『日本短編漫画傑作集(4)』
☆mediopos-2462 2021.8.13
ポップスやロックの黄金期は
60年代後半から70年代前半だったが
(ビートルズとその後のロックの時代)
まんがの黄金期もまたそれに近い時代の
60年代後半から70年代後半だった
(手塚治虫とその後の24年組の少女まんがの時代)
というイメージでふり返ってみることができる
(あくまでも個人的な受容史からでもあるのだが)
『日本短編漫画傑作集』が刊行されたところだが
第1巻は1960年代
第2巻は1960年代後半から70年代
第3巻は70年代
第4巻は70年代後半から80年代
第5巻は80年代
第6巻は90年代〜2000年代
から代表的なまんが家とその作品が紹介されている
今回ここでご紹介してみることにしたのは第4巻
(個人的にもっともまんがを受容していた時代でもあるので)
そのなかでも「いしいひさいち」の
孤高の短編「死斗!!地底人対最底人!」
そしてその現代思想パロディまんが
『現代思想の遭難者たち』である
『現代思想の遭難者たち』は
講談社から1996年〜1999年に刊行された
『現代思想の遭難者たち』全31巻の月報に
掲載されたパロディまんがに書き下ろしを加えたもの
(その後講談社学術文庫にも収められることになった)
『日本短編漫画傑作集(4)』の解説にもあるように
いしいひさいちのナンセンスまんがのなかでも
この「死斗!!地底人対最底人!」の
「何も考えていない最底人」のキャラクターは
決して忘れることができない
地底人と最底人の死闘は
「お、おまー
あっぁ、あほやろう−」
「わ、わーは、
あ あっ、あほっちゃう
どー」
「コッコッ
コーゲキ
す、すっどー」
「えーどー」
「いっい、いちにの
さんーっ、
ソッソレッエ」
「あほーおっ!」
といった
究極の阿呆の戦闘シーンで
描かれている
このナンセンスを超えるナンセンスは
その後も目にしたことがないほどだ
しかもこのナンセンスは
(おそらくだが)
『現代思想の遭難者たち』に受け継がれている
月報に掲載されているそのパロディまんがは
そのナンセンスさで
それまで真面目な顔で対さざるを得なかった
現代思想家たちから感じる権威のようなものを
一気に笑い飛ばしてくれるところがあった
こんなまんがを描けるのは
いしいいさいちを置いて他にはいない
思い出深い作品である
「最底人」の
「お、おまー
あっぁ、あほやろう−」
「わ、わーは、
あ あっ、あほっちゃう
どー」
という「あほ」攻撃を
あらためて読んでみると
ある意味でそれが
その後のぼく自身の
権威から自由であろうとする態度を
支えてくれているように感じる
そして基本にあるのは
いつもじぶんを
「あほーおっ!」と思うことなのだ
じぶんを賢いと思ったらおしまいだから
■いしかわ じゅん・ 江口 寿史・呉 智英 (監修)
いしい ひさいち・一ノ関 圭・ますむら ひろし・星野 之宣・高橋 葉介・さべあ のま・新田 たつお・藤子・F・ 不二雄・坂口 尚 ・はるき 悦巳・宮西 計三 (著)
『日本短編漫画傑作集(4)』
(小学館 2021/7/)
■いしいひさいち
『現代思想の遭難者たち』(講談社 2002.6)
(『日本短編漫画傑作集(4)』〜村上知彦「解説・社会現象と、その向こう側」より)
「第4巻には、1975年から1980年の間に発表された作品が収められている。
70年代の半ばから80年ごろにかけてのまんが状況を思い出してみよう。73年の5月に「あしたのジョー」が真っ白に燃え尽きて連載を終了した。また、まんがの新たな可能性や表現の実験場として、まんが家を目指すものあやマニアのよりどころだった雑誌『COM』は、72年1月から誌名を『COMコミックス』と変更して通俗娯楽路線の別雑誌となることで実質的休刊状態にあったが、73年8月号で1号だけの復刊を果たしたのち、同じ年の8月に発行元だった虫プロ商事が倒産したことにより、今度こそ永遠の休刊となる。」
「70年代後半、少年まんがはギャグとコメディの時代だった。山上たつひこ『がきデカ』のヒットがそれをリードした。吾妻ひでおがシュールなギャグを連発し、鴨川つばめ、高橋留美子、小林まこと、江口寿史らが次々と登場した。一方、当初は青春コメディの描き手と見えた柳沢きみおは「翔んだカップル」で男女関係にまつわる苦悩をシリアスに描く作家へと変貌し、やがて少年まんがのなかに、あだち充をはじめとする主人公の日常をベースにした。恋愛要素を強く持った青春まんがの流れが形づくられていった。」
「少女まんがの場合はどうだっただろう。70年代の後半に、「ベルばらブーム」などによって少女まんがが広く社会現象化した。その背景には、70年代前半のうちに次の時代への準備が整っていたことがある。少女まんがにおいても、71年にはマニアに人気のあった『リボンコミック』と『COM』の休刊という出来事があっが、それと入れ代わるように『COM』投稿世代でもあった竹宮恵子、大島弓子、山岸凉子、萩尾望都ら、のちに「24年組」と呼ばれた団塊世代の描き手たちが次々と登場してきていた。『花とゆめ』『LaLa』『りぼんデラックス』『プリンセス』などの新雑誌が次々と創刊し、「キャンディ・キャンディ」「はいからさんが通る」などの広く知られる大ヒット作と、「11人いる!」「風と木の詩」「綿の国星」「天人唐草」などの24年組による問題作によって彩られた70年代の後半のまんが状況をみれば、この時代はむしろ「少女まんがの時代」として総括されるべきなのかもしれない。」
「いしいひさいち「地底人」シリーズを忘れられない読者は多いのではないか。数あるいしいナンセンスのなかでもその阿呆らしさは抜きん出ており、中でも「死斗!!地底人対最底人!」の何も考えていない最底人(「最低人」ではないことに留意)のキャラクター造形はとりわけ強烈だった。79年から80年代はじめにかけて『漫画アクション増刊スーパーフィクション』にシリーズ掲載。〝ニューウェーヴ作家いしいひさいち〟の代表作である。」
(『現代思想の遭難者たち』より)
「当初のタイトルは『超越論的認識不足』でした。わからないまま哲学パロディを描くとどうなるかというテーマでしたが、さすがにそうもいかずパラパラ読んでみたもののお手上げでこんなことになってしまいました。」
(『現代思想の遭難者たち』〜帯の推薦文「飯田隆氏」より)
「心から楽しませていただきました。しかし、すばらしいものですね。ウィトゲンシュタインも、フーコーも、アレントも、見事にいしいひさいちワールドの人になっています。」
(『現代思想の遭難者たち』〜帯の推薦文「土屋賢二氏」より)
「現代思想をここまでオチョクってよいのか。これは哲学に対する冒瀆だ。哲学者の権威もわたしの権威もこれでは台無しだ。」