Crimes of the Future(監督:デヴィッド・クローネンバーグ/2022年)
本当に好きなものについて書くのは難しい。クローネンバーグの映画はその類いである。
1980年代半ば、小学生のころにテレビではしばしばホラー映画の特集番組が放送されていた。世の中でそれが流行していたかどうかも知らない、ただただ怖いもの見たさで指の隙間から見ていた子どもだった私の脳裏に強烈に残ったのは、襲いかかってくる殺人鬼やゾンビではなく、裂けた腹部にビデオテープを押し込める様である。夜に見ている悪夢そのままのイメージに吐き気を覚えてうっとりしたのは、思えば自覚する以前に自分の嗜好を射貫いたものだったのだろう。それが『ビデオドローム』(1983年)という映画で、デヴィッド・クローネンバーグという監督によるものだと知るのは少し後になってからのことだ。
そして大人になり、詳しくもないのに映画文化に関わる仕事についたばかりのころ、当然数少ない知っている監督の一人ということになるけれども、仕事で出会う人々の雰囲気からは間違っても「好きな監督はクローネンバーグです」とは言えなかった。ちょうど公開されていた『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』(2002年)が失敗作とされ、やはり所詮はゲテモノを撮るだけの監督なのだと評されていたからかもしれない。だから、いつの間にか《ボディ・ホラー》からやや距離を置き、巨匠扱いされるようになったことに戸惑いつつも、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』から『マップ・トゥ・スターズ』に到るまで、時折挿入される「このグロテスクさは演出上必要なのか?」と思われる場面で静かに打ち震えつつ(必要に決まっている!)、いつかまた最初から最後まで「このグロテスクさは演出上必要なのか?(必要に決まっている!!)」と心の中で叫ぶような作品を撮ってほしいとも思っていた。
だから、タイトルが公表されたときに思い出したのは、「リメイクではない」と明確に否定された1970年の同名作品ではなく、『戦慄の絆』(1988年)である。異常な器官を持った一人(ソール:ヴィゴ・モーテンセン)を鏡として相似形の二人(カプリーズ:レア・セドゥ/ティムリン:クリステン・スチュワート)が向き合うという構造は、畸形の子宮の女性(クレア:ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド)と、双子の医師(エリオットとビヴァリー:共にジェレミー・アイアンズ)と一致する。もちろん、だからといって、一時代を築いた巨匠の晩年におけるセルフリメイクを期待していたわけではない。
とはいえ、なにもかもがクローネンバーグ節であった。CG全盛の時代だというのにラテックスや樹脂でつくられたとおぼしき有機的なデザインの道具たち、それが動作するときに奏でる不愉快な音、そして、登場人物たちはごく基本的な感情表現をしているのに、それがもたらされる思考回路が常人には理解し難すぎてまったく共感を寄せ付けない芝居。それでいてあっさりと2時間内で映画を切り上げてしまうのは、まるで映画という表現に興味がないのではないかとすら思わせる。自分の関心事を伝える術がたまたま映画だっただけで、メインストリームの映画史に名を残すことなどどうでも良いのかもしれない。50年来のキャリアを通じて、彼の興味は常に「人間とはなにか(ただし、精神と肉体の区別を越えて)」なのだろう。