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本川達雄『ウマは走る ヒトはコケる 歩く・飛ぶ・泳ぐ生物学』

☆mediopos3517  2024.7.4

本川達雄『ゾウの時間 ネズミの時間』
『ウニはすごい バッタもすごい』につづく完結篇
『ウマは走る ヒトはコケる
 歩く・飛ぶ・泳ぐ生物学』が刊行されている

動物は「動く」から動−物だが
その移動する環境には
「陸」「水」「空」の3つがあり

「陸」は固体なので歩行・走行し
「水」は液体なので遊泳し
「空」は気体なので飛行する

自力で移動するときには
それぞれの「環境」(土・水・空気)を後に押し
「押せば押し返されるから前進できる」が
それぞれ性質は大きく異なっているため移動方法も異なり
それにともなってそれぞれが速い動きを可能にする
「体」の作り・デザインとなっている

本書は「歩く・走る、泳ぐ、飛ぶという、
自身が行い、また身近にいる動物たちが日々行っている
馴染み深い現象について理解し、それを通して
動物たちと自分自身を理解」するために書かれものだが

『ゾウの時間 ネズミの時間』や
『ウニはすごい バッタもすごい』も同様に
「目に見える生物学」を目指しているという

著者は「日々の生活に密着した運動と
「それを可能にするために
体がこんなふうにできているんだなあ」
という実感を伴った理解」が
「生物学上の知識・理解に必要だと考えているにもかかわらず
それを得る機会が初等教育のどこにもない」という

「自身の歩行や他の動物の動きも、
そして動きの基礎になっている体の構造も、
中学生なら実感を伴って理解できる」はずなのだが

「重量や弾性力を中学物理分野で
きちんと学習した後でなければ、生物の授業で
それらを使った説明を行ってはいけないことになってい」て
「動物の運動や、脊椎や肢の働きについて
中学ではきちんとした説明がなされることはなく、
その状態のまま高校で分子生物学を学ぶことになる」

学校教育の指導要領についてはまったく不案内だが
こうした学習指導においては
まず抽象的な内容と概念が教えられ
その上でしか実感に結びついた理解の得られる
実際のことを教えてはいけないということになる

これはひとを死体として解剖することからはじめ
その生きた姿を後回しにするようなものだろう

ひとは生まれその環境とふれあい
そこにあるさまざまなものを観察し
そこから学ぶことからはじめる
そしてその観察は生涯終わることはない

やがて目に見えないものを問題にするとしても
その基礎には「目に見えるもの」
そして観察できるものがある
抽象は抽象から
ヴァーチャルはヴァーチャルからは
はじまらないからである

「歩く・走る、泳ぐ、飛ぶ」を扱った本書も
「目に見える生物学」だからこそ
そこに生きたかたちでさまざまな驚きをもたらしてくれる

なぜ「ヒトはコケつつ歩くが、
これがめっぽう効率が良くて速い」のか
なぜ「鶏の胸肉はササミよりも3倍も大きい」のか
なぜ「渡り鳥が無着陸で何千㎞も飛べる」のか
なぜ「魚やイルカには顎がない」のか

そんなさまざまな「なぜ」を
「動き」から考え始められる事例が
本書にはぎっしり詰まっていて興味は尽きない

■本川達雄『ウマは走る ヒトはコケる 歩く・飛ぶ・泳ぐ生物学』
 (中公新書 中央公論新社 2024/2)

**(「はじめに」より)

*「動く物と書いて動物。動物の最も動物らしいところは動くところだろう。」

「移動運動においては環境中を移動していく。環境には3つあり、陸と水と空。陸は固体、水は液体、空は気体と、それぞれ状態が違う。それに伴い、移動運動法も歩行・走行、遊泳、飛行と変わってくる。

 自力で移動するものはすべて、環境を後ろに押す。押せば押し返されるから前進できる。ただし押す相手(土・水・空気)の性質は大きく異なっている。水と空気とを合わせて液体と呼ぶが、流体は押せばさらさら流れていってしまう。それに対して、土や岩は固体で、押しても「その場に踏みとどまって」押す力をそのまま押し返してくる。そのため流体と固体とでは移動方法が多いに変わるし、それに伴い動物の体のつくりにも大きな違いが生じてくる。

 水や空気を押して進むものではヒレや翼という広い面積をもった構造が目立つ。硬い地面を蹴って進むものでは細長い「カモシカのような肢」が目立っている。動物の体は主に移動運動を上手に行えるデザインを採用しており、動物の体がなぜこんなふうにできているかを理解したかったら、移動運動の理解は欠かせない。

 動物の中でもわれわれヒトはとりわけ移動運動能力に長けたものである。歩く・走るだけではなく、登って木の実を集め、潜ってアワビを採ることまでできる。狙った獲物を見失わずに長距離にわたって疲れず追いかけて狩る優れた能力は、2足で立ち上がって目の位置が高くなったこと、倒立振り子による省エネの歩き方、そして体毛を失ったことによる効率の良い放熱と関係付けて議論されている。自分自身を理解したいと思ったら、われわれの移動方法についての理解は欠かせない。

