コーヒー焙煎のパラメータと全体
記事の頭に「哲学的な思考の備忘録」と入れるのが面倒なのでやめます。
コーヒーの焙煎をしていて、
例えば焙煎が5秒長かったり、短かったりほんの少し違うだけで変わってしまう、
というようなことが本に書いてあったりします。
そんなことあるのかなぁというような感じで、
確かに数字上だったり微妙に違うんだろうけど、そこまで違わないだろう、
という風に思っていました。
しかし実際焙煎をしてみると、
例えば、焙煎を深くしたりすると単に苦味などのパラメータが増えていくという事ではない、
という事に気づきます。
どういうことかというと、
焙煎の深さは一番大雑把に分けても3種類、
浅煎り、中煎り、深煎りですが
一般的には8種類、
ライト、シナモン、ミディアム、ハイ、シティ、フルシティ、フレンチ、イタリアンロースト
というような形で分類します。
ここで例えば同じ豆を、この一般的な分類に分けて焙煎してみた場合、
単に焙煎が深くなれば、酸味が減り、苦味が増え、
焙煎が浅ければ、酸味が多くて、苦味がない、
という事ではないのです。
焙煎が変わると、仮に数値上では微細でも、その性格が大きく変わってしまい、
シティよりフルシティのが少し苦いな、という事以上の全体のバランスが変わってしまい、
通常予想できる範囲以上の変化をするため、
同じ豆でも焙煎を変えるだけで大きく変わってしまい、
この豆は、この焙煎だとこうだから、焙煎を少し深くするとこうなるな、
という予想が立てづらいです。
もちろん経験で変わっていくのでしょうが、
今現在コーヒー豆をそれほど生産していない日本において、インターネット等で気軽に百種類以上の豆を買えることを考えると、
一個人で、色々な豆の特徴、焙煎度合いというのを理解するという事は
非常に難しいと思われます。
少しの焙煎で変わってしまうというのは、
たぶん人間によるところが多いと思われます。
というのは人間というのは機械ではありませんから、
基本的には物事を見るという時、
分析的に見るのではなく、
全体として見る
という事です。
どういうことかというと、
例えばコーヒーを飲んだ時、もちろん訓練されている人であれば
細かい酸味や苦味といったものに意識を向けることで、
微妙な違いに気づくかもしれませんが、
普通コーヒーを飲むときは、
コーヒーをコーヒーという一まとまりとして味わっている。
音楽を聴くときは曲を曲というひとまとまりで聴きます。
楽器をやっている人は、曲の中からギターやベース、ドラムといった構成要素を引っ張り出して聞くことは可能です。
ですが、普通曲を聴く、と言えば曲を全体として聴きます。
ここで音楽と比較するとわかりやすいのですが、
音楽のミキシングをするときに、あるいは単に曲を聴くときに、
イコライザーで音を上げ下げすると、
ある帯域であったりを、単に増やしたり減らしたりするだけで、
曲のイメージが大分変ってしまいます。
更に戻ると構成要素である、
ギターやベース、ボーカルといったものの音をいじれるわけです。
なので、ギター、ベースその他といった構成要素をいじったうえで、
それを合わせてみて、曲となります。
ギター単体で鳴らすと良い音でも他の楽器と合わせると、
全然聞こえない、あるいはうるさいという事は良くあります。
単に完成している曲のイコライザーをいじるだけで、
曲の印象が大きく変わってしまうという事があるのに、
もともとの構成要素である、ギター、ベースなどまで考えると、
本当に小さなことが大きく曲の印象を変えてしまう事がある、
という事がわかります。
なのでコーヒーにおいても、
焙煎における数秒、あるいは苦味や酸味のパラメーターがほんの少し変化することで、
オーケストラのような全体のバランスが変わってしまい、
小さな変化が大きな変化に感じられる。
ワインを味わうという時も味や香りは数百種類、色々な香りがあるとされるが、
人間が一度に感じれる味、香りというものはせいぜい3種類くらいらしい。
もちろん時間をかけたり、何度も口に含めばそれ以上の感覚を得られるだろうが、
瞬間的な人間の能力は、一つ一つ分析できるほど器用ではなく、
全体をひとまとまりとして、見る事しかできないのではないか。
こうやって文章を書いているときも、あれこれ別の事を考えながら、
書いていくというのは非常に難しく、
基本的に一つの事をするときは、一つの方に意識が向いてなにか行動をしている。
コーヒーを飲むときも、分析的に時間をかければ、
個々の要素を考えられたとしても、
普通コーヒーを飲むときは、コーヒーを楽しむために飲む。
ワインもそうなのですが、酸味など、一つの要素に集中して飲んでいると、ワインそのものの味を味わうことができない。
コーヒーも最近悪く言われる苦味に集中してしまうと、
苦味ばかりが際立ってしまい、おいしくない。
あまり深く考えずに飲んだ方がおいしいです。
全体を見る能力と、分析的に見る能力は、
『ファスト アンド スロウ』にあった、
システム1とシステム2のようなものであると思います。
何か五感に訴えるもの、感覚的なものは、
多くの場合、分析的というより、全体的なものなのではないかと思われます。
音楽、絵画、料理など。
分析的にテクニックを見るより、全体的な印象として、それをひとまとまりとして見ます。
人間の顔の目の位置や、鼻の形など、
パーツごとで見ると悪くないのに、
全体としてみると悪く見えてしまったりして、多くの人がほんの数ミリの事で
一喜一憂しているという事もあるのではないでしょうか。
なのでコーヒーの焙煎において小さな違いというのが、
全体を通してみると大きな違いになる
という事は往々にしてあるとするならば、
小さな事ばかりに気を付けて焙煎するというより、
全体を見て大雑把な目標、目的に向かって焙煎していった方が
バランスが取れるのではないでしょうか。