野村喜和夫「戦後散文詩アンソロジー」/「散文詩全史(戦後日本篇)」(『現代詩手帖』2024年7月号)
☆mediopos3525 2024.7.12
『現代詩手帖』2024年7月号
特集は「散文詩の自由」
野村喜和夫編による
「戦後散文詩アンソロジー」と
その解説「散文詩全史(戦後日本篇)」が
掲載されている
「戦後散文詩アンソロジー」として
とりあげられているのは以下の詩人と作品
(中に日本以外の詩(訳)も入っているが
日本の散文詩に影響を与えたとされる詩人の詩から)
田村隆一「腐刻画」「沈める寺」
吉野弘「I was born」
入沢康夫ランゲルハンス氏の島」より
岩成達也「法華寺にて」(抄)
谷川俊太郎「コップを見る苦痛と快楽について」
フランシス・ポンジュ/阿部弘一訳「雨」
粕谷栄市「世界の構造」
アンリ・ミショー(小海永二訳)「犬の生活」
荒川洋治「キルギス錐情」
天沢退二郎「〈地獄〉にて」
吉増剛造「赤壁に入って行った」
松浦寿輝「不寝番」
朝吹亮二「Opus」より
瀬尾育夫「規則の虫」
建畠哲「旅の遅延」
野村喜和夫「風の配分」(抄)
時里二郎「ハーテビーストの縫合線」
井坂洋子「生きものの森」
川口晴美「夜の果てまで」
関口涼子「熱帯植物園」より
小笠原鳥類「腐敗水族館」より
岸田将幸「幼年期生地断片」より
マーサ・ナカムラ「許須野鯉之餌遣り」
井戸川射子「川をすくう手」
上記(だけではないが)のように
戦後現代詩として論じられているのは
「「荒地」派鮎川信夫の行分け詩「死んだ男」とともに、
同じ荒地派田村隆一の不思議な散文詩「腐刻画」から始ま」り
一九七〇年代の散文詩の黄金時代を経て
現在地としてのマーサ・ナカムラやカニエ・ナハまでの作品
野村喜和夫は「散文詩」を
その「書法」という面から
「横に伸びる散文詩と縦に揺れる散文詩」に分け
「すべての散文詩はこの両端のあいだに位置づけられるが、
分布は圧倒的に前者の方に偏っている」という
前者は「線」的な「お話」「ナラティヴ」であり
後者は「面」的な「場面もしくはイメージの積み重なり」で
「そのあいだにナラティヴはほとんど存在しない」
西洋の近代詩でいえば
前者はボードレールの『パリの憂鬱』
後者はランボーの『イリュミナシオン』
論じられている各詩についてふれることはできないが
最後に示唆されている「詩の詩性とは何か」という問い
そして詩の現在地の状況についてのみふれておきたい
ボードレールや朔太郎までは詩といえば「韻律」だった
その後「イメージ」となり
さらに「エクリチュール」(前衛性)となっていったが
現在では「メタファーリテラシーの劣化」「希薄化」と
「亜散文」の覆いのなかで
「何が詩を詩たらしめているのか。
その客観的基準を設けることはきわめてむずかし」くなっている
極論をいえば
「これが詩であるといって差し出せば、すべて詩になってしまう」が
野村喜和夫は「通常の意味のシステムでは掬いきれない何か、
余剰もしくは過剰としてあふれてしまう何かがあるとき、
それを称して詩と呼んでみたい」という
ちなみに「メタファーリテラシー」とは
「隠喩を解する能力」だが
現在そのリテラシーが劣化及び希薄化し
直接的なかたちで「リアルな変容を語ること、
つまりナラティヴを要求する」ようになっている
そんななかでの「亜散文」である
こうした詩及び詩性の変化は
「今日の大衆文化社会、市場原理社会」のもと
「メタファーを解したり運用したりする能力が
減衰しているがゆえに」生まれてきているといえるようだ
詩にかぎらず現代はあらゆる文化において
「大衆文化社会、市場原理社会」の影響から
「亜○○」化の避けられない状況となっていて
「リテラシー」の「劣化」「希薄化」が
避けられないようになってきているところがある
そんななかで野村喜和夫の示唆のような
「通常の意味のシステムでは掬いきれない何か、
余剰もしくは過剰としてあふれてしまう何か」が
なんとか生き延びていきながら
