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山野弘樹『独学の思考法 地頭を鍛える「考える技術」』

☆mediopos3659(2024.11.25.)

mediopos3656(2024.11.22)で
兵庫県知事選挙をはじめ
アメリカ大統領選挙やワクチン報道など
「オールド・メディア」のきわめて偏向した報道への
「まなざしの革命」についてふれたが

そうした「オールド・メディア」だけではなく
学校教育やSNSなどから与えられる情報に対して必要な
「自ら思考する力」をもつための基本的な「技術」について
山野弘樹『独学の思考法 』をとりあげる
(講談社現代新書として刊行されているが
その主な内容についてWebサイトでも公開されている)

タイトルともなっている「独学」という言葉には
「すぐには答えの出ない問いについての学習」
という意味が込められているが
与えられた答えを問い直すということでもあるだろう

「社会が抱える本質的な課題とは何か」
「その課題に対して自分はどう考えるか」
といった問いは
「学びのプロセス自体を自分なりに考える」ことが
必要とされるからである

著者はかつて「知識」について
「累積的な性格を持」ち
「単なる思考の道具」であり
「知識を収集すること自体が思考力を高める」もの
として理解していたというが

その理解のもとでは
「人間の思考力は失われてしまう」ことに気づく

それを気づかせられたのは
ショーペンハウアーの『読書について』との出会いであり
そこでは「読書は思索の代用品」に過ぎないことが示唆されている

「読書」だけではなく
各種メディアから与えられる情報も同様であり
「思索」とさえいえない「受け売り」でしかない「代用品」である

「他人の書いた文字ばかりをなぞっているのでは、
それは「その文字の通りになぞらされている
(考えさせられている)」に過ぎない」からである

「結果、自らの思考力や洞察力はどんどん失われてしまう」

とはいえ「「考える力」を身につける」にあたり
読書や各種情報が無意味だというのではなく
「「問い」を持ちながら読書をする姿勢が求められている」
ということである

その意味において著者は上記の「知識」に対する捉え方を
知識は「改定的な性格」を持ち
「思考を規定する側面」があり
「思索を展開することこそが思考の本質である」として
とらえ直すことになる

そして自ら思索するためには
「問いを立てる力」「分節する力」「要約する力」
「論証する力」「物語化する力」が
スキルとして必要であるとしている

また判断の際には
「それは、本当に他のすべての事柄に当てはまるのか?」
「なぜそう言えるのか?」
「そもそも、○○とは何だろうか?」
という「問い」をもたねばならない

しかし「考える力」を身につける」ために
前提として必要になるのは
「問いを立てる思考力」
つまり「既存の問いによって隠されてしまっている
未知の問いを探究する思考力」である

はじめに「独学」には
「すぐには答えの出ない問いについての学習」
という意味が込められているとしたが

それはじぶんがすでに「知識」として
受けとっている内容についても
それがほんとうに自分で考え
検証したうえで得たものなのかどうか
「知識」になる以前の「問い」として
とらえなおさねばならないということでもある

世界でも日本の「オールド・メディア」や
それにぶらさがっているSNS情報といったものは
検閲およびバイアスのきわめて強い傾向にある
(このことさえ通常のメディア情報からは隠蔽されている)

そしてただの「受け売り」であるにもかかわらず
そこから与えられる情報を
「正しい」「権威ある」内容として疑わず
それに基づいてみずからの「知識」として位置づけている

いわゆる専門家や権威者の著した書物にも
「未知」であるにもかかわらず
「既知」であるかのような「用語」で
さまざまなテーマを論じているものも多くある

ショーペンハウエルが喝破したように
「読書は思索の代用品」に過ぎない
必要なのは「独学」である

■山野弘樹『独学の思考法 地頭を鍛える「考える技術」』
  (講談社現代新書Webサイト/講談社現代新書 2022/3)

**(「自ら思考する力が本質的に問われる時代」より)

*「何をどのように学ぶのか、常に自分自身に問いかけながら前進していく独学の道のりは、どちらが前なのかも分からない闇の中を歩み続けるようなものです。こうした闇の中を、何の武器や道具も持たないままに歩き始めてしまったら、私たちは幾度となく途方に暮れてしまうことでしょう。

