民主主義への憎悪:極私的読後感(23)
ジャック・ランシエールはフランスの哲学者であり、いわゆるリベラルな思想をお持ちである。
手にとったのは、ズバリ民主主義というものを深堀りする為で、欧州、特にフランスにおけるリベラルの背景を知るために落手した。
正直言えば(個人的には)衒学的な表現が目に付く内容であったが、民主主義(デモクラシー)に対する、欧州のリベラルの基本的な考え方を知ることが出来たのは成果か。
ハッとしたのは
デモスおよびデモクラシーという語は最初、公共的存在となる条件を満たしていない人々が公共の事柄に口出しすることを非難する侮蔑的呼称でした。(p.148)
という下り。
この引用は、普遍的な命題を与えてくる。
訳者解説(p.163~)にも、『条件を満たしていない人々』が『社会的な不和を生み出す(p.164)』と挙げる一方で、いわゆる右派と左派の対立の淵源について、右派が(左派の)デモクラシーへの単純な信奉を批判することに対して、プラトンやアリストテレスなどを援用して論駁する。
普通選挙権は、寡頭制から生まれた混合形態であり、民主主義の闘いによって方向をずらされるが、たえず寡頭制によって元に戻される。寡頭制は、選挙民がくじ引きの民であるかのようにふるまう危険をけっして排除できないとしても、候補者や時には政策の決定まで選挙民に委ねるのである。(p.75~76)
つまり、『代表制は寡頭制の妥協形式(p.173)』と喝破する。ここで「共和主義」と「民主主義(デモクラシー)」の相克が生まれる。
共和主義とデモクラシーが決定的に異なるのは、前者が平等を目的としているのに対して、後者は平等を前提としていることがある(p.176)
斯様にして「自由」や「リベラル」を正しく論じたりするには、ある程度の本を渉猟する必要があり、それがそもそも「民主主義」の実現を困難にしてしまっているような気もしないではない。この点が、個人的には、単純な政治体制論や主義のありようの議論の前に、ここに至るまでの歴史や主義についての教育を行うことの重要性を思うのだ。
それを閑却しての議論は、結果的には『公共的存在となる条件を満たしていない人々』をむやみに増やし、社会不和を生み出すだけなのだと、半ば暗澹たる思いに至るのだ。
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