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なぜ怒りの感情が湧かないのかヒントを得て#145

テレビのニュースやネットの記事を見るたびに世間は怒りの感情や悲しみの感情に溢れ始めていると感じます。


先程、半年ぶりに地上波の番組の生放送を見る機会がありました。

お昼の報道番組では、北朝鮮のニュースが各局で取り上げられていて、各メディア共に同じような内容でコメンテーターが意見を投げ合っていました。

私は正直「これをずっと見てたら鬱になる」と思い、そっとテレビの電源を消しました。


対外問題がどうの、それに対しての意見がどうのこうのと、思ったところでその場で私にはどうしようもありません。

それどころか、ネガティブな感情ばかり積もってしまう気がしました。直感的な反射で視聴をやめたのかもしれません。


ネガティブな感情は、往々にして怒りの感情とも密接に結びついていることでしょう。

しかし、世の中には〈仏〉のように、滅多なことでは怒らない人もいることと思います。

そういう人は、怒りの感情をどのようにコントロールしているのか、気になったのです。


今回は怒りの感情をはじめとした喜怒哀楽について、自分なりに仮説や考察を書いていきたいと思います。


なぜ怒りの感情が湧くのか

私が過去に怒った時のことを思い出すと、信用していた人に裏切られた時や、期待通りに物事が進まなかった時、自分が一生懸命やっているつもりになって、周りが見えていない時に怒っていた気がします。

全てに共通するのは〈何かに対して期待〉し〈その期待が予想以下だった時〉に怒りの感情が湧いてしまったのだと思われます。


例えば、30万円貰えると知って喜んでいた方は、10万円しか貰えない結果に変わると、当然怒ります。

しかし、逆にいうと元々1円も貰えない予定だった人からすれば、10万円でも貰えるようになれば、とても喜ぶでしょう。

実際の例で恐縮ですが、数字で計ると分かりやすいのではないでしょうか?

〈 満足度 = 結果 一 期待 〉

期待が大きくて満足度が下がれば負の感情が
期待が小さくて満足度が上がれば正の感情が

湧いてくるということです。


つまり、怒りの元を辿ると〈期待値〉が、要因の一つになりうるのだと思いました。

悲しいかもしれませんが、他のことに多くの期待をしない人は、あまり怒ったりしません。

なので、怒りの感情が湧かない人とは何かに対してあまり多くの期待をしない人なのかもしれないですね。


期待しない人をどう考えるか

期待をしない〉といえば、何やら感情の変化が弱くて悲しい薄情な奴だ、と思われるかもしれないですが、本当にそうでしょうか?

〈期待をしない〉のではなく〈期待できなくなった〉とか〈敢えて期待しないようにしている〉といった考え方もあると思います。


例えば、過去に虐められた経験がある人は、他人を簡単には信用しない(=期待しなくなる)ようになる傾向があるでしょう。

また、過去によく期待をしていた人でも、同様に他人から裏切られたり、何かの事情でトラウマを抱えてしまった場合は、学習するように、どんなことが起こっても大丈夫のよう〈敢えて期待しない〉予防線を貼るようになった人もいることでしょう。

つまり、物事に対して期待しない人というのは、一見薄情者のように思えますが、そうなった背景には、何かを乗り越えた忘れられない過去がある可能性が高いです。

なので、一概に薄情者とは思えないですし、むしろ経験を糧に、ポジティブに成長した人だと思う考え方もあるでしょう。


期待しないことの良い面と悪い面

では、期待しない人とは期待することが、全てにおいて薄情か?と言われればそうではないでしょう。

むしろ、期待値が少ない分、どんな低い結果や普通の出来事でも、ネガティブになりません。

そして、タイトルの通り、怒りの感情も湧かなくなるので、誰かに対して不平不満をぶつける加害者には、なりづらいでしょう。

つまり、ポジティブで、無害な存在でいられることが、良い面でしょう。


しかし、一方で悲しい面もあるかもしれませんね。

期待しない人は怒らない代わりに、感動もしづらい人かもしれません。感動とは、涙腺を揺るがす出来事や喜びの程度のことを指しています。

なぜなら〈感動が訪れる条件〉としては、結果の程度が、高い期待値を更に上回る必要があるからです。


先程の

〈 満足度 = 結果 一 期待 〉

の数式で例えると、

●結果が低かった場合

★期待しない人(怒りづらい人)

(満足度)+20=(結果)30-(期待)10

★期待する人(怒ったり泣いたりする人)

(満足度)-10=(結果)30-(期待)40

これをみると、同じく低い結果であるにも関わらず、期待をしない人は満足度が僅かにでもプラスに転じていますね。期待値が高い人は感動どころか、満足度がマイナスで不満を感じていることでしょう。

では、とても高い結果だった場合はどうでしょうか?

●結果が高かった場合

★期待しない人(怒りづらい人)

(満足度)+90=(結果)100-(期待)10

★期待する人(怒ったり泣いたりする人)

(満足度)+60=(結果)100-(期待)40

この数字だけみると、期待する人の満足度が60で、期待しない人の方が満足度が90となるので、一見すると期待しない人のほうが満足度が高くなる結果になるので、感動しやすいのではないか?と思ってしまうのですが、


本来はここに、〈希少性〉という変数が加わってくると思います。

上の式だと、期待しない人はどんな結果でも、ほぼ感動するので満足する頻度が大きくなります。

経済学用語で頻出する〈限界効用逓減の法則〉に従うと、経験の頻度が多くなればなるほど、満足度が下がる仕組みになります。

つまり、低い結果であっても常に満足を感じやすい人は、誰かがサプライズを設けてくれたような肝心な場面において、心の底から感動することが難しいかもしれないですね。

サプライズが日常的に感じている満足と同じようなものだと錯覚してしまう為です。


逆に普段、沢山のことに期待して結果及ばず、不満を感じている方は、稀に起こる期待を超える結果に遭遇すると、満足度が高まり感動するのだと思います。

厳しい先輩や師匠が愛弟子に厳しく指導をし続け、最終的に結果を認めるといったシーンには、このような大きな期待が込められているのではないでしょうか。そのシーンは第三者的に見ても感動できるシーンですよね?


つまり、期待する人というのは、何かに対して怒りを覚えることもありますが、喜怒哀楽の感情表現が豊かであることです。逆に、期待しない人は、温厚な代わりに喜怒哀楽が感じにくい面もあるのかもしれないということです。


終わりに

怒りの感情の話から、期待値と満足についての話、喜怒哀楽の程度の話と変わってしまいましたが、

結果だけ見れば、喜怒哀楽が豊かな方のほうが人間らしいかもしれないですし、その中でも怒りの感情が湧かない人は尊いのかもしれないです。


ただ、共通して言えるのは、何が良いのか悪いのかということはないということです。

怒りの感情が善か悪かでいったら、その状況に必ず左右されます。理不尽な怒りは不要だし、合理的な怒りの感情は必要でしょう。

かと言って、怒りの感情が全く湧かないとしても、特別その方に非があるわけでもなく、上手く感情をコントロールしているとも捉えられるでしょう。


物事は捉え方によって、ネガティブにもポジティブにも観る事ができます。

いろんな視点から、日々の現象を考察するクリティカルな考え方にこそ、価値があると私は思います✨

最後までお読み頂きありがとうございました。

(3064文字/執筆時間104分)



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ノんスケ
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