新見隆『もっと知りたいイサム・ノグチ 生涯と作品』
☆mediopos-2454 2021.8.5
ここ数ヶ月ほど
イサム・ノグチのことが
とくにバックミンスター・フラーとの関係から
あらためて気になっている
イサム・ノグチは9歳年上のフラーと親しかったが
愛称のバッキーではなく
「ミスター・フラー」の敬称で呼んでいた
「フラーは想像力をかきたてる偉大な教師だった」
とフラーの死後そう語っている
イサム・ノグチは
バックミンスター・フラーを
モデルにした頭像をつくっているが
なぜバックミンスター・フラーなのか
イサム・ノグチの生涯と作品を紹介した
新見隆の小著のあとがきに
「ノグチは、地球を外から見ていた、眺めていた」
と書かれている
ほんとうはほかの惑星から
地球を訪れている異星人で
死後はまたその惑星に帰っていく
イサム・ノグチの「庭」も
宇宙の「上空から眺めた、
不可思議な遊び場がある鳥瞰模型」で
「一人の、たった一人の異星人のための遊び場」なのだと
異星人が地球にやってきて彫刻をつくろうとする
そのときその彫刻はどんな姿になるだろうか
その視点でイサム・ノグチの彫刻をみると
それは新見隆が「今、なぜノグチなのか?」で
その重要性を示唆していることへとつながってくる
自然との融和としての万物照応
ひとつだけの文化には帰属しないグローカルな普遍性
身体的に体験できる地球彫刻としての庭
彫刻は身体をもっている
その身体はひとつの文化の内に
閉じたものであってはならない
そして地球やその自然と切り離されてはならない
大地そのものが
そこで生きて体験できる庭となるような
そんな彫刻でなければならない
私たちはバックミンスター・フラー以降
宇宙船地球号で生きていることを
意識せざるをえなくなっている
それは地球を外から眺める視点でもあるのだが
むしろ地球の上でかけがえいのない身体をもって
森羅万象とともに生きている存在であることを
忘れてはならないということでもあるのだ
地球の外から地球を見ながら
地球の上で生きていることを遊ぶ体験としての彫刻・・・
■新見隆『もっと知りたいイサム・ノグチ 生涯と作品』
(東京美術 2021/4)
(「はじめに 今、なぜノグチなのか?」より)
「21世紀に、その文化や芸術のあり方に、ますますノグチが他の芸術家と比べても、抜きん出て重要な意味は、三つある。」
「まず真っ先に、「自然への愛を、もっと僕らは具体的に学ばないとならない」ということ。そのためには他の20世紀の芸術家より群を抜いて、ノグチの作品に触れるのがいちばんなのだ。」
「ノグチは「人間の肉体をうつす」というギリシャ以来の西洋彫刻を徹底して学びながらも、それから抜け出す苦闘の果てに、ユーラシアというか東洋的な彫刻、つまり自然を内部に取り込んだ、自然と闘うのではない自然と融和した人間の肉体を発見した。
19世紀モダンアートの達成の一つ、フランス象徴派の宰領、ボードレールは「Correspondence」つまり「万物照応」という言葉を発した。森羅万象が響き合っている状態。生きとし生けるもの、万物が五感で木霊し、応答し合っている幸福な、宇宙的調和のことだ。美術の作品で言ったら、何といっても中世の末期に無名の職人によってつくられた、パリのクリュニュー美術館にあるあの「貴婦人と一角獣−−−−五感のタピスリー」の表すものだろう。
都市化や機械化の始まった現代のルーツであるこの時代にすでに、それがやがて絶たれる予言、人間の生身の肉体が自然や宇宙と切り離されつつあることの危機感に、詩人の感受性がいち早く、警鐘を鳴らしたわけだ。
ノグチはそういう「失われた幸福」を命懸けで奪還しようとした。」
「ノグチは、日米の両親を持って生まれたから、どちらの国でも「よそもの」として扱われ、どちらの文化にも帰属できずに苦しんだ。」
「ノグチの仕事は、20世紀を見まわしても、群を抜いて「グローカル」だ。それは、地域の風土や土着の文化を徹底して愛し慈しみ、寄り添いながらも、それでいて個々の場所を超えて宇宙的とも言える、普遍性を持っている、という意味だ。(・・・)これが二つ目のポイントだ。」
「それはそう簡単には言えないが、造形的に見ると、ノグチは抜群の「目」の人であって、見たり感じたりしたものを見事に、肉体的に「自分の中に吸収できる」天才だった。だがそれだけだと、素材や風土の中に取り込まれて、ローカルな土着主義で終わっただろう。ノグチはまた無類の「手」の人であって、その吸収したものを、グローバル、まさしく地域を超えた超越的で宇宙的な造形にして吐き出し投げ出すことができた人だ。」
「日本かアメリカか、西洋やら東洋やら、という僕らの浅い分類など超えていったことが如実にわかるのが、畢生の大作《モエレ沼公園》だった。
