性と死の衝動
思春期に性欲を嫌悪し、抑圧すると加齢に従って"死の衝動"が強くなると言う学説がある。
深層心理学のフロイトはこの"死の衝動"を"生の欲動エロース"と背反するものであると定義しデストルドーと呼んでいた。
デストルドーは他者攻撃にも現れ、その攻撃性は自身に内在しているものだから、いずれ自身に還る。
そして、この魔性に支配され、環境に破壊するものが無くなると、行き場を無くした死の衝動エネルギーは自分を破壊し始める。
ギリシア神話に登場するタナトス(死)の神に魅入られたように、、
その毒性(死の衝動)を鎮静させ、逆に生きる活力に転換させるエロースの力を湧現させるものが、タントラやアーユルヴェーダの叡智にあると、私は考えている。
しかしエロース(性愛)は結合ではあるけれど、そこには結合するために支配しようとする攻撃性も含まれている。
二元的なものは一元化を目指しているのだろうか?
フロイトの結論によれば「有機体は最終的に、自己を無に帰そうとする。私たち人間の死は内的な原因によるものだ。
それは適応であり、目的である。ここには、有機体の早期の状態を回復しようとする欲動。すなわち死の欲動が働いていると考えることができる。快感原則は生の欲動(エロス)ではなく。死の欲動(タナトス)のもとにあるのではないだろうか?」
毎年3万人も自ら命を断つ日本人。
私は性の抑圧を含めた、あらゆる抑圧と自己否定が原因であると考えている。
いつも勝手なことを言って、私を否定し、抑圧しようとする"理性"を
あなたはどこまで信じ受け入れますか?