イワシは問う 豊かさとは?【食育】#11
街を歩いていて、目を奪われる美人を見かけたことがあるでしょう。
「きれいな人だなぁ」
と心でつぶやくあの感じ。
鮮魚コーナーでも同じような心境になります。
「このイワシ、美しいなぁ」と。
キラキラと輝く銀色の体躯が、まるでジュエリーのよう。
圧力鍋で煮付けました。
新鮮なので、身がギュッとなっており、箸を入れると背骨を中心にパカッと身が割れました。
その味わいは、まさに絶品。
料理をするようになってから、食材一つ一つに対する感謝と感動が深まってきました。
かつての我々人類は、マンモスなどの大型陸上動物を狩り尽くしてきました。
特異な認知能力と持久力を駆使し、戦略的に狩猟は行われました。
おそらくこの重労働は男性が担い、その強靭な肉体を活かしていたのでしょう。
しかし、漁業はそれとは異なります。
特殊な戦略も、堅固な肉体も必要ありません。
ただ定置漁具を海や川に設置すれば、自然と魚が集まります。
この作業は女性や子供でも容易にできるため、誰でも楽に食料を得ることができました。
魚は学習能力が低く、親が子に教育することもないため、繰り返し同じ罠にかかります。
また、魚は反撃してくる心配もないため、安全に多量に捕獲できるのです。
狩猟採集時代の人類は、その日暮らしの生活を送っていました。
が、彼らにとっては、豊かな環境に恵まれていたので、食料を確保しておく心配もいらなかったのでしょう。
彼らは「これは私のもの」という所有の概念を持たず、自由を享受していたのです。
農耕が始まると、私有財産という概念が生まれ、「これは私のもの」という考え方が根付きます。
しかし、これは同時に戦争を引き起こす原因にもなりました。
農作物が病気にかかったり、自然災害から不作になった場合は、隣の集落を襲撃し奪ってくるしかありません。
反対に隣の集落から、自分たちの農作物を守るための準備も必要となるのです。
農耕民にとって土地を失うことは、死を意味しますから、土地を死守するために戦いました。
農耕により、1人あたり何人分もの食料を作れるようになりました。
余った食料は蓄えられ、また農作業に従事しない人間を誕生させました。
集団の規律を守るため政治家が生まれ、集団の精神的支柱となる祭事をつかさどる宗教家が生まれ、集団を物理的に守るための軍人を誕生しました。
農耕は社会的格差も生んだのかもしれません。
現代人は物を所有することに大きな価値を見出し、それを対外的に示すことに努めます。服装、時計、車、住む地域に至るまでその尺度は潜在的に、財産の多寡を顕示してきます。
しかし、何も持たない狩猟民は、もしかしたらもっと豊かな存在だったのかもしれません。
彼らは自由に生きました。
一日の狩猟の時間はわずかで、踊り歌い、多くの時間をコミュニティの絆を深めることに費やしていました。
彼らは帰る家がなかったのか。
それとも私たちが土地に縛られているのか。
このイワシが私たちに問いかけています。
本当の豊かさとは何かを。
そして、私たちが今、何を大切にすべきかを。