そこには体験したことのある人ならどこと分かる、いろいろな土地が息づいているようだ。だが、表面的に「模倣した」ものは何一つとしてない。風土の空気が、見えない形で呼吸し造形されている。それは作品という概念がもう当てはまらない、未踏の世界である。」
「最期の三つ目は、ノグチが20世紀の彫刻に訣別して、21世紀の庭の芸術に向かった、その道筋のことだ。
簡単に端折ってしまうと、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に代表されるような「インパクトのある、シャープでドラマティックな作品と精神的に対決する」モダンな芸術体験とノグチは訣別して、「五感」と「異文化の総合」と「自然や記憶」すら複合した、新たな学びの場、として庭を構想したことだ。
つまり、作品を作っただけでなく、作品を体験すること自体、芸術体験そのものを新しく変えようとしたわけだ。これは、僕が思うのに、マルセル・デュシャンというコンセプチュアル・アートの元祖的芸術家と、おそらくノグチしかやっていない。
20世紀きっての文化史家、ヴァルター・ベンヤミンは、著書『複製技術時代の芸術作品』の中で、これからの芸術体験を、建築空間のそれを隠喩しながら、「触覚的体験」になると予言した。一瞬に永遠を感じとるような、「モダンなエリート」的体験から、時空間をゆったり、じっくり自然に味わい、無理なく誰でも身体で感じることのできる「ポストモダン」的体験への移行なのであった。
そういう観点で《モエレ沼公園》を見てみると、そこには幼い頃のまいまいの身体の記憶が呼び覚まされる、そしてそれが刻々と変化する自然や天候に交わりながら立体的に体験される、稀有な「地球彫刻」であることがわかる。
ノグチの庭は、一つには「父」なる、作品対観客、のような厳しい「対決」の彫刻体験を超えた、「母」なる、作品が観客と一体になって育つ、「寛容」なる庭の体験であったとも言える。
それはまた、新しい学び、芸術体験そのものを初めから考え直す、21世紀の「五感」のワークショップの出現であった。」
(「おわりに 舞踏神、あるいは、「いきものがかり」」より)
「かつて、ヒューマニズムしら失いそうな、東京都内でも嫌いな場所、渋谷の雑踏を歩いていた時、こんなことを思った。
われわれ人間は皆、もしかしたら、それぞれ別々の惑星からやってきた異種の生き物であって、今たまたま地球に移ってきた時間だけ「人間」としての生を受け、生活し、生涯を送って死ぬ、それだけなんじゃないだろうか、と。
そして地球の「人間」を終わると、やがてまた、それぞれ別の惑星、古里の帰ってきって、その異種の生き物としての生活を始める。親子、兄弟とて異なる星座から来ている、似たような境界、境遇であって、地球上でたまたま、人間となっただけ。やがて帰って別の異星人に戻った私どもは、地球の記憶がどうなっているか、とんと分からない。たぶん、身体の芯の芯の、奥のものしか、もう微かにしか残ってはいないのだろう、と。
それをあるエッセイで書いたのだが、2年前に出た大部の著作である私のノグチ論は、10年以上かけて書きつづけてきたものだったので、その時に思った感興を直接は接木せずに、ノグチはノグチで書き進めていったものだった。」
「小著にもこう確かに書いている。
つまりノグチは、地球を外から見ていた、眺めていた、と。
牟礼の庭を歩いていると、晩年の石の彫刻でも、二つの系統があって、立っているのが「ギリシャ以来の西洋彫刻の伝統」である人体、寝ているような平たいのが、東洋というか日本の「庭」を外から鳥瞰したような「庭のミニチュア、大地の模型」であることが知れる。
ノグチの庭の出発点は、草月会館で発見された、陶器の円盤形の焼き物だった。それは上空から、あるいは宇宙からと言っていいが、上空から眺めた、不可思議な遊び場がある鳥瞰模型だ。
それはまた、きわめて寂しい、荒野のような景色でもあった。
それは、分かりやすく言うと、モエレへと通じる、宇宙から見た、遊び場だ。」
「一人の、たった一人の異星人のための遊び場。
なぜ、ノグチは庭に向かったのか。
モダンアートの彫刻を父なる峻厳、マッチョな独善だとすると、ポストモダン、東洋と日本の庭は、母なる寛容であるべきだっただろう。
ノグチが願ったのは、その温かい、誰にでも許された安寧の場であったのは言うまでもない。
果たして、そのノグチのその悲願は遂げられただろうか。
それとも、もとからの異星人、人間を辞めて、人間でなかったノグチが、やっとモエレで、あるいは牟礼で、石の中に身体ごと入り込み、その中にただ抱かれて眠っているのだろうか・
石の中に眠る舞踏神。
それを、私どもは今一度、モエレ沼という未来教室で自らの体の記憶をもって問う必要があるのではないだろうか。
その時には、私どもも今一度、自らの舞踏神を呼び寄せないとならないようだが。」
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