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闘病体験記~この身体で生きる~#2《眼病編1-2》

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■初めて病院が怖いと思った長い長い1日(前編)

紹介先の病院の予約が取れたのは10月に入ってからだった。その日は学校を休んで朝7時前に家を出て母親と病院へ向かった。
紹介された病院は県下に1ヶ所しかないこども病院。子供の病気を専門に診る病院だ。幸い、当時住んでいた家から車で1時間と掛からずに行ける場所にあった。
有料道路脇の鬱蒼とした森を抜けて坂道を上がると、白い巨大な建物が見えてくる。実はそこは僕にとって見慣れた場所だった。これまで何度もかかったことのある病院だったからだ。

生まれつき身体の弱かった僕は、完全右脚ブロック不整脈心疾患肝疾患、加えて両手腕の橈尺骨癒合症=とうしゃくこつゆごうしょう=(二本ある手の骨がくっ付いている先天的障害です)など、幼稚園の頃から何度も通院していた。
小学校3年の時にもアデノイドの除去手術で入院したし、5年の時には肝臓の組織生検をやった。中学に上がっても年に数回は循環器内科と代謝科で診てもらっていた。
目の病気はショックだったが、唯一見知った病院だったことに安堵感を覚えていて、向かう車中でもまた受診科が増えたのかー・・とか、ぼんやり思っていた。

顔見知りの先生や看護師さんもいて、病院に恐ろしいというイメージは全くなかった。小さな頃から採血する機会が多くて、血管が見つかり難いからと手の甲に針を刺されてもいてーと笑って見ていられるくらい平気だった。
なのにどうしてだろう・・。
駐車場に着いて車から降りようとした時、僕の足は震えていた。その日も日差しが白く眩しく感じた。目の奥も痛かった。地元クリニックで処方された目薬の効果はあまりないようだった。
物心がつく前の無邪気な子供の頃と受験を控えた15歳とではものの見方が違う。ついでに密かに育てていた絵描きの夢も閉ざされたばかりだ。
見慣れたはずの受付ホールが全く違う恐ろしい場所に思えた。
こども病院には県内から重い病気や障害を抱えた子供が集まり、普通の総合病院と違う雰囲気がある。そして少し賑やかだ。走り回る子がいたり、キャッキャという笑い声もあって、どちらかというと明るい雰囲気の不思議な病院である。

眼科の待合室は北側の奥にあった。子供たちの足音や笑い声の後ろで僕は長椅子に沈んで頭を抱えていた。母親も掛ける言葉もないという感じだ。
鞄の中には問題集や参考書があったが、それを開ける気力はなかった。しかし病院の待ち時間は長い。そうすると色んな思いが頭を巡った。
寄り寄ってこの時期に何故?、
僕はこれからどうなるんだろう?、
病院怖い、
友達に何て思われるだろう?、
好きなあの子のこと、
絵が描けなくなるのは勘弁してほしい、

を、30周くらいした辺りから、もっと差し迫った現実的な問題があることに気付いた。
受験だ。僕は高校入試を控えた受験生だったんだ。
皆は今頃学校で授業を受けている。こうしている間に僕は皆から遅れを取っている。今月は学校の中間テストや塾の模試がある。
高校に行けなかったら…?。志望校に受からなかったら…?。
事実ここ数日は全く勉強に身が入っていなかった。すると寧ろ今度はこの間とは違う焦りや不安に襲われた。
衝動的に鞄から頻出問題集を取り出した僕は、数学の問題を頭で解いてサッと見て答えを確認という方法で勉強を始める。これならいけると思った。
病気は放置すれば良くないが治療すればきっと治るとも信じていたし、受験生に勉強するなとは医者も言わないだろうと思った。
それでも息子を心配する母親は無理はしないでと言った。が、やめられる筈もない。ネガティブな考えを振り払うには何かせずにはいられない。何もしないこと、何も出来なくなることが怖かった。
とは言え、人間は殆ど視覚に頼っている。目を瞑って数式を浮かべても確認する時視界がぼやけて見づらい。
かなり骨が折れたが、数問解けた所でアナウンスが流れて僕の診察の順番がやって来た。

ここまで読んで下さりありがとうございます。嬉しいです。
もし宜しければ、『闘病体験記~この身体で生きる~#3《眼病編1-3》』へつづきます。


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