1年間ありがとうございました。
2022年2月末をもってGOAL-Bを退職いたしました。
インターン時代を含め約1年間働かせていただきました。入社当初は周りと自分の差にやられ元気のない日々を過ごしていましたが、いろんな方との出会いやプロレス、フリースタイルをはじめとする挑戦の数々が後押しし10月には社員になることができました。
お世話になった方々本当にありがとうございました。
このnoteでは退社に至った経緯を綴ります。
結論から言うと抑うつになりました。
抑うつというのはうつの一歩手前みたいなものです。いわゆる憂鬱な状態が続く症状で、最近じゃ5人に1人はそうらしいです。
私は自分のことを話したり打ち明けたりするのがあまり得意ではありません。それは仕事でも私生活についてでも関係なくです。例えば仕事で困っていてる時は素直に協力を願い出せないことが多いです。
9月より名古屋店の店長に就任してからというもの手探り状態で自分にできることをしていました。私は自分でできることを自分でどんどんすることは比較的得意です。
就任初月の9月は売り上げがよく10月入社が認められました。zoomの全体会議の最中に直訴したことは今でもよく覚えています。
それと同時期にスタッフの移動があり、今まで研修を担当してくださっていた方が名古屋からいなくなりました。周りを巻き込んだりマネジメントしたりすることはこれが初めてに近い経験でありそこに関してのストレスが少しずづ溜まっていました。
私には専門的な知識や技術の眼はまだ養えておらず、自分の知っていることのみしか伝えられなかったため自信がなかったのです。
そんな時に多くの人は周りの友人や会社の先輩に相談するのですよね。
私にはそれができませんでした。
自己開示が苦手なのです。悩み相談に限らず自分のことを話すことをこれまであまりしてきておらず、自分の話というのがうまくありません。これに関しては1度考えたことがありますし、よく頭をよぎることでもあります。聞く側に回ることでごまかしてきましたが、自分の感覚や思いを言語化することが今でもうまくはないです。
タスクや人事配置、自分のしたいこととの間にどこかやりきれない気持ちは溜まっていきました。ガス抜きすることもできずに。
次第に大好きだった筋トレの最中にも「こんなことしたってどうせ、、」のようなネガティブ思考が巡るようになります。筋トレなんて本来無条件にストレス発散になるはずです。
1月中旬、私はコロナに罹患しました。
10日間の自宅療養期間に私は思いました。果たして社会復帰できるのかと。どうにか直後は職場に行きましたが、そこで僕の仕事ではないのに僕の責任だというニュアンスのことを言われ、スイッチが切れました。
翌日以降は全く力が出ず、ベッドから体が動かせません。
このままどうするのか、なんのために生きてているのか、もう死んでしまった方が楽でいいのではないのだろうか。
そんな思考ばかり頭にありました。
(鬱って大変ですよ。いつもなら死のうかなんて考えないですから!!)
正直に申しますと無断欠勤をしてしまいました。連絡をすることも億劫でした。社会人として情けない限りですが、もうそうだったのだからしょうがない。今後どうすれば防げるかに全振りする以外ないです。
1月下旬から2月末まで休職しました。
心療内科にて処方された薬を飲み続けたらある程度改善し案外簡単に治るものかと思われましたが、飲まなくなった途端にまた下り坂に。再度ネガティブ思考になります。
休職中、時間はあるもののやる気はないのですることがありません。
実家に1週間帰省した時には畑の草取りを強いられました。体を動かしてくれた両親には感謝ですが、あんなに面倒なものはないですね。そして母親は鬼のようなスピードで草を刈っており、それは間違って首をかられるのではないかと思うほどでした。(ギリギリ回避しました)
実家に帰ったらいいことがありました。祖父に会えたことです。
年末に帰省した際には入院していて、このご時世面会に行くことができませんでした。祖父は僕が社会人になってから色々と苦しんでいるようで、家族を振り回しています。家族からは若干煙たがれているような感じがしていて、僕もその話を聞く限りではそうなのかなと思っていました。
ところがどうでしょう。久々に会った祖父はピンピンしており、これといった問題行動もなく普通に過ごしていました。家族のお願いも素直に聞き入れていて、僕にもすごく優しくしてくれました。父親は僕がきたからだとしきりに言っていました。もしそうだったのなら嬉しいことです。名古屋に戻る時も「大丈夫だから、自信を持ってね」と言ってくれました。また一緒に温泉行きたいな。
名古屋に戻ってからは自由に一日を過ごせるようになったのと薬を飲みだしたのとで波はありつつ少しずつ症状は改善していきました。とにかく好きなことをやろうということで音楽やお笑いのライブに行ったり、好きな友達と会ったりしました。大学時代ずっと気になっていたことも遊ぶことができ感無量だったのですが、別記事で書こうと思います。
3月に入ってから一度沈んだものの、友達と連絡をとってる最中に励まされ、ふと気持ちが軽くなりました。その子は似たような境遇になったことがあり、生きてるだけで素晴らしい!最強だよ!と僕を励ましてくれたのです。
翌日、すっかり楽になりました。自然とやりたいことがたくさん出てきて1日のスケジュールが埋まりました。
この感覚はとっっっっても久しぶりで、人間ってそうだよね!と思ったものです。
以降、元気にやっております。絶好調というわけでもないですが、こんな記事が書けるくらいには元気です。悩みといえば顔は痩せてもお腹は痩せないことくらいです。
この経験を通して、僕は強くなることが出来ました。同じ鬱の人に寄り添うこともできます。苦しんでいる人に手を差し伸べることもできると思います。
今後同じことを繰り返さないように、日々ストレス管理をする必要があります。
まずできることは人に話すこと。今回の一件で自分が話すことが苦手なこと、この性格で過ごしてきたがために悩み相談をするような友達がいなかったことがわかりました。鬱期間に会ってくれた人を中心に少しずつモヤモヤを晴らすようにできればと思います。
次にライブに行くこと。音楽とお笑いのライブは本当に素晴らしいです。好きな音に揺れたり、お腹を抱えて笑ったりすれば自然とストレスは軽くなります。そしてまた行きたい、というプラスのエネルギーもゲットできます。今後は積極的にライブに行こうと思います。たちまち柳家喬太郎(落語)とwilywnkaが楽しみです。
今後について
ストレスによる鬱を経験し、僕は強くなりました。
今後は僕を構成する三要素で日本のストレスを少しでもなくしていきたいと考えています。
苦しくても僕のそばに常にあったものです。これらをすることなら自然とパワー出てきます。僕はイケメンで才能があるので、自分アップデートをしているだけで日本に貢献できると思っています。
切り口は分かりませんが、影響力が要りますよね。
とりあえず総フォロワー数100万人を今年中に達成することを目指して走ります。ショート動画作るぞ!
さいごに
辛い時に遊んでくれたり、連絡をとってくれた友達本当にありがとう。おかげで今日も生きてます。
家族のみんなはもっとありがとう。愛しています。
手のかかる息子でごめんね。
ここから頑張るから見ててよ。
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