 本書は歩く・走る、泳ぐ、飛ぶという、自身が行い、また身近にいる動物たちが日々行っている馴染み深い現象について理解し、それを通して動物たちと自分自身を理解しようとするものである。運動そのもののみならず、それを可能にしている体のつくり(デザイン)についても丁寧な説明を心がけたのはそのためだ。」

**(「第1章 歩く・走る」〜「肢」より)

*「歩くものはヒトをはじめイヌもアリもゴキブリも、皆、しを前後に振る。走るときもそうだ。」

「胴から突き出た運動器官が附属肢、つまりあし。肢という漢字のつくりは支であり、これは本体から分かれた部分を指す。木偏に支なら枝。幹から分かれて突き出た部分であり、昔は動物の手足も枝と言った。

 肢は「あし」と呼ぶが、そう読む漢字には足や脚もあり、厳密には指すものが違う(図1−1)。附属脚1本全体を意味するのが肢で、英語ならばlimb。足footは地面に着く部分(くるぶしから先)、脚legは下肢(膝関節からくるぶしまで)。ただしこれは脊椎動物の場合であり、節足動物(昆虫・エビ・カニ)では付属肢電堆を脚、軟体動物(イカ・タコ・貝)では足と書き慣わしている。

 テーブルのあしは脚と書くが、四肢動物(ネコやウマ)をテーブルに見立てるなら、これは折り畳みテーブル。肢と本体の接続部に関節(肩関節や股関節)があり、移動運動の際にはここを支点にして肢が振れる。つまり肢には前後に振れる推進器としての役割と、テーブルの脚のように本体(胴)を持ち上げて保っておく役割と、2つの役割がある。」

**(「第2章 歩く力・走る力」
   〜「ヒトの2足歩行————ひとはコケながら歩く」より)

・(1)歩行の倒立振り子モデル

*「2足歩行はしばしば「倒立振り子モデル」で記述される。倒立振り子とは、昔のゼンマイ式メトロノームのように、棒の上端に錘が付いており、下端を支点として回転しながら往復している逆さになった振り子(図2−5)。

 このモデルは胴と2本の肢だけでできており、胴が振り子の錘に、肢が棒に対応する。簡単のために肢には重さがなく、すべての質料は胴に集まっているとする。肢は硬い棒で、胴との付け根の筋肉で前後に振られる。2本の肢は交互に振れ、一方の肢が持ち上げられているときには、もう片方は地面に下ろされている。このようなモデルでは胴は一連の円弧(円弧の半径は肢の長さ)を描きながら前進するから、胴は1歩1ごとに上下する。

 実際にヒトは倒立振り子モデルのような上下運動を繰り返しながら歩く(図2−6上)。肢は地面についている間は真っ直ぐに保たれ、その結果、1歩の真ん中、つまり支えている肢が垂直なときに、重心の位置が一番高くなる(①や③の図)。両足が地面についているときが最低であり(②と④)、重心は約4cm上下する。」

・(2)走行のバネ振り子モデル

*「ヒトが走る様子を時間を追って模式的に示したのが図2−6下。図①は右肢が着地したところで、この状態から右肢は地面を蹴って体を前上方に押し上げながら加速させ、ついに体は完全に中に浮いて放り出されたボールのように飛び出し、ある高さ(右肢が下へ押した離陸速度の垂直成分と体重との兼ね合いで決まる)まで上がり(②)、それから重心は重力に引かれて落下し、その間に左肢は前に振り出され、この左肢で着地する(③)。着地の際、肢は膝を曲げながら体を減速させ、こうして「肢のバネ」に運動エネルギーを吸収して衝撃を緩和する。

 走行においても重心が上下してはいるが、重心の軌跡は歩行のように円弧の連続ではない。また、着地すると体の速度が落ち、重心が最も低い位置のときに速度も最も遅くなっている。この点は歩行とは真逆。つまり歩行では重力位置エネルギーと運動エネルギーとは位相が逆転していたのだが、走行では同位相となっている。」

**(「第6章 泳ぐ」〜「水と空気」より)

・泳ぎに使える推進機構

*「動物が泳ぎに使える推進機構は3つもある。①翼、②櫂、③ジェット噴射。それに対して、動物が飛ぶ場合には翼以外には使えないし、地表を進む場合は櫂と同じ原理、つまり肢で環境を直接押してその抗力で進むやり方だけ。」

**(「第6章 泳ぐ」〜「魚の泳ぎ」より)

・泳ぎ方の分類

*「魚の泳ぎは伝統的に①ウナギ型、②アジ型、③マグロ型の3つに大別されてきた(図6−3)。①と②が胴をくねらす波動運動を使い、③胴は動かさず尾だけを振り、尾は翼として働く。①→②→③となるほど、より速く、より効率の良い泳ぎになる、これ以外にも④胸ビレで扇ぐ魚や⑤背ビレや臀ビレを波動させる魚もいる。