 そう、独学こそ「自ら思考する力」が本質的に試されるのです。」

**(「独学を深めるコツ=「考える技術」」より)

*「ここで用いる「独学」という言葉には、「すぐには答えの出ない問いについての学習」という意味が込められています。例えば、「テスト勉強」や「資格の勉強」が目標のはっきりしている「達成のための独学」だとすると、「社会が抱える本質的な課題とは何か」「その課題に対して自分はどう考えるか」といった大きな問いを探究する独学は、学びのプロセス自体を自分なりに考えることが求められる「探究のための独学」であると言えます。」

**(「地頭を鍛える「哲学的思考」」より)

*「「そもそも」の問いかけに取り組むためには、単にメソッドを列挙するのではなく、メソッドをメタ的に(一歩上のレベルで)批判する視点こそが最も重要なのです。」

**(「なぜ哲学が「最良の技法」と言えるのか?」より)

*「いわば「哲学」とは、「常識」の中に埋もれてしまっている「問い」を見つけだし、それを言語化することで、オリジナルな思考を構築し、自分の学び=独学に真摯しん しに向き合うための最良の技法なのです。」

**(「「一問一答式知識観」とは何か」より)

*「当時のことを振り返ると、おそらく私は「知識」を次のようなものとして理解していました。

◯知識は累積的な性格を持つ
◯知識は単なる思考の道具である
◯知識を収集すること自体が思考力を高める」

**(「「一問一答式知識観」の罠」より)

*「こうした一問一答式知識観に立脚していたからこそ、私は「単に本に書かれている内容を片っ端から受容していく」という仕方の読書法をあれほど長い期間続けてしまったのです。その結果、失われてしまったのは私の思考力自体でした。単に本を読み続けるだけでは、人間の思考力は失われてしまうのです。あれほど深い落胆を感じた経験は、後にも先にもありません。」

**(「『読書について』との出会い」より)

*「ショーペンハウアーは、まさに私のような本の読み方に対して、あの冷ややかな文体で最大限の警鐘を鳴らしていたのです。」

*「「読書は思索の代用品に過ぎません。それでは、読書とは区別される「思索」という営みは、つまるところどのようなものなのでしょうか?」

**(「読書は「他人の思索の痕跡をなぞっているだけ」」より)

*「本を単に数多く受容するということは、様々な人たちがバラバラに考えたことを断片的に繋ぎ合わせていくことに他ならないのです。

 結果、それによって得られるのは「他人からえた寄せ集めの材料からできた自動人形」の如きものに他なりません。その動きは大変ぎこちなく、「なぜそう言えるの?」というたった1つの問いにすら、満足に答えることができないのです。他人の知識を継ぎはぎしたものと、自分自身の思索によって生み出された体系的な思考との間には、乗り越え難い開きがあります。」

**(「「本に沿って文字を読む」だけではダメ」より)

*「他人の書いた文字ばかりをなぞっているのでは、それは「その文字の通りになぞらされている(考えさせられている)」に過ぎないのです。こうした意味で、単に本を読むだけでは、私たちは何かを考えさせられているという隷属的な状態に留まり、結果、自らの思考力や洞察力はどんどん失われてしまうことになります。」

**(「考えること=「走ること」」より)

*「「単に本の内容をインプットする」という読書の仕方は、実際には何を行っていることになるでしょうか? それは「足跡に沿ってのんびり歩くだけの行為」に他なりません。」

「これは、知識によって思考が支配されている状態であると言えます。こうした状況になってしまっている人の頭を「他人の思想の運動場と表現したショーペンハウアーの洞察は、まさに慧眼であると言えるでしょう。」

**(「「足跡」と共に思索するということ」より)

*「「考える力」を身につけるトレーニングを有効的に行うためには、「足跡」(本)と共に、一緒に走る(思索する)ことが必要です。本書の内容を先取りしつつ、このことを言い換えるならば、「問い」を持ちながら読書をする姿勢こそが求められているのです。」

「私があえて(「歩く」ではなく)「走る」という比喩を大事にしている理由は、「思考力は長い月日をかけて少しずつ訓練されるものである」という信念を私が持っているからです。」

「私たちは、知識を獲得するプロセスと、自分の頭でものを考えるプロセスを分けて考えなければなりません。言い換えれば、「知識」を収集することが本質的なのではなく、そうした「知識」を生み出す「思索」を自ら行うことこそが、人間の知性にとって最も本質的なのです。

ですが、現在の日本の学校教育は、知識を獲得するプロセスに終始してしまっている場合がほとんどであり、さらには膨大な知識が詰め込まれた人を過剰に称賛する風潮さえあるということは、これまで以上に指摘される必要があるでしょう。」

