見出し画像

人類以外の生命体の声を認識できるまで -暗闇の中を手探りで-



フィクション小説としてお楽しみください


人類以外の生命体の声を認識できるまで -暗闇の中を手探りで-


◆自分を見失うことは、生きる指針を失うこと
 それはまるで暗闇の中を手探りでいきるようだ

自分のやりたいことがわからないのだから
やりたい仕事も特にないし、何をやりたいと偽って
面接に挑めばいいのかわからなかった

でも 自分がわからない とはいえ
人はどんな状況になっても、自分が本当に出来ないことは最初から選ばないらしい ということに後から気が付いた

私は全国転勤の総合職とか無理だし、そこに華やかさや魅力も感じていなかったしチャレンジしようとも、チャレンジしてみたいとも思わなかった

友達は応募していたが

何か大きな機械や道具を操作したり、運転したり
といった業種も得意さや興味もなくて選ばなかったし

理系の学部に入ったものの実験は大嫌いで、でも理系は安泰だ
と言われるがままに何社か受けたけど全部すべった

途中から研究とか実験とか開発だとかは諦めた
安泰で給料も新卒女子の割にいいし、会社によっちゃ
転勤が少ないのも魅力だし、実験、好きならよかったのになぁ
とうらやましくてならないが仕方がない
職場には苦手な実験を一緒にやってくれる同級生はいないのだ

結局私のしたいことなんか数ある職業の中にはなくて
どれだけ休みが確保できるか?
自由があるか?
退社時間は?
そんなことにしか興味はなかった

その姿をみて知人はあんたなにがしたいんかわからへん
と言ったが
ほんとうにそれは私が聞きたい

それにしても

どうして人は働かなきゃいけないんだろう?

どうして?

でもその問いを誰かにすることはなかった
皆決まって『生きるため 食べるため』とか
つまらない答えを聞くことになるだけだろうと思ったから

働きたくない人はダメな人間なんだろうか...…

こんな生きづらい世界で食べて寝て人生の大半を仕事して
大人たちは生きていて一体何が楽しいというのだろう?
自分の人生なのに自分の自由になる時間は
平日出社前と平日帰宅後と土日祝

この祝さえもない会社がほとんどではないか?!!

ああそうか、だから通学時間の社内の顔はみんな死んでいる
会社に楽しそうに行く人間なんて見たことがない

好きなことでもない仕事に人生の時間の半分以上を
費やして、空いた時間にすることは遊びと休息

そのわずかな娯楽の時間のために生きている時間の半分以上を
特に興味もないことをさも興味があるかのようにして取り組まなきゃいけないなんて めんどうくさい
もう別にいきていなくていい気さえしたし
正直なところ自殺願望がないともなかった

死にたくなることは多々あるけど
でもまだいきてる

おなかが減ったら食べてるし
疲れたら寝ている

死んだように生きるのと
死んでるのと どう違うんだろう?

よくある思春期のあれかなー
と、思いながらもこの感覚が消える気もしないし
思春期というには遅い気もした


そんな私にもぼんやりした未来設計はあって
それもよくあるやつで

何となく自分は結婚して専業主婦になるんだ

なぁんて思いながらも恋愛が全然うまくいかないことに
不安や焦りも感じる

自分の気持ちもわからないのに
人の感情がわかるわけないか

私には相手の”好き”がどうやらわからなかった

好意をもってくれても自分に自信がないからか
色々と理由をつけてスルーしてしまう

ストレートに思いを告げてくれる人にはあまり惹かれない

何もかもうまくいかない
お金を貯めて海外旅行に行くまでが何よりも至福
その間は友達を独り占めできるから……

もうすぐで春になる
そんな季節にようやくここなら何とか通えそうと思える会社に内定が出た


◆選ぶということは、興味やできる “何とかなる”の範囲内なのだろう

入社後私は何とか仕事というものを覚えた
先輩はみんなとてもやさしくて親切だったし
同期の存在も大きかった

結局どんなに人に言われようと指図されようと
体を動かして応募し、その場に行き、進路を
人生を選んでいるのは自分なのだ

他の誰もが私の体を操作してその人の言うとおりに行動させることはできない

洗脳やマインドコントロールはある意味それを可能にするものかもしれないが、それでもやはり、自分の体に自分の意識があるということほど自分の体に作用する上で強いものはないのだ

