尾崎 一雄(荻原魚雷 編)『新編-閑な老人』
☆mediopos2841 2022.8.28
本書『新編-閑な老人』を編集した荻原魚雷は
好きな作家を訊かれたら尾﨑一雄と答えるという
尾﨑一雄はいわゆる私小説作家である
私小説作家は自由奔放な破滅型と
自己の完成を目指す調和型の作家の
二つに分けられるというが
尾﨑一雄は後者である
というよりも前者から後者へとシフトした
とはいえ若い頃は
放蕩と極貧生活を送った元破滅型文学青年であり
やがて生死の境を彷徨い「生存五ケ年計画」を経て
草木を愛で散歩を趣味とし寒くなれば冬眠し
いつ死ぬかわからないからこそ
生きているだけで面白い
という境地である「閑な老人」となった
「閑な老人」になるためには
「厭世の果の楽天」が条件になりそうだ
「厭世」のままでは
「生きているだけで面白い」とはならないが
「厭世」の果てに
そんなじぶんを滑稽に思い
それを笑うことができるようになれば
おそらく「ただ、生きていること」そのものが
面白くなるという変容が訪れるのだろう
ぼくもそこそこ年をとってきたが
物心ついてからずっと「厭世」の時代が長かった
いまはまだ「閑」にはなり得ず
まだじぶんに鞭を打ちながら生きているが
ようやくこの十年前くらいから
少しずつ「楽天」へと向かっていることが
実感できるようになりはじめている
楽しいことばかりではないのはもちろんだけれど
ようやく「閑な老人」への道が見えてきているようだ
少なくとも「厭世」という感覚はずいぶん消えている
あとは生きているあいだ
どれだけいろんなことを楽しめるかである
そのためにもいま以上に
どれだけじぶんを笑うことができるか
それが鍵となりそうだ
■尾崎 一雄(荻原魚雷 編)
『新編-閑な老人』
(中公文庫 2022/2)
(「五年」より)
「為事、小説————そんなものは、かかとへでも押し込んで、当分窮命させて置く、そう心に決め、そんな気持ちを右断章にして、今五年経つ。ぶざまなその五年の間に、私は行きつくところへ行きついて了った。郷里の者たちとは絶縁も同様となり、こいつだけはと思った妻とも別れた。地所も売り、家も捨て、ただ一つ残された傷だらけの男、夢にも青春にも見離されたみすぼらしい自分を見出したとき、私はとうとう笑い出してしまったのだ。」
「ただ、生きていること、生きていることの毎日は、何となく滑稽で面白い。つまらぬことも、撫で廻していると面白い。平凡な草でも木でも、よく見ていると面白い。水の流れ、雲の流れ、子供の顔、とりどりに面白い。だが、そんなこと面白がって書いたとて、他人に見せたとて、どうもなるまい————そんな気持ちだ。」
「(「厭世・楽天」より)
「一寸先は闇、と人は云うが、この言葉に間違いはない。われわれは昨日があったから明日もある筈、という。何の証明も経ぬ仮構を信じて毎日を生きている。そして、ある日、突然明日を見失う。
私の日々の生活も、時々刻々の生活も、またこの規から脱してはいない。私は、そのことをいつも意識しているから、退屈しない。我が友尾﨑士郎は、「梅花帖」第五号で、「一雄君は生活においては実に明朗闊達な楽天主義者であるにもかかわらず、死生観においては、むしろ宿命論者といってもいいほど厭世的である」と書いているが、これを読んで、自分のことは自分にはよく判らぬものだ、とつくづく感じたものだ。なるほど、自分の歩く恰好は、自分には判らない。
だが、云われてみればなるほどと思わざるをえない。つまり、厭世の果の楽天だ、と私の場合は云えるかもしれない。
私を訪ねたり、私に便をよこしたりする病気の人たちの心境は、私の気持ちとはいくらか違うようだ。第一に、私は、気の持ち方について、他人を参考にしようとする気はあまり無い。そんなことは無駄、と思っているわけではないが、どうも気が向かないのだ。
私が不精者であり、したがってずうずうしいからかも知れない。多分そうだろう。」
(「生きる」より)
「私という人間————つまり生きものが、永遠に死なないと仮想するほど恐ろしいことはない。いつまでも、どこまでも、どんな状況下に陥っても、決して死なない、いや、死ねない、と考えると背すじが寒くなる。だが私にはすべての生きものと同様、始めがあったのだから終りがある。安心である。私という者がこの世に生まれるについては、過去無数の条件が参与している。だからといって、この世の前に私の生があったとはいえなかろう。同様に私の死後、私を組成していた物質がどこかに散在していたとしても、私が残っているとはいえまい。私は、この世に生きている間だけが私であると信じている。
