結論を急がぬよう
サッサと白黒つけたほうがラクになる、ことと、そーでもないことがある、と思う。
このnoteをつけだしたときの投稿=1年間の別れを切り出されたときの投稿を見て、忘れていた事柄や感覚が蘇り、苦しくなった。
向こうはもう、とうに忘れているだろう。
もう昔のようには愛されていないし大事にされていないし必要ともされていない、のは認めざるを得ないが、それを問い質して白黒ハッキリさせたところで、どうしようもない。
こちらも1年間別れた実績のおかげで、居なくてもどうにか過ごせる耐性はついた。
しかし、できることなら今後も一緒に過ごしたい。
別れたくはない。
楽しい時間を共有したい。
となれば、結論を急ぎすぎず、白黒つけず、プラスアルファの存在として、負担にならないよう、つかず離れず、過ごすしかないんだろう。
昔のような満足はもう得られないにしても。
恋愛の終末はあっけない。
高揚した昔の感覚にしがみつこうとしたって、もう過去は過去だ。
初期の投稿に書いた通り、自分にとって最期の恋愛かもしらん、という未練があるんだと思う。
二十代で今の同棲相手に出逢い、W略奪の末付き合い始めて今に至っている。
三十代で比翼連理だと感じる相手と出逢い、生まれて初めてこの人の子供なら授かってもいいと思った。
しかしやがて別れた。
四十代で今の恋人と出逢い、13歳下の彼にとっては初恋の相手になった。
お互いのセフレを全員切って、不倫でありながらも初々しい恋愛を楽しんだ。
しかしまぁ、私の存在が大き過ぎるから別れてほしい、1年間頑張らせてほしい、という2023年を経て、結局、歯車は狂ってしまった。
あのまま付き合い続けられていたらどうなっていたのか、
たらればの話に答えなんぞない。
恋は素敵な勘違い、であることは二十歳の頃からわかっている。
脳を騙してお花畑にしておきたかった。
五十代でまた、大恋愛ができるんかね。
自分にとって色恋の価値はいつまで残るのか。
早く達観したほうがラクになれるんだろうとは思いつつ。
結局のところ、脳内お花畑って楽しいよね、って話。