人生の旅に必要なものは?② #19
2018/07/16
全羅北道・長水郡の農園「백화골 푸른밥상ー100flowers farm」では、基本的に朝食はセルフ。昼食と夕食は農園のご夫妻が作ってくれていたのだが、住み込みで農業を手伝いに来たボランティアの多くも、滞在中に少なくとも1回は母国の料理をふるまっていた。あるイタリア人は小麦粉からパスタを作り、元料理人のフランス人は、バターをたっぷり使った野菜料理を毎日作っていたそうだ。
2017年10~11月、3週間の滞在中、私は日本から持参したクリームシチューのルー、お好み焼き粉、あおさ、粉末鰹節、お好み焼きソース、石川県発の調味味噌「とり野菜みそ」を使い、3回ほど日本食をふるまった。キャベツ・ごぼう・ほうれん草など秋冬野菜がたくさん収穫できる時期だったので、豆乳鍋やきんぴらごぼう、ほうれん草の白和え、大根葉の胡麻和え、ポテトコロッケ、柿とルッコラのサラダ、お好み焼きなどを作った。
慣れない台所で日本の調味料と肉・魚を使わず、畑でその時採れた野菜だけを使い、2時間以内に5人分、ゲストが参加すれば時に6~10人分の日本食を作るということ。それは、料理経験の浅い私にとって、毎回試行錯誤と緊張の連続だった。味付けに失敗したり、作った量が多すぎたり少なすぎたりすると、そこから段取りが狂っていく。夕食スタートの19時が迫ってくると、頭の中はもうパニックだ。
でも、それは私だけではなかったらしい。「ここで料理を作ってくれたボランティアの大半は、みんな同じことを言っていましたよ。『ああ、時間が足りない~!』って」。農園の主、조계환(ジョ・ケファン)さんの妻である박정선(パク・ジョンソン)さんはそう言って笑った。
ラドゥカもまた私と同じ悩みを抱えつつ、それでも毎回工夫を凝らしながら、クレープ、パスタ、ピザ、ケーキ、パイなど数々の手料理をふるまってくれた。彼女は「未来の地球環境のために」と、数年前から肉や魚を食べないベジタリアンの生活を続けていた。一方、パートナーのフランソワは、乳製品が豊富なフランスに生まれ育ちながらも、牛乳やチーズが体質に合わないらしく、できるだけ口にしないように気を付けていた。
そんな2人の食習慣がコラボレーションして生まれた料理の数々は、ひと口にフランス料理、スロバキア料理とは呼び難い、独創性のあるヨーロピアンディッシュだった。例えばある日の夕食は、フランスの食卓によく並ぶというクレープに、トルコやイスラエルなど中東の郷土料理「ババガヌーシュ」を包んで食べる、という風に。
ババガヌーシュとは、焼きナスにレモンやニンニク、香辛料などを加えペースト状にしたもので、さっぱりしているのに後を引く旨みがあり、何より「ナスにこんな調理法があったとは!」と感激せずにはいられなかった。ピザを作ってくれた時も、このペーストが大活躍。季節柄、トマトが収穫できないので、ナスで作ったババガヌーシュをピザソースとして使っていた。
ラドゥカがふるまう料理には、スープが何度も登場した。ある時は大豆、ある時はブロッコリーとショウガなど、豆や野菜をよく煮詰めてブレンダーで砕き、スパイスで味付けをしていく。クリーミーで濃厚なスープは、飲むというより食べると言った方がふさわしい。
ラドゥカの料理の独創性には毎回驚かされっぱなしだったが、「オーブンを上手に使う」というのも、彼女から学んだことの1つだ。スープや炒め物を作っている間に、オーブンで何かひと皿焼いておけば、みんなが席につく頃、豪華でアツアツな一品が食卓を華やかに彩る。キャベツ・ジャガイモ・ブロッコリーなどをたっぷり使ったベイクドエッグは、まさにそんな一品だった。
また、ヨーロッパでは、食後に甘いデザートを食べる習慣があるらしく、ラドゥカが調理を担当した日は必ずといっていいほど、食事を終える頃、オーブンから焼き立てのリンゴケーキやリンゴパイが登場した。
