生きヅラいんですよ。
そうなんです。
生まれて此の方
「生きていて楽しいな〜」と
思うコトより、
こっちの言い回しのほうが
格段にシックリくる人生。
まぁ、そりゃそうだ。
子供のコロから親にも「なんでオマエは皆みたいに普通にやっていかれへんのやろ」的な言われ方をされてきたので。
ボクが気に入るものは大体が
当たり前にソコにないモノ・コトが多かった。
モノで言えば、よく売れるモノは在庫たくさんあるのに、売れ筋外は取り寄せで入荷までに日数がかかるってヤツです。
結局はヒトと同じがイヤなだけ、と思われているのだ。
こういう人生歩んでくると、ただのヘンコモノで色々メンドウなヤツみたいな見られ方されてんな〜って自分でもソレが分かり、なんかツラくなる時があります。
でも結婚して所帯を持つとそのヘンコな見られ方も薄れている感があったのですが、子供が生まれてその子供が育って一端の口をきくようになってきた今、話のやり取り中にまたあのコロのツラさを彷彿とさせるような雰囲気を感じるのです。
「そんなん、誰も考えてないで?」とかそういう言い回し。
子供たちと話していてもそうですが、カミさんと話していても自分のソレとズレまくっているような気がして。
恐らく伝わらないであろう感覚や感情・思想をなんとか説明しようと必死になってモガけばモガくホド、「しんど〜・・・」と疲れ果てる。
最後にはもう「ヒトリになりたい・・・」。
最近のクチグセです。
こういうタイプのニンゲンは誰かと合わせようとすると疲労コンパイする。
かと言って、自分勝手にやりたい放題したいのとも違う。
社会不適合者。
あぁ…コトバ自体はコレがピッタリ。
でも誰かと場を同じくしている時は否定しないし、協調もするし、相手の意見を最後まで聞いた上で自分の考えはこうだ、と意思を伝えたりする。
だから誰もボクを社会不適合者だとは思いもしない(たぶん)。
ヒトリでいるコトが苦にならないと言うより、むしろヒトリが好きなんですが家族は大事だし、「オレをヒトリにしてくれ!」ってのもなんだか…って感じです。
自分の性格なんて分かりきっているのに、いきなりヒトリで仕事を始められるような経験もない。
「正社員にならなくちゃな」と20代で会社員になった時、人間関係の難しさや思うように業務を進められないもどかしさ、協調性を求められるしんどさを体現しました。
ストレスからか帰宅時の電車の中で意識が薄れてさすがに身の危険を感じ「あぁ、やっぱ向いてないわ」と上司や先輩と話し合いを重ねた結果、組織に属して8年程で退職に至ったワケです。
今は園芸業をホソボソと営み、副業もしながら絵描きと言えるようになろうとしています。
生きヅラさはずっと抱え込んだまま。
でも、この生きヅラさと共に人生を歩んでいくコトが、ボクってモノなのかな…とそんなふうに思っています。