつ想像力で、知っている単語の意味を比喩的に拡張するのは、ごく自然なことなのです。
 そういえば、時間の表現も、空間からの比喩でできています。例えば、「まえ」とか「うしろ」とか。「2週間あと」「ひと月まえ」などと言いますね。目に見えない概念を、目に見える概念のことばの比喩として表現することは、言語の特徴です。「1年前のことを振り返る」とも大人は言います。みなさんは、この文の矛盾にお気づきですか? 「1年前」は時間が過去へ向かうモデルです。一方で「振り返る」は、自分が未来に向かうモデルを使っているのです。大人はこの矛盾したふたつのモデルを意識することなく言語の慣習として使っています。

 子どもはさまざまに大人が当たり前に思っている言語の慣習とは外れたことを言います。言語の慣習と明らかにバッティングしなければ、「かわいい詩人のような言い方」と大人は思います。でも、慣習的に決まった言い方があると、「まちがい」になってしまうのです。子どもがことばを覚え、使いこなすようになって立派な母語話者になるというのは、慣習によって、言語の表現上の論理の矛盾に気づかないほど、自分の思考を言語に溶け込ませてしまうことなのだ、ということも言えるかもしれません。
 人間は、子どもの時から、自由に想像力を羽ばたかせてことばを拡張する能力を持っています。それは人間の素晴らしい性質であり、文化を創造する原動力になります。しかし、コミュニティのメンバー全員が言語を理解し合えるためには、各個人の想像力に制限をかけて、共通に使える決まりごとも必要になってきます。これが慣習なのです。
 子どものいいまちがいの「作品」を見ていると、言語の本質的な特徴をさまざまな方面から多彩に見せてくれます。また、人間が生まれながらにもつ思考のしかたや推論能力から言語がどのように生まれてきて、進化し、現在の姿になってきたかという問題について、さまざまな仮説を私たちに考えさせてくれます。」

○水野 太貴:1995年生まれ。愛知県出身。名古屋大学文学部卒。専攻は言語学。出版社で編集者として勤務するかたわら、YouTube、Podcastチャンネル「ゆる言語学ラジオ」で話し手を務める。著書に『言語オタクが友だちに700日間語り続けて引きずり込んだ言語沼』(あさ出版)がある。

○吉本 ユータヌキ:イラストレーター、漫画家。2014年より、SNSを中心に作品を発表。Twitter、Instagramなど総フォロワー数はおよそ12万人(2019年現在)。主に2児の父親として、自身の子供の観察漫画を描いたり、趣味の音楽や食べることなどをテーマにしている。著書に『おもち日和』(集英社)、『あした死のうと思ってたのに』(扶桑社)などがある。

○今井 むつみ:1989年慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学.94 年ノースウェスタン大学心理学部Ph.D.取得.専門,認知科学,言語心理学,発達心理学.著書『ことばと思考』(岩波新書),『学びとは何か』(岩波新書),『ことばの発達の謎を解く』(ちくまプリマー新書),『英語独習法』(岩波新書)など.共著『言葉をおぼえるしくみ』(ちくま学芸文庫),『算数文章題が解けない子どもたち』(岩波書店)など.

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