**(「「一問一答式知識観」を修正する」より)

*「当時のことを振り返ると、おそらく私は「知識」を次のようなものとして理解していました。

◯知識は累積的な性格を持つ
◯知識は単なる思考の道具である
◯知識を収集すること自体が思考力を高める」

**(「「一問一答式知識観」の罠」より)

*「このような形式の本による独習法に親しんでいると、次第に「本の知識を網羅的にインプットすることこそが、思考力を高める訓練になる」という考えに陥ってしまいます。

こうした一問一答式知識観に立脚していたからこそ、私は「単に本に書かれている内容を片っ端から受容していく」という仕方の読書法をあれほど長い期間続けてしまったのです。その結果、失われてしまったのは私の思考力自体でした。単に本を読み続けるだけでは、人間の思考力は失われてしまうのです。あれほど深い落胆を感じた経験は、後にも先にもありません。」

**(「ショーペンハウアーの「強烈な警鐘」」より)

*「「読書は思索の代用品」に過ぎません。」

**(「読書は「他人の思索の痕跡をなぞっているだけ」」より)

*「本を単に数多く受容するということは、様々な人たちがバラバラに考えたことを断片的に繋ぎ合わせていくことに他ならないのです。

結果、それによって得られるのは「他人からえた寄せ集めの材料からできた自動人形」の如きものに他なりません。その動きは大変ぎこちなく、「なぜそう言えるの?」というたった1つの問いにすら、満足に答えることができないのです。他人の知識を継ぎはぎしたものと、自分自身の思索によって生み出された体系的な思考との間には、乗り越え難い開きがあります。」

**(「「本に沿って文字を読む」だけではダメ」より)

*「単に本を読むだけでは、私たちは何かを考えさせられているという隷属的な状態に留まり、結果、自らの思考力や洞察力はどんどん失われてしまうことになります。」

**(「「考えること=「走ること」」より)

*「目の前に道があって、そこに誰かの足跡があって、その足跡をたどるだけの行為。これはこれで、ある種の観光名所を楽しんだり、息抜きのウォーキングにはなったりするかもしれませんが、それだけでは一向に走る練習にはならないでしょう。「考える力」を身につけるためには、自分自身で走るべきルートを選択し、そのルートの吟味と自らのフォームの反省を絶えず行うという労苦を積み重ねる必要があるのです。」

**(「「足跡」と共に思索するということ」より)

*「「考える力」を身につけるトレーニングを有効的に行うためには、「足跡」(本)と共に、一緒に走る(思索する)ことが必要です。(・・・0「問い」を持ちながら読書をする姿勢こそが求められているのです。」

**(「「足跡」と共に思索するということ」より)

*「私たちは、知識を獲得するプロセスと、自分の頭でものを考えるプロセスを分けて考えなければなりません。言い換えれば、「知識」を収集することが本質的なのではなく、そうした「知識」を生み出す「思索」を自ら行うことこそが、人間の知性にとって最も本質的なのです。

ですが、現在の日本の学校教育は、知識を獲得するプロセスに終始してしまっている場合がほとんどであり、さらには膨大な知識が詰め込まれた人を過剰に称賛する風潮さえあるということは、これまで以上に指摘される必要があるでしょう。」

**(「「一問一答式知識観」を修正する」より)

*「先ほど検討した「一問一答式知識観」は次のように修正されることになるでしょう。

◯知識は改定的な性格を持つ
◯知識は思考を規定する側面がある
◯思索を展開することこそが思考の本質である」

**(「自分の足で走るための5つのスキル」より)

*「こうした問題に答えるために、本書の第一部においては、「自分の足で走る」(自ら思索する)ために必要なスキルを5つに分けて解説していきます。

◯問いを立てる力(第1章)
◯分節する力(第2章)
◯要約する力(第3章)
◯論証する力(第4章)
◯物語化する力(第5章)」

**(「普遍性をめぐる問い」より)

*「【判断の普遍性を探究する問いのパターン】
 (1)「それは、本当に他のすべての事柄に当てはまるのか?」
 (2)「なぜそう言えるのか?」
 (3)「そもそも、○○とは何だろうか?」」

「1つ目の問いは、「それは、本当に他のすべての事柄に当てはまるのか?」(「事例」の普遍性をめぐる問い)というものです。ある一定の普遍性を備えた思考を展開するためには、何よりもまずこの問いを自他に対して提出する必要があります。なぜならこの問いは、私たちの思考を修正・限定してくれる力を持っているからです。」