新たなものが生み出されていくことを願うばかりである
■野村喜和夫編「戦後散文詩アンソロジー」
野村喜和夫「散文詩全史(戦後日本篇)」
(『現代詩手帖』2024年7月号 思潮社)
**(野村喜和夫「散文詩全史(戦後日本篇)」より)
*「散文詩全史を辿るにあたって、私は散文詩をその書法という面から二種類に分けたいと思う。横に伸びる散文詩と縦に揺れる散文詩。前者は線状であり、場面から場面への展開。つまりお話であり、ナラティヴと呼んでよい。後者は面的であり、場面もしくはイメージの積み重なりであり、そのあいだにナラティヴはほとんど存在しない。すべての散文詩はこの両端のあいだに位置づけられるが、分布は圧倒的に前者の方に偏っている。散文詩の起点であるボードレールの『パリの憂鬱』も前者であり、だが、ボードレールからほどなくして、早くも散文詩の極点に達したといってよいランボーの『イリュミナシオン』は後者である。」
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*「もうひとつ、記憶によれば、二十世紀から二十一世紀への変わり目あたりからだろうか、現代文学理論の詩学研究(ポエティック)から説話論的研究(ナラトロジー)の方へ推移していったかのような現象も、散文化という現代詩の今日的傾向とパラレルであるように思われる。(・・・)もはやメタファーだけではカバーしきれなくなった何かが、今日の大衆文化社会、市場原理社会を薄く広く覆い尽くしているのである。別の視点から言えば、メタファーを解したり運用したりする能力が減衰しているがゆえに、人は散文に走るのではないか。」
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*「戦後の日本現代詩は、「荒地」派鮎川信夫の行分け詩「死んだ男」とともに、同じ荒地派田村隆一の不思議な散文詩「腐刻画」から始まった。(・・・)しかし、散文脈による散文脈の否定であることはまぎれもなく、ランボーに近い。じっさいこのあと、田村隆一が散文詩を書くことはほとんどなかった。
なお、「腐刻画」におけるような、改行せずに一字空けでフレーズをつないでいく半散文的形式は、吉岡実、石原吉郎ほか多くの詩人たちによって試みられている。また、現代詩の古典中の古典とされる吉野弘の「I was born」は、句読点付きの純然たる散文形式。蜻蛉の雌のイメージの象徴性が詩性を保証する。
*「つぎにあらわれるのは、やや間は空くが、次世代入沢康夫の実験である。入沢はひとりで両極の間を踏破した。ミステリー小説のパロディとして読める『ランゲルハンス氏の島』は、もちろんナラティヴの系であり、その後に書かれた『季節についての詩論』は、打って変わって楯に揺れる系である。」
「入沢を頂点とするこういう方法意識の前景化は、戦後に産出された散文詩に多かれ少なかれみられるものだが、昨今の亜散文は、むしろ方法意識の希薄化とともにあらわれる。無意識のうちに散文で書いていました、あるいは書かされていました、的な。」
*「入沢康夫の盟友岩成達也は、擬物語ならぬ擬論理の詩を書き、一九七〇年代には多くの模倣者を生んだ。この時期は、いわば散文詩の黄金時代だったのである。裏を返せば、メタファー中心にして行分け形式中心の戦後現代詩が飽和点もしくは臨界点に達して、何か外部を、オルタナティヴを、求めていたのだった。それが散文形式だったというわけである。にしても、岩成が擬論理によって提示しようとしたのは、しかし余人の追随を許さない反世界的な世界の神秘であった。」
*「世界の構造といえば、同時期にひときわユニークな散文詩世界を築いた粕谷栄市の第一詩集が『世界の構造』であった。粕谷において、形式と内容はひとつである。彼も最初期は行分け形式で書いていたようだが、アンリ・ミショーの幻想的な散文詩を読んだことを契機に、散文形式で詩を書くようになった。」
