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末期ガンの祖父がコロナになりました

10日前に父から連絡が入り、このことを知りました。

命は2、3日だと言われたのだけど1/17現在まだ生きてくれています。祖母に聞いた話だと意識はあるけど酸素濃度が低く、痰を取り除いてもらうたびに苦しそうに声を出すそうです。

私は今日、夢をみたの。祖父が死んでしまった夢。悲しくて早朝に驚きながら起きた。目を擦って携帯を確認した。それから半日を過ごして今この気持ちを書いておこうと思ったの。

「人は2度死ぬ。」1度目は肉体的な死。2度目は忘却による死。最近読んだ西野亮廣さんの『ゴミ人間』という書籍で出てきた言葉です。

人間の脳は忘れていく作りになっているから、どうしても大事なことも忘れていってしまうけれどこのように文面にしておくことで悲しみにちゃんと浸って、祖父からもらった恩を他人に送って行けるだろうと思っているの。

人間の身体は借り物だから魂はどこかで生き続けるのだろうと思っているのだけど、生まれた時から私のことが大好き(誕生日も一緒なんだよ☺️)で愛を送ってくれた祖父の最期を予期しながらも会いにいけない(祖母さえも会うことができない)のは非常に切ない。

正直、コロナウイルスって怖いけど遠いところにいる気がしていたし、なってもインフルエンザくらいの苦しみなんだろうな、でも仕事に支障が出るから絶対になりたくないなくらいのニュアンスだった。(ニュアンスの癖にセンテンスが長いな)

末期ガンの祖父が入院している病院で院内感染したという連絡とともに、余命がラインのメッセージで知らされたのは私の中でかなり衝撃だった。

「救いようがないってこと?」

そう思ったんだ。即座にシニアヨガでのクラスの催行を先方と相談し、キャンセルした。私は個人事業主だから1つの仕事がなくなればどこかで収入をえなければ生活が苦しくなるのだけど迷う時間もなかったなぁ。もっと前に催行キャンセルを考えておかなければならなかったかもしれないね。今回のコロナへの意識は当事者になってはじめて気づくことが多かった。

そしてね、「死」へ考え方もものすごく考えた。近くには住んでないけれど、会うたびに「可愛いから東京の変な男には騙されんなよ!」と私のことを愛でてくれる祖父。定年まで大手企業に務めていたから会社員の安定感を知っていたのにヨガ講師になったことに対しても「身体大事にせえよ」と応援してくれていた祖父。そんな祖父からの愛はもう祖父には返せないかもしれない。だけれど、そのもらった愛はいますでに私と出会ってくれる人、これから私と出会う人に送って行こうと思うの。なぜならば、祖父の魂はきっとどこかで生きているからです^^

今は全力で祖父の「生」を応援し、もし肉体がなくなってしまったときにはその瞬間を全力で悲しむ。記憶がなくなってしまう前にその感情に浸るの。今後波のようにその感情にさらわれることがないように。

コロナに本当の意味で負けないように私は生きる。愛を込めて、生きて行こう。


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