 泳ぎ方は魚の体形とも関係し、それらは棲み場所とも関係する。」

**(「第8章 飛ぶ」より)

*「自力で空を飛べる動物は3つしかいない。昆虫、鳥、コウモリ。絶滅してしまった翼竜を含めても4つだけ。飛べる仲間は限られているのだが、どの仲間も種の数が非常に多い。」

**(「第8章 飛ぶ」〜「鳥のデザイン」より)

*「飛ぶためには翼を羽ばたかせて揚力を得なければならない。そこで鳥は前肢を大きな翼に変え、地上では2足歩行することにした。胴は翼の大きな力と高速で飛ぶことからくる大きな変形にも耐えられるよう、変形しにくい固いものとし、その形は空気抵抗の少ない流線形をとった。「翼+2本肢+流線形の固い胴」が鳥の基本形である。

 鳥の体には飛ぶためのさまざまな工夫が視られる。(1)体の軽量化。(2)強力な飛翔筋とそれを支える骨格系、(3)効率の良い翼を形成する羽根(羽毛)。(・・・)(4)高い代謝力を保てる効率の良い呼吸系。これによる飛翔筋肉への大量のエネルギー供給が可能になっている。」

**(「第9章 飛ぶ力」〜「飛行の用語」より)

・揚力と抵抗

*「物体が流体中を動くとき、それが適切な形と向きとをもっていれば、流れの場は揚力を生み出す。その適切な形をした揚力生産装置が翼であり、翼には互いに直交する2つの力が働く。

 揚力・・・・・・翼の動く方向に直角な力
 抗力・・・・・・翼の動く方向と平行で逆向きの力

 翼は、上手に設計すると要領を抗力よりずっと大きくできる。「揚力÷抗力」を揚抗比と呼ぶが、翼の揚抗比は通常10、つまり揚力は抗力の10倍大きい。揚抗比は翼がどれだけ効率よく揚力を生むかの指標になる。」

**(「おわりに」より)

*「本書は動きであれ体の構造であれ、目に見えるものを扱っている。こんな「目に見える生物学」を書きたくなったのは教科書の編集に長年、関わってきたから。

 高校の生物は難しい。細胞から始まり、タンパク質や遺伝子のことがかなり詳しく述べられている。皆、顕微鏡や電子顕微鏡がないと見えない。そんなものばかりでは、どうにも実感が湧かない。もちろん生態系や進化も取り扱ってはいるが、こちらは逆に大きすぎたり時間が長すぎたりで、やはり実感が湧いてこない。結局、目にも見えず手でも触れられない話ばかりで、とっつきにくいこときわまりない。

 子供は生きものが大好きだし、小学校や中学で目に見える生物のことを学んでいる間は理科生物分野という教科も好き。だが、中学三年でメンデルの遺伝の法則という目に見えないものが出てきたとたんに生物嫌いが増える。

 重力や弾性力も目に見えないものだが、コケれば痛いしゴム製のパチンコの弾が当たればやはり痛い。これらの力は実感できるものなのである。だからそれらを使って説明すれば、自身の歩行や他の動物の動きも、そして動きの基礎になっている体の構造も、中学生なら実感を伴って理解できると筆者は思う。しかし重量や弾性力を中学物理分野できちんと学習した後でなければ、生物の授業でそれらを使った説明を行ってはいけないことになっている。そのため、そのため、動物の運動や、脊椎や肢の働きについて中学ではきちんとした説明がなされることはなく、その状態のまま高校で分子生物学を学ぶことになる。

 日々の生活に密着した運動と「それを可能にするために体がこんなふうにできているんだなあ」という実感を伴った理解。これらは良い社会人になり、健康な毎日を過ごすためには必須の生物学上の知識・理解だと筆者は強く感じているのだが、それを得る機会が、初等教育のどこにもない。だからこそ本書を書いた。

 動物は動く物だから、運動という切り口で脊椎動物を眺めると、体のデザインがあざやかに浮かび上がってくる。そのため、本書は手頃な脊椎動物学入門の役割をはたせると思う。」

○本川達雄
1948年宮城県生まれ.東京大学理学部卒業.同大学助手,琉球大学助教授,デューク大学客員助教授を経て,1991年より東京工業大学理学部教授.2013年,退官.東京工業大学名誉教授.専攻・動物生理学.著書『ゾウの時間 ネズミの時間』(中公新書,1992年),『ウニはすごい バッタもすごい』(同,2017年),『生物学的文明論』(新潮新書,2011年),『生きものとは何か』(ちくまプリマー新書,2019年),『ラジオ深夜便 うたう生物学』(集英社インターナショナル,2022年)ほか多数.

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