巨大な空間と時間の面に、一瞬浮かんだアワの一粒に過ぎない私だが、私にとってはこの世こそがかけ換えのない時空である。いつの世でも、いろんなさまたげがあってそうはいかないけれど、すべて生きものは、生まれたからには精いっぱい充実した時をかさね、やがて定命がきて自然と朽ちるようにこの世を去りたいものだ。私もまたそうでありたい。しかし、そんな願いは無理のようだ。
(・・・)
そうした考えでいるせいか、私は退屈ということを知らない。何でも面白い。かつて(三十年くらい前)ある小説で、「つまらぬこともなで廻していると面白い」と書いたら、ある批評家からしかられたが、その時分から私にはそんな傾向があったのだろう。その傾向は年と共にいよいよ募って、今では、何物も何ごとも、鮮烈で珍妙ならぬはない。そこにそういうものが在るというだけで、私には興味満点だ。ただ、人間のさかしらだけには、なかなかなじめなかったが、今ではそれも面白いと思えてきた。
巨大な時間の中の、たった何十年というわずかなくぎりのうちに、偶然在ることを共にした生きもの、植物、石————何でもいいが、それらすべてのものとの交わりは、それがいつ断たれるかわからぬだけに、切なるものがある。在ることを共にしたすべてのものと、できるだけ深く濃く交わること、それがせめて私の生きることだと思っている。
本来私は、生まれて死ぬのではなく、生かされてそして死なされるものだと思っている。私自身の意志にかかわりなく、断固として私を生かし、そして死なす力のあることがわかっても、それが何なのかがはわからない。わかりたいと思うが、わかりそうでない。恐らくそれは、小さな人間の頭の中にははいり切らぬものなのだろう。わかっているようにいう人たちもいるが、私はそれを素直に受け取ることはできない。私が愚かな上に疑り深いせいなのかもしれないが。
(・・・)
とにかく私は、この世に生きていることが楽しい。しかし、やがて時期が来るだろう。いよいよ来たなと自覚したとき、だれか側にいたら、何かいいたくなるかもしれない。どういうだろう。アーメンとはいうまい。ナムアミダともいわないだろう。「いやどうも・・・・・・それじゃ」ぐらいのことでもいうか。それとも黙っているか。いや、そんなことはどうでもいい。今在るもののすべてと、できるだけ深く交わることだ。」
(「荻原魚雷「解題」より)
「好きな作家を訊かれたら尾﨑一雄と答える。
人は生きていれば老人になる。三十歳前後からわたしは尾﨑一雄の年のとり方、老い方を手本にしてきた。隣近所に愛想良く、家の中では穏やかに過ごす。生活がぐらぐらしているときはその立て直しに専念する。無理をせず、疲れたら休む。
尾﨑一雄は人間だけでなく動物植物無機物あらゆるものに興味を持ち、身辺を微細に観察する作家だった。
私小説作家は病気と貧乏の話ばかり(そういう面もなきにしもあらずだが)と誤解している人は少なくない。私小説にもいろいろ流派がある。貧乏や病気の話にしても語り口で印象が変わる。何だってそうかもしれないが、読めば読むほどそのよさがわかってくる。」
「中年以降の尾﨑一雄は休み休み仕事をするのが常で、冬のあいだは「冬眠居」と称し、家にこもり、気力と体力の温存につとめた。ようするに怠けていた。
真っ正面から苦難に立ち向かうのではなく、力を抜いてかわしたり、いなしたりする。尾﨑一雄の作品はそんな人生知の宝庫である。長い歳月をかけ、身辺雑事を突きつめ、自らを磨き上げてきた人物ならではの芯の強さがある。
(・・・)
私小説を大きく分別すると、自由奔放な破滅型と自己の完成を目指す調和型の作家がいる(わたしはどちらも好きだ)。
尾﨑一雄は調和型の代表格の一人だが、はじめからそうではなかった。」
「尾﨑一雄の場合、病弱だったからこそ、自分を律し、巧みに操縦していく必要があったともいえる。気の進まないことは一切やらず、庭仕事や梅干し作りをしながら日々の生活の喜びや人生の肯定感を伝える小説を書き続けた。
私小説は「私」のことだけを書いた作品ではない。尾﨑一雄は生命の誕生から現在の自分に至るまでの気宇壮大な思索の果てに「私」を書く。」
「人はいつの日か世を去る。それまでの間、楽しく生きるに越したことはない。もちろん人生は楽なことばかりではない。気が滅入る日もあれば、体の調子がよくない日もある。そんなときどうするか。わたしは尾﨑一雄の文章をくりかえし読むことにしている。そして〝天然自然流〟を身につけるための修行と称し、ウイスキーを飲んで寝る。」
《目次》
I
五年
祖父
退職の願い
約束
狸の説
片づけごと
苔
閑な老人
歩きたい
上高地行
II
相変らず
厭世・楽天
古本回顧談
気の弱さ、強さ
文学と家庭の幸福
運ということ
老後の問題
核兵器――素人の心配
明治は遠く――
わが家の男女同権
戦友上林暁
生きる
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