私にとっての”書くこと”
書くことが好きなのか
…と、今そう書いているのではなく、文字を打っています。
書くというより、こういう場に文字を落とし込んでいる。
日記は、続きませんでした。4-5回挑戦して。3年日記帳も買って。
学校の読書感想文は、読むのが得意ではないのが難点でしたが、
気に入った内容ならばわりと、考えに考えて書いていました。
日々学んだこと、気づいたことをまとめるノートは、続きませんでした。
曲を作るための小さな歌詞ノートは3冊以上に増えました。
学校の宿題の一言日記は、空白を無くす勢いで書きまくり、
社会人になってから多忙すぎて無になりだした時の報告メールは
どんどん少なくなっていきました。笑
誰かに届く、或いは届ける文章は書けた。”10年後の自分へ”も。
ただ、書いてそこら辺に吐き出すことはさほどできなかった。
怒りや苦しさに書き殴ったことはあるけれど、それは書きたかったんじゃない、
誰かにぶつけるまいと、なんとかそこに放り投げただけ。
書くとは、私にとっては自分の中身を伝える手段。
中身があって、伝えたいと思った時に、書くのでしょう。
だから私は、手紙を書くのは、結構好きです。
私は人でした。笑
何を馬鹿なことを、と思われるかもしれないけれど。笑
私は、書くことが好きなんじゃない。
自分の思いや考えを、誰かに伝えることが好きなのだろう。
厳密には、誰かと深く考えることが好きなんだろうと思う。
なぜならレスポンスはあった方が嬉しいし、一人で考えるには、
必要な経験や異なる目線、価値観がいよいよ頭打ちになってきたから。
そもそも自分へのインプットが下手です。笑
今現在なかなかできないけれど、飲みにいくなら少人数で何かについて
深く語り合う方が好きだった。
一時は軽い人間不信になって、人間なんて、人なんてと思っていました。
でも、それは、人間社会に生きる”人”だからなんだよなと、思いました。
考えるから、想像するから。それを1人でしだすと、ループに陥る。
1人になりがちだと、”人々と自分”という視点が濃くなる。人なんて、となる。
自分と少しずつ違う人たちと共有できると、“人々の中の1人”、
もっと広くなると”地球上の一つの生命”ぐらいになる。笑
(あえて宇宙まで行きませんでした。笑)
私は人でした。周りを見渡して、自分の考えを”流れ”に入れてみて、
濁流に揉まれても自分は溶けて消えなかったし、だからって弾き飛ばされるほど
変わった何かでもなかったし、海のように広がっていって、
それが自然であって、違和感がないと、私は思いました。
…あ、だから川が好きなのかな。笑
noteの初めての記事に、書くことが好きとかいたけれど、早速前言撤回。
私は書くことが好き、とは本当にそれが好きな人の前では特に、言えませんね。
もちろん書くという意味に勝手に深入りしただけで、こういった場所に”書く”ことが好きな方々を否定しようなんて毛頭思っておりません。
ただ私自身は、書くことが好きな人というよりは、
考えるということが好きな、人。
泳ぎが下手な癖に上記のように川の流れに例えては、想像の中を泳ぐ、人。
3年日記ほぼ真っ白でこれも一つの記録??、なんて思っている、人。
もし、ここまで読んでくださった方がいたら、それだけで、
なんだか心がホワッ…とする、人。
さて、打つことで心がほぐされているうちに、誰かの文章を覗きにいってきます。私にとって読むことは、”苦手だけど好き”、なことかもしれません。