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【映画感想】インサイド・ヘッド 〜カナシミの役割〜


かなしみ

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった

谷川俊太郎「二十億光年の孤独」

谷川俊太郎さんの「かなしみ」という詩である。「僕」が余計に悲しくなってしまったのは、おそらくおとし物が見つからないからだろう。遺失物係に何をおとしたのかと尋ねられても、「何かとんでもない・・」としか答えられないのだろうし、そもそもおとし物をしたのかすら本当はあいまいなのだから。

カナシミは邪魔者で余計なことばかりする。ヨロコビに何度制止されても、「ごめんなさい」と言いながらライリーの楽しい輝く思い出に触れてカナシミの青色に変えてしまう。

カナシミはウジウジしている。「次々と失敗ばかり・・最低よ。」と自分を卑下し、ヨロコビに楽しいことを思い浮かべるようにアドバイスされても、犬が死んじゃう映画のことしか思い浮かばない。お日様を存分に浴びたパパとの海の思い出は、カナシミのなかでは、雨で全身びしょびしょになってなにもかもが暗く沈んでいく記憶でしかない。

けれど、カナシミはやさしい。ライリーとの思い出が詰まったロケットが捨てられて落ち込むビンボンの隣に寄り添い、話に耳を傾け、「そう、悲しいよね」とそっと声をかけてあげる。

悲しみは喜びの源だ。ヨロコビは、自分がライリーに何もしてあげられず泣きじゃくった時、はじめて悲しみを素直に表現することが決していけないことではなく、周りが支えてくれる契機になっていたことに気付く。いつも明るく振る舞うヨロコビの髪の色も眼の色は、じつはカナシミと同じきれいな青色だ。ヨロコビの色とカナシミの色が混じり合ったとき、ライリーの思い出は一層きれいな輝きを放つ、大事な記憶となるのである。

悲しみを無理に押し込めたり、形を歪めたりする必要はない。「何かとんでもない落とし物」をしたような説明しがたい喪失感を伴って想起される「青い空の波の音」の記憶も、そのまま大事にしておけばよい。悲しみを悲しみのまま受け入れて生きていくことも、大事なことなのだと思う。

生きてることが辛いなら
悲しみをとくと見るがいい
悲しみはいつか一片の
お花みたいに咲くという
そっと伸ばした両の手で
摘み取るんじゃなく守るといい

森山直太朗「生きてることが辛いなら」

現在、続編が公開中とのこと。予告によれば、思春期になったライリーのインサイド・ヘッドが描かれているという。疾風怒涛の感情の渦巻きのなかで、ヨロコビやカナシミや他のインサイド・ヘッズ(?)たちがどんな活躍を見せるのかとても楽しみである。

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