根本彰『アーカイブの思想/言葉を知に変える仕組み』
☆mediopos-2333 2021.4.6
学ぶことは
それがどんなかたちをとるにせよ
じぶんでじぶんに教える
自己教育だから
独学以外のものではない
日本の多くの受験教育のように
学ぶことを錯誤したままでいると
書物に書かれていることを
「正しく読み取る」ことが読書だとされ
教えられたことに
教えられたように答えることが
学ぶことだと思いこんでしまうことになる
学ぶためには
「利用可能な知の蓄積」としての
アーカイブの助けは必要になるが
自己教育を基礎とした独学と
教えられる教育とでは
情報リテラシーへの理解も
それを活用して考えることと
与えられる情報としてとらえることでは
基本的な姿勢はまったく異なってくる
能動的な読書と
受動的な読書の違いでもある
哲学者エリック・ホッファーは
「沖仲仕」の仕事をしながら
独学で学ぶ姿勢を貫いたが
図書館で得ていた「知のアーカイブ装置」は
ただの与えられた知識ではなく
じぶんでじぶんに教える
自己教育のための材料に他ならなかった
明治以降西洋から導入したのは
「殖産興業のための実学的技術知」が中心で
「知の基礎にある人文主義的な考え方」は
受容することができないままにきているため
日本では西洋のような「知的インフラ」は
図書館に見られるように貧しいままだ
大学をはじめとする教育機関しかりである
たとえどんな「アーカイブ」が準備されたとしても
それを使って独学で自己教育できる人間なしでは
そこからなにも生み出していくことはできない
著者も示唆するように
日本においても
「基本的に「在野」にあって独自に研究を進め」た
数々の独学者への関心がようやく高まり
独学と在野の知の豊かさが
評価されるようにもなってきているというが
むずかしいところである
時代はいまや
「検索」することで与えられた知識を得
AIに「考え」てもらう方向に向かっている
教育機関もますます「実学的技術知」以外の
直接的には役に立たない学問を排する方向に向かっている
エリック・ホッファーのような
在野の独学者が増えてくることでしか
現状を打破することはできないのかもしれない
■根本彰『アーカイブの思想/言葉を知に変える仕組み』
(みすず書房 2021.1)
「ここでアーカイブというのは、後から振り返るために知を蓄積して利用できるようにする仕組みないしはそうしてできた利用可能な知の蓄積のことです。メディアや教育など知に関わる諸制度にアーカイブ的な要素がありますし、そう意識しなくともアーカイブとなるものはたくさんあります。」
「アーカイブは歴史的に構築されているものです。そして図書館や文書館、博物館などの公共機関はアーカイブのための装置として存在します。」
「私がこうしたことを語る意図としては、日本で図書館は本を無料で借りられる施設であったり居場所として使われていたとしても、それ以上のものではなく、社会にとって不要不急の存在とされたのはなぜなのかということがあります。(・・・)アーカイブというのは知を活かすための仕組みであり、どんな社会においても必要な仕組みです。」
「現在、情報や知識を伝えるメディアは紙やCD、DVDのようなパッケージ系だけでなく、ネットに拡がり、むしろそちらへの移行がはっきりしています。図書館はもう時代遅れという声が聞こえててもいます。しかしネット上にあるものは、20世紀末以降にデジタル化されたものだけです。書物がネット上のコンテンツに変化したわけではありません。書物や雑誌のような資料は単なる物ではなくて、それ自体が情報や知識を収める容れ物だと考えられます。そして、容れ物の扱い方、言い換えれば情報や知識へのアクセスの方法が重要になっています。」
「西洋の近代においては、知的インフラとして人文主義的な伝統があり、これが啓蒙主義的な知とパイデイアや学術研究、大学の発展に作用していました。こうした知的インフラは、20世紀以降も、構成主義的な学習論やディセルタシオンによる論文の書き方などにつながっています。すべては古代ギリシアのロゴスをベースにした対話術と弁証法的パイデイアに淵源があります。ところが、明治政府が最優先した殖産興業のための実学的技術知は、西洋のものを導入しやすかったわけですが、知の基礎にある人文主義的な考え方は簡単に移転できませんでした。日本の近代化ではそのもっとも基層にある思想を抜きにして、うわべだけを模倣したところに限界があったと考えられます。
