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『タコピーの原罪』は鬱漫画か

2021年12月、「彗星のごとく」と表現するしかない漫画が現れた。『タコピーの原罪』だ。

可愛らしい絵柄でありながら精神を抉るようなストーリー展開で、読んでいると気分の浮き沈みがだいぶ激しくなる。『タコピーの原罪』、『キスしたい男』、『ヒーローコンプレックス』、作者のタイザン5氏は人の心を動かすのがうまい漫画ばかり描く。

『タコピーの原罪』のあらすじをざっくり説明すると、ハッピー星からやってきた宇宙人・タコピーが、笑わない少女・しずかを笑顔にするため奮闘するハートフルストーリーである。

正直、この漫画には広告詐欺のような楽しみ方もあった。ハッピーな漫画!と謳っておきながら1話で小学生の女の子が自死を選ぶ展開を何の前情報もなく読むわけだし、掲載場所はほのぼのハートフル漫画が飽和するほど置いてあるジャンプ+だし、ハッピーエンドっぽい煽り文もあった。広告詐欺を一発ぶちかますための土壌がこれ以上なく揃っている。
しかし、4話で「タコピーとかいう最悪漫画があるらしいぞ」とある程度広まってしまった今、広告詐欺が広告詐欺として100%機能することは難しくなった。この漫画の概要を知ってから読むのと知らずに読むのとでは違う。
オタクのしょーもねぇ感想でこの漫画を知ってしまった皆さんには同情する。今からでも遅くないので是非この作品をちゃんと自身の目で見て、感じてほしい。

また、一部では広告詐欺の善し悪しが物議を醸していたが、この漫画に対して「注意書きをしろ」という意見はおかしいと思う。確かに広告詐欺的な要素はあるが、それ以上に事前の不穏要素も散りばめられていた。タイトルの「原罪」、可愛らしい女の子の口から出る「生活保護」、ランドセルを埋め尽くす悪口、「同伴」、「パパはいないの」、これらの危険信号を無視して読み進めたのは読者自身であるはずだ。その危険信号は注意書きとしての役割を果たさなかったのか?この信号で“読まない”の判断をしてくれ。それと同時に「虐待描写なんて無いよ!しあわせな漫画だよ!」の嘘宣伝もやめてほしい。ジャンプ+は広告詐欺ではあるけど、本編を読むと“ファンシーと現実”を絡めることを強調したそういう演出なのは分かるしハッピーを目指す漫画なのは事実なので、すぐ嘘つく悪質なTwitterのオタクとジャンプ+を一緒にしないでください。お願いします。



本題に入る。

一般に鬱漫画と呼ばれる漫画は『なるたる』『ぼくらの』『僕たちがやりました』『ウシジマくんシリーズ』『ミスミソウ』『空が灰色だから』『狼の口』などがあるが、私はどれも途中で挫折したり残酷描写が恐ろしくてそもそも読んでなかったりしていて、最終回まで辿り着けたのは『おやすみプンプン』のみだ。元々気に入った漫画しか最終巻まで追わない上に鬱漫画大好き!というわけではないので鬱漫画の挫折率が高くなってしまう。

『おやすみプンプン』は多感な時期に読んだせいで読みきるまでに数年かかったし、読後どころか数年単位で脳にモヤモヤが刻まれてたけど、読んで良かったと心から思う。思春期の変な出汁みたいなのがよく出てて、良い意味でキモい。悪い意味でもキモいかもしれない。憂鬱とか退廃的とか、マイナスな方向にエネルギーが向いてる。

鬱漫画の傾向というのは、基本的に“どうしようもない現実を前に立ち竦むしかない”の諦念が根底にある。『ウシジマくん』だと現実の嫌な部分全部が押し寄せて怖くなったし、『僕たちがやりました』は分かりやすく追い詰められるのが恐ろしかった。

読んでいて苦しくなるのは人が死ぬとか危害が加えられるとかではなく、追い詰められて為す術なくなり本能で諦めるしかないことだと思う。
例えば『僕のヒーローアカデミア』の1話にいじめ描写があるが、あの漫画を鬱漫画と評する人は少ないだろう。『チ。-地球の運動について-』は1巻に拷問、義息を通報、自死の描写があるが、あの漫画を鬱漫画だと評している人を見たことがない。
“報われない現実”と“それに対するキャラクターの鬱々した心情描写”があればあるほど鬱ポイントは高くなる。結局は残酷描写の有無ではなく、展開とキャラクターの感情の話なのだ。肉体的苦痛には精神的苦痛が伴うが、拷問されても「私は情報を吐かない」と粘るキャラクターを見て鬱を感じることは無いだろう。鬱漫画といえば肉体的苦痛ではなく精神的苦痛の描写がうまく描かれている漫画で、無力感がこちらにまで伝わってくるとしんどいんだと思う。