解きたいと自分が望めば洗脳もマインドコントロールも解くことができる、出たくない知りたくない解きたくないと無意識に思う気持ちが少しでもあればそのなかにいるだろう

それでもやっぱり、コントロール下にあったとしても不得意を得意にはならないから自分の選択はどこまでいっても”自分が選択したこと”になってしまうのかなぁと思ったりもした

だからあれほど自分のやりたいことがわからないとは悩んではいたけれど
やりたいとまではいかなくても、自分にはなんとか出来ること
の中から選択していた

だからきっと後悔した進路選択でさえも何かしらの理由や興味や私にはこれができる が潜んでいるに違いないと思った

私にとっては色々な事務作業をやらせてもらえるのは
性に合っていて飽きなくて楽しかった
仕事が生きがいとまではいかないし満員電車の通勤時間は憂鬱だったけど、職場に行けば気軽に話をできる同僚もいて
何よりもお金が手に入ったからそういう意味での自由さは学生のころとは比べ物にならなかった

そりゃそれでも死にたくなる時があったけどそういう意味で満足していた

相変わらず恋愛はうまくいかないしぽっかり空いた穴は
空いたまんまだったけれど


◆死にたくなる理由、ぽっかり空いた穴の存在は
 依存と自己否定から

社会人になってから恋愛が少しずつうまくいくようになってきた
あらゆるセラピーを続けて、たくさん異性に会って
自分の気持がわかるようになるにつれて、相手の気持だとか好意も汲み取れるようになってきた

何人かお付き合いしたけどすぐに駄目になるそこでまた道がふさがれたように思えて病んだ

そして大恋愛の末
私の恋愛がうまくいかないのは空いた穴をふさいでほしくて相手に依存し始めるからだと気が付いた

その依存心は空いた穴を更に大きく大きく空けていく

死にたくなるのはそんな自分のことが大嫌いだから
自分なんか存在していなければいいのにと思ってしまうから

自信がいつもないのは人と比べて自分を下げてしまうから
いつも誰かから愛されることを心のどこかで欲求している
いつだって空腹のヴァンパイアで虚無感を満たしてほしくて
泣き叫んでいる『私をみて!』って怪獣みたいに

私はどうにかそれを埋めたくてその苦しみをやわらげたくて
○○セラピー的なものには100回以上は手を出したし
内観することを忘れないようにした
かつてないがしろにした 内なる自分を大切に…

ある日、激しく沸き起こる寂しい、や、孤独を埋めてほしくて泣き叫びたくなるような欲求 それこそ破壊的なまでの欲求を”なに”かプラスに転じることは出来ないかと考えた

この世界は表裏一体 光には闇が プラスにはマイナスが
包丁だって使い方次第で結果が変わるようにこのマイナス面しかない感情にだってプラスに転じる 何か があるはずだと

破壊的なエネルギーだって、エネルギーは単にエネルギーであることに違いないんだ

ただ強烈なだけで

だからきっと何かある
懐柔する術が

そう信じることにした


◆破壊と創造

破壊には、なんだ?破壊の裏側は……
破壊には創造なんじゃないか?
日本神話の神々だってめちゃくちゃ破壊的じゃないか!でもこの世界を創ったんでしょう?!!すごいじゃん

だったら私もこのエネルギーを創造に使えばいいじゃない!

そう思ったものの何をどう創造したらいいか頭で考えを巡らせても何も思いつかなかった

ある日ふと、白紙の絵本型ノートをお店で見かけて
これだ!

と思った

私はそこに、自分の思いや、感じたこと、わかった感覚を書き写すことにした

恋人に埋めてほしくて叫びたくなる想い、二人の関係を破壊しかねない その破壊的欲求をすべて白紙のノートに受け取ってもらうことにした

すると、絵は描けないし字も上手くないけど何とか自分なりに表現が出来た

どこにペンを置いて、どのようにペンを走らせるか
感覚を頼りに勘を頼りに全神経を研ぎ澄まして転写する
自分の人生を、学びを、おもいを 白いノートに転写した

私の知る世界で初めて”字本”というものができた

破壊のエネルギに―にだって必ず良い方向に活かす道がある

そう思えた

今まで全く創作活動とかもしたことがなかったのに
突飛なことと躊躇してやらずに自分を信じて取り組めたことに少しだけ誇りを持てた




いいなと思ったら応援しよう!