このことは、戦後の論壇で思想史家丸山眞男が、日本の近代思想は、ヨーロッパ思想を歴史的に解体し、都合のいい部分だけをつまみ食い的に取り入れてきた無構造の思想であるとしたことに対応します。」
「明治期以降には一定以上の読み書き能力をもつ人は、書物を購入して読む習慣がつくられます。それは帝国大学を頂点とする教育文化の階層的な枠組みが、メリトクラシーや商業的教養主義と対応して、そこに書物が位置付けられていたからです。また、教育の場で、書物が人間の知をそのまま運ぶ存在であり、それを正しく読み取るのが読書であるという考え方が強かったからでもあります。教育の場あるいは教養を論じる場では書物を読むことが強調されても、そこで期待されているのはそこに書かれていることを著書の意図通りに受け取ることでした。以上のように、学校教育の在り方と出版流通の在り方、そしてそれと連動した新聞や雑誌のメディアは日本的な知のアーカイブ構造を形成しました。しかしながら、これが西洋的な知のアーカイブからすれば、中途半端なものであることは明らかです。必要な知を必要なときに取り出そうとする市民が十分に育っておらず、上から充てがわれる知のパッケージを受容する受動的な読者しか育ってこなかったのではないかというのが、さしあたっての結論です。」
「横断的な知の探究(・・・)が自由自在にできる能力を私は以前に、「情報リテラシー」と表現しました。あえてこの言葉を使ったのは、図書館情報学での用法にならっただけでなく、(・・・)日本で情報リテラシーが一般的には情報機器やネットを使いこなす能力と理解されていることが、与えられた情報環境に身を置くことから出発せざるを得ない知の限界と密接に関わってきたと考えるからです。
日本でも自ら知を求める方法を探る人がいなかったわけではありません。むしろその方が活性化するという考えもありました。日本民俗学の創始者柳田國男は、農商務省の官僚を務めながら全国を廻り、民衆の生活や声をそのまま採集記録したものを基にして新しい学問を打ち立てました。その際に聞き取りと記録のアーカイブを組織化する手法にこだわりをもっていました。」
「博識という言葉があります。これは単なる知識量の多さを指すのではなくて、経験的なものと読書や執筆という行為を経て身につける深い洞察や知恵のことです。ホッファーは人生をかけて両方を実践した人でした。日本でも有名な独学者として南方熊楠、高群逸枝、吉本隆明、佐藤忠男、山本義隆のように、独創的で高い見識を示した人たちがいます。これらの人たちは、基本的に「在野」にあって独自に研究を進めて博識の域に到達したわけですが、こうした人たちへの関心が高まることでようやく、その独学の秘訣が少しずつ明らかにされつつあるところです。」
「独修で思い出すのは、フーコーと同時代の人で独学の哲学者エリック・ホッファーです。両親を早い頃に亡くし、日雇い労働を転々とするなかで、自由な前半生を送っていました。7歳のときに視力を失い、15歳で視力を回復します。その後失明を恐れて学校に行かず、図書館で片端から本を読んで独学しながら、さまざまな領域について高度な知を独修しました。後年には『大衆連動』を書きカリフォルニア大学バークレー校に迎えられ社会哲学者として知られますが、大学で教えながらもそれ以前からの「沖仲仕」の仕事はやめなかったといわれています。」
「日本の戦後教育は戦前からのヘルバルト教育学による系統主義と、戦後入ってきたデューイ教育学の経験主義のせめぎ合いの歴史でした。しかしながら、小学校で夏休みに課される自由研究は、第二次大戦後の占領期に新教育という名で短期間実施されたジョン・デューイ流のカリキュラム運動によって始められた独学の場であり、各自の探究を競う機会でした。日本の学校が、学習指導要領、検定教科書、入学試験という知のトライアングル構造とメリトクラシーに覆い尽くされて、自ら考える行為を放棄させられ、大学も学術の場であることを放棄する傾向が強まっているときに、ようやく探究学習や独学という方法が注目され始めています。ホッファーが学校に行かずに働きながら労働の意味を考えるために図書館で書物を読むことを繰り返したことは、現在でも通用する学習の姿勢です。体験することの先にある、考えること、他者の考えを知ること、そして書きながら自分の考えをつくっていくこと。こうしたことのために、知のアーカイブ装置としての図書館や文書館、博物館、ネットの検索装置があるのです。」