彼女は「おいしい」と思ったレシピを再現したり、自分なりにアレンジすることにも長けていた。ジョンソンさんが「昔ボランティアに来てくれたヴィーガン(絶対菜食主義者)の女性から教わった」というエホバク(韓国カボチャ)のケーキを焼いてくれた時には、早速レシピを尋ね、ノートにメモ。数日後にはラドゥカ流にアレンジしたエホバクケーキが食卓に並んだ。
良いと思ったものは迷わず吸収し、アレンジし、自分のものにしていく。そして、その喜びを料理という形でみんなと分かち合う。
「食べることは生きること。生きることはつくること。つくることは感動すること。感動は国境を越えること」。私が半農半ライターとして歩み始めた時、名刺に添えたコピーさながらに生きているラドゥカ。きっと彼女なら、どんな国でもたくましく、そして楽しく暮らしていけるんじゃないか?そんな風に思わずにはいられなかった。
ラドゥカとフランソワには、終始つたない英語で話しかけることしかできなかったけれど、不思議なことに、意思疎通に困ることはほとんどなかった。3人とも英語が母国語ではないため、できるだけ簡単な表現でゆっくり話そうとしていたからでもあるが、言葉だけでなく表情やジェスチャーも含め、こちらの言わんとしていることをちゃんとくみ取ってくれる。2人にはそんな優しさと、懐の深さがあった。
「私英語が苦手なの。ごめんね」と言うと、2人は首を振ってこう言った。「mina、あなたは苦手でも話そうとしているじゃない。それは素晴らしいことなんだよ。私たちは、心を開いてくれるあなたを愛しています」と。
ある日の休日、みんなで全州へ出かけた時には、こんなこともあった。自由時間に「カフェで休憩しようか」と提案したら、フランソワが目を輝かせ「花札をしよう」と言い出したのだ。数日前、ジョ・ケファンさんから教わったばかりの花札に、彼はすっかりはまっていたのである。
早速、コンビニで韓国の花札「Go Stop(화투)」を買い、スマートフォンでルールを確認しながら、何度も対戦した。観光地のカフェで、外国人3人が花札に興じる姿は、韓国人の目にどんな風に映っただろう。めちゃくちゃな英語ながらも、一日中彼らと夢中で話したこの日の私の日記には、こう記してあった。
「何でもトライする2人の姿は素敵だ。母国語ではないコミュニケーションには『シンプルさ』と『思いやり』が大切。夜、コンナムルクッパを食べる」
2017年11月9日(木)。農園での最後の仕事は、ニンニクの植え付けだった。この時みんなで植えたニンニクは、土の中で冬を越し、今年の6月に収穫の時を迎えたはずだ。
思えば昨年6月、この農園に来て初めて携わったのがニンニクの収穫だった。ニンニクに始まり、ニンニクに終わる。いかにも韓国らしい農家体験で、なんだか感慨深いものがあった。
11月12日(日)、ついにお別れの日。私より数時間早く農園を後にしたラドゥカとフランソワの部屋をジョーさんと一緒にのぞいてみると、「来た時よりも美しく」という言葉を表すかのように、キッチンもバスルームも、床も何もかも、ピカピカに掃除がしてあった。
「大抵ボランティアが使った後の部屋は、びっくりするほど汚いことが多いんだけど、今日はどこも掃除する場所がないね!すごいや!」と、笑顔のジョーさん。思えば、ラドゥカが料理した後のキッチンは、いつもガスコンロまで磨かれていて、とても美しかった。
家にしても物にしても、誰かの大切なものを使わせてもらった時、少しでもきれいにして返そうと努力することは、当たり前のことだ。いくら心で「ありがとう」と思っていても、それを言葉や態度で表現しないことには、相手には伝わらない。
ラドゥカとフランソワは、お世話になった人に対して、自分たちにできる最大限の恩返しをしようといつも表現していたように思う。だから、一緒にいてとても心地よかったし、気持ちが良かった。
人生が旅であるならば、その旅に必要なものは一体何なのか? 彼らから教わったことは計り知れない。
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