*「粕谷栄市がアンリ・ミショー経由なら、谷川俊太郎はフランシス・ポンジュ経由である。すでに述べたように、一九七〇年代は散文詩の黄金時代だったが、その担い手となった詩人の多くがポンジュの『物の見方』を参照したのではないだろうか。私はとくに谷川俊太郎の『定義』という散文詩集を思い浮かべている。」
*「ポンジュは言葉の隠喩的な力に信を置いている。一方、『定義』の谷川は、言葉の無力さに逆説的な信を置いているようなところがある。ポンジュは、言ってみればハイデガーに近く、谷川俊太郎はヴィトゲンシュタインに近い。」
*「それにしても、当時はまだ、西洋の詩に学ぶという近代詩以来の「蕩児の家系」(大岡信)の気風が残っていた。たとえば仏文系安藤元雄の傑作散文詩「水の中の歳月」が想起されるし、天沢退二郎の『〈地獄〉にて』などの終わりなき夢魔の探求も、シュルレアリスム的方法のひとつ、夢の記述をベースにした散文詩であった。今はむしろ、良し悪しは別として、同じ国の伝統詩型、とくに短歌的なるものの浸潤が「蕩児の家系」を骨抜きにしつつあるという印象がある。この傾向は今日における詩の散文化と一見逆方向だが、実は近接している。どちらも文化芸術の大衆化や平準化に基づくものであろうからだ。」
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*「一九八〇年代から九〇年代にかけては、詩のポストモダンとして括ることを私は好む。何のことはない、ポストモダン的書法を意識して詩を書いていた私自身を想起し救済したいからである。しかし当初の主戦場は、私が参加しなかった詩誌「麒麟」や「菊屋」であった。そこでは、行分けか散文かという前に、詩的発話が、またその主体の規定が、またそのエクリチュールの様態が問題とされたのだった。朝吹亮二『密室論』、松浦寿輝『吃水都市』、瀬尾育夫『Deep purple』といった詩集が思い浮かぶ。彼らより世代は上だが、吉増剛造『オシリス、石ノ神』の「赤壁に入っていった」のような、音声をそのまま書き取ったような実験的散文スタイルもここに入れよう。」
*「ポストモダン的意匠とはやや離れて、そしてやや遅れて、真にユニークな散文詩の書き手たちもあらわれた。『余白のランナー』の建畠哲、『名井島』の時里三郎といった詩人たちである。彼らは言うなれば、粕谷栄市の延長線上で、それでなければ内容が展開できない不可避的な形式として散文詩を選んだ。散文詩はこのとき、ジャンル内ジャンル意識として自立する。そうして建畠は黒いユーモアとの、時里は民間伝承との接続を図った。」
*「またこの時期、エクリチュールがよりむき出しとなる断章形式も実験として試みられた。平出隆『胡桃の戦意のために』や私野村喜和夫の『風の配分』がそれにあたる。福田拓也の徹底して非散文的な散文のエクリチュールも印象深い。一方、井坂洋子や川口晴美は、散文詩の書き手というイメージはないが、その詩的テクスチャーに散文脈を大胆に取り入れて、それぞれの主題(井坂なら他界、川口なら都市生活)の拡大深化を果たした。今日、一詩篇中に行分けと散文形式を併用するスタイルがふつうに見られるが、その淵源はこのあたりにあるのかもしれない。いや、もっと遠く、一九七〇年代半ばの荒川洋治の「キルギス錐情」なども、行分け散文混淆形式がみずみずしい地図的想像力を織り成していたのを思い出す。伊藤比呂美は伊藤比呂美的ジャンルとしか言いようのない散文で独特の語りの領域を開拓した。」
*「二〇〇〇年代に入ると、八〇〜九〇年代の余波としてのエクリチュールの先鋭化が続き、関口涼子や小笠原鳥類が、それぞれ特異な散文形式で独自の言語宇宙を構築した。その後、ポストモダン的な主体の透明化に抗するように、「ゼロ年代詩人」中尾太一や岸田将幸らによって抒情の復権もしくは絶対化が盛んに徒耐えられたが、その主題に沿うかぎりで、彼らはあらゆる書法の形式を用いた。その意味でさらにいちだんと過激であった。だが総じて、散文詩というジャンル内ジャンル意識は、二〇〇〇年代を通じてやや薄れてしまった感がある。」
