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うみの城

原作、脚本 梵天彪雅


1570年5月13日

足利義昭『クッ!……フフ、、信長め、、将軍の力を見せてやるわ、、、朽木!!武田に送れ!』

朽木元綱『はっ!』


甲斐   躑躅ヶ崎館

山縣昌景『親方様……将軍からの書状にはなんと?…』

回想
室町殿

足利義昭『天下静謐の為、、、織田信長を討伐すべし!!』


甲斐 躑躅ヶ崎館

武田信玄『、、ふっふははは!!』

武田勝頼『親父殿!』

武田信玄『将軍家など、、どうでも良いが、、、大義名分はこれで立とう、、、』

馬場信房『なれば、、、、山、、』

武田信玄『、、、動くべし!』

武田勢『おおー!』

武田信玄『侵略すること火の如き!信長の小童を滅し我ら武田が天下をとろうぞ!』


1573年5月13日 将軍 足利義昭が全国に内密に発令した御内書により甲斐の虎 武田軍が沈黙を破って岐阜に向かって進軍を開始したのである……


天竜川上流

武田信玄『まずは、徳川の小童から片付けるとしよう……二俣城を陥せ!』

武田軍は大量のイカダを作り天竜川上流より
二俣城めがけて流し二俣城の井戸櫓を破壊した。これにより給水路を断ち
敵の戦意を欠き二俣城はたちまち陥落した。

武田勝頼『次は浜松か!ワシにやらせてくれ親父殿!』

遠くを見つめる武田信玄

山縣昌景『、、お館様?、、、』

武田信玄『良き城じゃ、、、簡単には落ちまいて、、、、堀江城と対岸の宇津山城を堕とすべし!勝頼!其方の武田水軍の出番ぞ…』

武田勝頼『流石は親父殿じゃ……この浜松を無傷で獲ろうというわけじゃな!』

武田信玄『ふははは、、、、!』


浜松城 徳川本陣

酒井忠次『……上様、、、!?』

徳川家康『い!い、、いかがした?!遂に武田が来たか!?』

酒井忠次『、、それが、、ここ浜松城から離れ西へ進軍しておりまする、、、』

徳川家康『、、、はは、、た、助かった、、、』

本多忠勝『、、、は、い、いや、なりませんぞ!殿!?この先は武田が進軍してる先は浜名湖にございまする!?』

徳川家康が急に立ち上がる

徳川家康『な!、、あそこを取られては、、
奴ら補給路を断つつもりか!!
全員今すぐ出陣じゃ!今なら三方ヶ原で武田の背後から攻められよう……行け!行け!』

夏目吉信『、、な、なりませぬ!』

徳川家康『どけ!?』

夏目吉信『堀江城は大澤殿に任せておかれれば大事ござらん!  大将が不用意に動かれてはなりませぬ!』

本多忠勝が吉信を蹴り飛ばし

徳川家康『出陣!!』

徳川軍『おおーー!!』


遠州 堀江城

渡辺三左衛門『殿!!武田が浜松城を避けこちらに進軍してくる様にございまする!』

大澤元胤『やはりの、、、、じゃが、ただ攻めるではこの、堀江城は陥せぬわ!  家康殿はどうした?!』

天野左衛門『、、、気を焦って三方ヶ原で敗れた模様、、、家康殿は行方知れずとのこと』

大澤元胤『、、、やはり、小童か、、、ま、、生きてはおるまい、、、、ふふふ』

大澤元胤『源六郎! 船で回り道して新居の地を抑えれるように準備せい! 』

鱸源六郎『….は!徳川より新居を取り戻すのですな!』

大澤元胤『そうじゃ!先の徳川との戦いでもワシらは負けては負けたわけではないからのぅ、、、このまま徳川が無くなってくれれば
独立の道も拓けよう、、、しかし、、、所詮、小童じゃったか、、家康……』

中安定安『殿、、、宇津山城から何やら何隻か小舟がこちらに向かって来ておる模様、、いかがなされますか!』

大澤元胤『、、、、、なんじゃろうのぅ、、、』

近藤康用『、、どうやらあれは、、、武田勝頼の水軍のようにござりまする』

中安定安『、、ぷっっ笑  あれが水軍!?』

天野左衛門『甲斐の山猿の考えとることは面白うござりまするな笑』

渡辺三左衛門『殿!陸地からも天王から武田の赤備えの兵が稲荷からも兵が迫っておりまする!』

大澤元胤『落ち着け……稲荷も天王も道が狭かろう、、、大軍でかかろうとも1人ずつ倒せばよかろう……』

大澤元胤『水軍は源六郎、新居に向かう際に適当に落として参れ』

鱸源六郎『はっ!』

大澤元胤『この天候じゃ、
、、浜名湖の荒波に揉まれて、慣れぬ者らはたちまち湖の藻屑となろう、、、』

大澤家臣団『ははっ!』

大澤元胤『、、後は織田信長じゃの、、、
菅沼殿、其方は元々、明智家の分家じゃったのぅ?』

菅沼忠久『はぁ、、、それが何か?』

大澤元胤『徳川が無くなろうとする今、、
織田と同盟を組むのが良かろう、、、
明智光秀殿に繋いではくれぬか?』

菅沼忠久『幕府、、ではなく、、織田と同盟を?  』

大澤元胤『そうじゃ』

菅沼忠久『織田信長は今、将軍の宣下で討伐包囲網が敷かれおるのですぞ、、その様な状況下の織田と同盟なぞ、、、ありえませぬ』

大澤元胤『織田は幕府を滅ぼすとみておる…』

菅沼忠久『幕府が無くなる、、!?
いや、流れでも変わらぬ限りは、、』

元胤が人差し指を立て海風にさらす

中安定安『殿!武田本隊が東へ撤退しておりまする!!』

大澤元胤『、、、流れが変わったのぅ…菅沼殿……ふははは…』


鈴木重時『徳川殿が浜松城に無事帰陣された模様に、、、』

大澤元胤『くっ!!  悪運の強い奴じゃ!!
源六郎を連れ戻せ! 』

菅沼忠久『、、、では、、明智殿にもこれで、、、』

大澤元胤『、、、いや、それは別で繋いでくれぬか、、、家康の小童が生き延びたのはワシにとって面白うないが、、、、面白うなるようになるキッカケを作れるかもしれぬのでな、、、、』

菅沼忠久『は、はぁ💦』


1573年2月10日に急遽、体調が悪くなった武田信玄は長篠城に退却したが回復せず4月初旬に甲斐へ撤退を始めたが、、、、

1573年4月12日 三洲街道 信濃国駒場

武田信玄『グハッ、、、、』

山縣昌景『お館様!?』

馬場信房『大事ござりませぬか!?』

武田勝頼『親父!!』

武田信玄『信繁?勘助?! 信方! ヤメい!
ワシの手を引っ張るでない!
ワシはまだ、天下を獲らねばならぬ!
やることが、、、、』

武田信玄 仁王立ちのまま逝去
甲斐の虎と呼ばれた戦国最強はあっけない幕を閉じた
三方ヶ原の戦いで徳川方が勝ったのは堀江城の大澤元胤以外にはいなかった…


遠州 堀江城

中安定安と大澤元胤が耳打ちしている。

大澤元胤『この、堀江城は武田如きでは
堕ちぬ!』



                         完

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