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【映画感想】箱男-The Box Man-

見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。
見られる傷みに耐えようとして、人は歯をむくのだ。
しかし誰もが見るだけの人間になるわけにはいかない。
見られた者が見返せば、こんどは見ていた者が、見られる側にまわってしまうのだ。

安部公房「箱男」

完全な孤立、完全な匿名性、そして一方的に世界を「覗く」こと。
四半割りの段ボール箱を頭からかぶった「箱男」は、これらを手に入れた、と思い込んでいる。「箱男」になることは、不確実な世界において一縷の境界線を作り出し、視界を極限まで限定することによって、自身のコントロール感を取り戻そうとする試みとも解釈できる。究極のハイラムダスタイル。

・・だが、残念ながらその試みは完全に破綻している。一つの街には二人の箱男を受け入れる余地はないという暗黙の了解の下、命を狙われる羽目に陥り、箱男同士の縄張り争いを余儀なくされ、どちらが本物か贋物かという由無い争いに身を置くことになる。「箱男」の英訳が「The Box Man」とされているとおり、箱男になることによって、匿名性どころかむしろその特定性は際立ち、完全な孤立とは程遠い存在になるという矛盾が生じている。そして、箱男は、一方的に世界を「覗い」ているようでありながら、じつは絶えず他者からの視線に怯えている。この点において、現代のSNSとの類似性はいうまでもない。

箱男を意識する者は、箱男になる。

映画「箱男」

劇中反復されるこのフレーズは、いわば「箱男性」ともいうべき心性が他人事ではなく、誰もが「箱男化」する可能性があることを示唆している。
「あなたも見られる側になってみたら。」「早くそんなところからは出てしまいなさい。」と女に促されてもなお、箱の中に閉じこもろうと躍起になっている箱男の姿は滑稽かつ哀れなのであるが、同時に自身の中に潜む「箱男性」に嫌でも直面させられることになる。

主体のめまぐるしい転換、現実と妄想の混濁によってもたらされる原作のある種難解な空気感はそのままに、スタイリッシュな映像技術、唐突に途切れる効果音、そして俳優たちの緊張感のある演技によってエンターテイメント性も兼ね備えた作品になっている。特に、箱男VS贋箱男による格闘場面では、箱によって身体の大部分が隠されていることによって、むしろその身体性や暴力性が際立って見えるから不思議である。

クレイジーかつセンシュアル。フェティッシュにしてアバンギャルド。そんな箱男体験を「意識」したならば、是非劇場に足を運んでの鑑賞をお勧めしたい。その結末は・・?

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