「2つ目の問いは、「なぜそう言えるのか?」(「根拠」の普遍性をめぐる問い)というものです。この問いは、「主張内容と、その根拠との間の飛躍」を点検するときに有効な問いです。」

「3つ目の問いは、「そもそも、○○とは何だろうか?」(「定義」の普遍性をめぐる問い)というものです。この問いは、物事の本質を捉えるときに必要な問いです。」

**(「初めに「問い」ありき──そもそもなぜアーギュメントが求められるのか」より)

*「初めに「問い」ありき──それこそが、アーギュメントを作るときに最も意識しなければならない点です。」

**(「「いったい何が問題になっているのか?」を理解する」より)

*「社会的に意義のある深刻な問いを引き受けるためには、「いったい何が問題になっているのか?」ということをまず正確に理解する必要があります。」

**(「初めの「問い」を見定める」より)

*「問いを立てる思考力──言い換えれば、既存の問いによって隠されてしまっている未知の問いを探究する思考力が必要になります。」

**(「「お母さん食堂」は何が問題か?」より)

*「すべては「問い」から始まります。初めの問いが事柄の本質を捉えきれていない場合、私たちはいくら時間とエネルギーをかけても、説得的なアーギュメントを導き出すことはできず、空回りしてしまうだけでしょう。

重要なのは、本質的な問いを覆い隠してしまう表面的な問いを剥ぎ取り、真に問われるべき問いを探究し続ける姿勢なのです。」

**(「なぜ「物語化する力」が重要なのか」より)

*「「問いを立てる力」が「出発点を設定するためのスキル」であり、「分節する力」・「要約する力」・「論証する力」が「そこから実際に走り出してみるためのスキル」であるならば、「物語化する力」とは、「走ったコースの景色を魅力的な再現VTRにまとめるためのスキル」であると言えます。」

□山野弘樹『独学の思考法』【目次】

はじめにーー答えなき時代に求められる「独学の力」

プロローグ 「考える」とはどういうことか?
ーーショーペンハウアー『読書について』から考える

第1部 原理編ーー5つの「考える技術」

第1章 問いを立てる力ーー思考の出発点を決める
第2章 分節する力ーー情報の質を見極める
第3章 要約する力ーー理解を深める
第4章 論証する力ーー論理を繋げて思考を構築する
第5章 物語化する力ーー相手に伝わる思考をする

第2部 応用編ーー独学を深める3つの「対話的思考」

第6章 対話的思考のステップ1ーー「問い」によって他者に寄り添う
第7章 対話的思考のステップ2ーーチャリタブル・リーディングを実践する
第8章 対話的思考のステップ3ーー他者に合わせた「イメージ」を用いる

おわりに

○山野 弘樹
1994年、東京都生まれ。2017年、上智大学文学部卒業。2019年、東京大学大学院総合文化研究科(超域文化科学専攻)修士課程修了。同年より日本学術振興会特別研究員DC1(面接免除内定)。現在、同大学院博士課程、および「東京大学共生のための国際哲学研究センター(UTCP)」リサーチ・アシスタント。専門は現代フランス哲学(とりわけポール・リクールの思想)。東京大学UTCPにおいて、一般の方向けのオンライン・イベントの企画・運営・司会を担当。日本哲学会が刊行する三機関誌『哲學』(第71号)・『哲学の門』(第1号・第2号・第3号)・『Tetsugaku』(第4号)や、日仏哲学会編『フランス哲学・思想研究』(第24号・第26号)といった全国学会誌にて査読論文を掲載。2019年、『哲学の門』第1号にて優秀論文賞を受賞(受賞論文:「ミメーシスの創造性――リクール解釈学の視座から」)。また、一般企業や個人事業主から要請を受け、哲学オンライン講座の企画や哲学ワークショップの設計などにも携わっている。〈哲学の知と実社会を繋ぐ〉という理念のもと、精力的にオンライン・イベントの企画やアウトリーチ活動に取り組むことで、哲学の〈意義〉と〈魅力〉を世に広く発信し続けている。近著に『独学の思考法』(講談社現代新書)、『VTuberの哲学』(春秋社)など。

◎山野 弘樹「自分が何を考えているのか、実は自分でもよく分かっていない」…実は優秀な人ほど犯しやすい「思考の落とし穴」
講談社現代新書Webサイト


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