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*「散文詩が復活、というか、これまでとは違った様相であらわれるのは、すなわち亜散文があらわれるのは、ようやく二〇一〇年代、それもその後半になってからである。小野絵里華、野崎有以、マーサ・ナカムラ、水沢なお、井戸川射子といった名前がすぐに思い浮かぶ。すべて女性だ。印象としては小説やエッセイ、ファンタジーなどのかけらに限りなく近い。「現代詩年鑑2023」に私は、「総展望二〇二二年の詩」という批評文を書き、そこで以下のようにこの亜散文に触れた。
「(・・・)とにかくいま書かれている詩には亜散文が多い。行分け形式、散文形式を問わずに、である。とりわけ、最近活躍している女性の書き手たちにおいてそうだ。(・・・)自然に、無意識のうちに、時代を反映するようにしてそうなったとみるべきである。そのかぎりでは良くも悪くも、というほかなく、しかし背景にはメタファーリテラシーの劣化ないしは希薄化があると思う。メタファーリテラシーとは、私が勝手に造り出したリテラシーだが、要するに隠喩を解する能力のことである。言葉の価値は、あるいは美は、他のどんな言葉と関係しているかによって決まる。「これ、走り書きのノートです」と言われても面白くもなんともないが、「これ、走り書きの炎です」(たしか杉本徹の詩になった連辞)と隠喩的にひねられると、がぜん、「走り書き」も「炎」もそれ以上の何かに変容するかのようなのだ。このような相互作用こそポエジーと呼びたいが、じっさい、アリストテレスの昔からつい最近まで、詩がわからないという人————世間の大多数の人————には隠喩の何たるかを説けばよかったのである。ところが、いまの若い人々はこのような言語運用に対する反応が鈍くなった。代わりに、走り書きがほんとうに炎になってしまうようなリアルな変容を語ること、つまりナラティヴを要求する。サブカルや視聴覚文化の影響であろうか。亜散文とは、メタファーリテラシーの希薄な世代に向けられたひとつの生き延びの道かもしれない。」
「詩のひとつの生き延びの道。ここにある種の皮肉が生じる。散文詩の黄金時代が戦後現代詩の飽和点にあらわれたことを忘れてはなるまい。散文詩の際立ちは、行分け形式という地があればこその、つまり図なのであった。その地も今や散文化しつつあるとなれば、散文詩(というジャンル内ジャンル意識)自体が消滅してしまう理屈になるのではないか。いやもう消滅しつつある。復活どころの話ではなく、それが亜散文のあらわれということになろうか。」
*「ではそこにおいて、詩の詩性とは何か。逆説的ながら、最後にこの問いを置きたい。ボードレールまでは、日本でも朔太郎までは、詩といえば韻律であった。それからイメージとなった。シュルレアリスムがその推進エンジンであったのは言うまでもない。それからエクリチュールとなった。前衛性である。では今、メタファーリテラシーの劣化と亜散文の覆いのなかで、何が詩を詩たらしめているのか。その客観的基準を設けることはきわめてむずかしい。極論すれば、これが詩であるといって差し出せば、すべて詩になってしまう。それでいいではないか。いや、いくらなんでもそれでは————というわけで、とりあえず私は、通常の意味のシステムでは掬いきれない何か、余剰もしくは過剰としてあふれてしまう何かがあるとき、それを称して詩と呼んでみたい衝動に駆られる。意味から無意味、非意味あるいは未意味への言葉の逸脱、溢出。たとえばマーサ・ナカムラ『狸の匣』の諸篇において、個々の場面は散文的でナラティヴだが、繋ぎの部分には夢の論理、論理なき論理が働いている。つまり楯に揺れる。同じカタカナネーム(!)のカニエ・ナハも、亜散文の手つきで、しかし洗練された偶然性のマニエリスムを織り込む。それらをしも、詩性と言わずし何だろうか。」