その点『タコピーの原罪』はどうかというと、絶対に諦めないというか、諦めようがないタコピーがいる。タコピーにはしずかちゃんがどういう状況なのか理解できず、そもそも“どうしようもない現実”を認識ができないから、諦めようがないのだ。
先述した精神的苦痛とは、どうしようもない現実に直面したときの諦念である。『タコピーの原罪』だとしずかちゃんがこれに当てはまる。


しずかちゃんは鬱漫画要素である諦念と無力感を持っている。「どうせ何も変わらない」「行けないよ」「信じないから」「行けないよ、どこにも」がその証拠だ。しかし、だからといって『タコピーの原罪』が鬱漫画であるわけではない。タコピーがしずかちゃんの諦念に何度も訴えかけ、「ぼくが今度こそ」と何度も何度もしずかちゃんをハッピーに導こうとするのだ。(結果としてしずかちゃんは何度も不幸な目に遭うのだが)タコピーのこの前向きな精神性を見ると、『タコピーの原罪』は鬱漫画と呼ばれるには相応しくないものだと思う。


この漫画のレビューを漁っていると、稀に「他の鬱漫画より頭ひとつ抜けてる」と言われているのを見かける。そう感じるのはファンシーな生き物が“直視したくない現実”との中和剤を担うことで一旦薄めたあと、更に拗れた“直視したくない現実”が驚異的なスピード感で迫ってくる、緩急が激しい漫画だからだろう。

私は『タコピーの原罪』は鬱漫画ではないと思ってる。思ってはいるが、鬱漫画と言われるのも十分理解できる。

まず、タコピーは状況理解能力が無だから報われない現実に反して気持ちが折れることも荒むこともない。しずかちゃんとまりなちゃんはそもそも心理描写自体されないし、あくまでタコピーが見聞きした光景と第三者視点で描かれるのみだ。そしてタコピーの心理描写で落ち込む読者は恐らく早々いない。

『タコピーの原罪』は心理描写で落ち込むことはないのだ。「地獄」だの「しんどい」だの言われるのは“報われない現実”一点のみで、そこに直接的なキャラクターの心理描写は関係がない。しずかちゃんはいじめを受けている、母親からネグレクトのようなものも受けている、まりなちゃんはしずかちゃんの母親に家庭を壊され自分の母親からも虐待を受けている、こういった悲惨な要素が積み重なったどうしようもない環境である“報われない現実”を見た読者“が”、各キャラクターの表情や台詞を読み、思惑や感情を推察して落ち込んでいるのが『タコピーの原罪』が鬱と呼ばれる所以だ。

描かれる環境やキャラクターの状態で地獄なのが受け取れるから読んでいると鬱になる、というのが理解できないわけではない。でも環境と状態が酷いだけで唯一心理描写がなされるタコピーに鬱要素は4話時点で皆無である。
5話で一瞬行動の善悪を疑うシーンはあったが、

それでもタコピーの「しずかちゃんを笑顔にするっピ!!」精神は折れていない。


私はこの漫画を鬱漫画だとは思わない、あくまでも幸せになるまでのハードルが高いだけのハートフル漫画だと信じている。『タコピーの原罪』は鬱々としたものを描きたいがために描かれてると思えないのだ。
環境と状態がどんどん悪くなるし、人権意識やモラルや倫理が欠落しているし、確かに読んでいると落ち込む。それは否定しないしできない。でもタコピーが前を向いている限りは私はこれを鬱漫画だと口が避けても言えない。

というか暴行の概念すら知らないタコピーが2話でボコボコにされて身をもって恐怖を学んだのにそれでも学校ついてきてしずかちゃんの側でしずかちゃんを守ってる健気さを鬱として消費できない。



長々と書いたが、『タコピーの原罪』が本当に世間で言われているほどの“鬱漫画”なのか、今一度改めて考えていただけるとこのnoteを書いた甲斐がある。と思う。本当はそんなこと思ってないのにオタクの思考停止感想に惑わされてタコピーは鬱漫画だと唱える人が減りますように



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