極私的読後感(3) 明治天皇1~4
ドナルド・キーンの『明治天皇(1)~(4)』を通読して感じたことを順不同に列記してみる。
・明治天皇は、当時の国内事情(内戦の続発、憲法の未整備、周辺国家との相次ぐ紛争)を日々報告を後の元勲達から直接受けており、国内外の状況を知悉していた。
・それは、単なる「象徴としての天皇」であるだけではなく、寧ろ積極的に「統治者」としての権能を正当化し、強化することができた。
・事実、いくつかの局面において、首班の任免を含めて明治天皇は明確な意思(聖旨)を明らかにし、それに則った政府の意思決定と政策遂行を、半ば強制的に促した。
・いくつかの失敗はあったものの、極めて短期間に近代国家としての骨格を得て、東アジア地域における主導的な立場を確立できた原動力には、有能な元老、官吏の働きもあったが、彼らを承認し、かつ強力な指導力をもって方向性を示し続けた明治天皇の存在があったことは間違いない。
・統治能力、そしてその短い時間軸で得た成果において、世界の王政の歴史の中でも明治天皇は傑出した存在であった。
・当時の周辺環境の目を転じてみれば、清朝末期の中国が未だ「眠れる獅子」として畏怖の対象であったが、日本がにわかに開国したことにより、パワーバランスが崩れたことで、当時の西欧列強は覇権争いの場として次々に「市場参入」してきた。
・又、韓国においても、隣国日本の急激な西欧化を見て「開国(西欧化)派」と「守旧派」に別れて政争を繰り返していた。清国との友誼関係と勃興する日本との合間で揺れていたわけだ。
・しかし、清朝末期の中国においては、西欧列強に屈服するケースが多々あり、恐れるに足らない単なる「黄昏の王国」ではないかという見方が徐々に広がり始めてきた。
・それを決定的に明らかにしてしまった出来事が「日清戦争」である。その戦後の三国干渉は、「日本が火中の栗を拾った」ことを奇貨として参入の意思表明をしたと言えば整理がつけやすい。
・思えば、今の中国も1950年の建国によって、はじめて内戦状態から単一国家としての体裁が整ったばかりである。不平等条約や、周辺国からの干渉に怯えながら、自国の成長を進めなければならないという面において、中国と明治日本は極めて類似性がある。
・無論、経済・通貨制度等は全く異なるが、その思考原理のいくつかは未だに通用するそれであり、事実、そのセオリーに則った手を中国は着実に打ってきている。
・しかしそこには、古臭い思考原理も紛れ込んでおり、それのみを排除するのは難しい。これは国民感情に類するこのが阻害要因。領土紛争はまさにそれであり、いかに法的歴史的に間違っていようが、なんとでも正当化して領土の割譲を求めるものだ。
・日本も明治七年の台湾討伐に続いて、日清戦争後の台湾割譲、又、日韓併合もそういう話であり、今の中国が、当時の日本と同じようなことをやっていると思えば良いわけで、あまり中国の意図を深読みする必要などないと思う。要は「欲しい」だけだ。(ただし、それが今の国際的な道徳律に許される事かどうかは全く別問題)
・明治の時代には、明治天皇という類稀なる英明な君主を擁していたが、今の日本は民主主義にもとづき、国民と同じレベルの首相と政府しか持ち合わせていないことは、仕方ないこととはいえ不幸なことだ。今の中国は、共産党による一党独裁である。かの国に英明な国家主席が誕生した暁には、歴史は全く違う速度で動き始める筈だ。
・それは、日本にとって、決して心地よいそれにはならないだろう。