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565.たかが本~たかが50冊~売ってくれったって、売らないよ~売りたくない本だってあるんだから~

【お馬鹿なcoucouさんの自主出版論㉔】

1.本はね、売りたくない、売らない本だってあるんだよ~


本はね、本屋さんに置いたり、販売するだけのモノじゃあないんだよ~

そしてね、豪華にお金をかければいいってもんでもない。
本はね、記憶、記録として残したいものもあるんだよ~

そしてね、読者は一人でもいい~
そんなにたくさんの人に見せたくもない~
見て、読んでくれる人はね、気持ちのある人だけでいい、って限定してもかまわない。
それが本当の本の素晴らしさなんだ~

coucouさんはね、本当はこの本の紹介はしたくなかったんだ~
だってね、想い出してしまうんだもの…。
たぶんこのnoteが書き終わるまで鼻水が止まらなくなるからね~
そんな、毎日泣いていたら、身体中の水分がなくなっちゃうんだもの~

さて、7冊目の自主出版~
売らない本、売りたくない本。

※自主出版の7冊目の紹介
【自主出版⑦】
タイトル ~もうひとつの樺太物語~望郷
著者
 ⒸToshio&coucou
サイズは、B6(18.2×12.6)
ページ数は56頁 50冊
オールカラー 表紙カラー 本文1色
総額19,100円(19,100円÷60冊=1冊あたり318円)
※非売品


※注 データ製作内容によって変動あり
30冊で15,170円
20冊で12,860円
10冊で12,200円


coucouさんの父は、
1919年(大正8年)12月15日樺太庁本川上で生まれる。

そう、樺太開拓団の祖父母と共にこの大地で生まれ、育つ。
1929年(昭和4年)祖父永眠。年老いた祖母と病気の兄と幼い妹とともに、母と二人で開拓を続けるが、父はわずかに10歳。

まるでカーネルサンダースのように出稼ぎに行き、幼すぎたために騙され、一銭ももらえずに家族の安否を気遣い続けた…。

そして、樺太川上炭鉱で働き何年もかかり、家族全員を呼び寄せた。
その平和もつかのま、1941年(昭和16年)真珠湾攻撃とともに太平洋戦争勃発。父は軍隊に志願した。

そして、家族全員を満州開拓団に樺太開拓団は合流した。
満州宝清県第10次弥栄庄内開拓団に入植した。
ロシアも危ない、日本も危ない、中国も危ない。
しかし、親せきが、家族を面倒を見てくれるという思いで樺太からすべてを捨てて満州の地に出向いた。

そして、軍隊に入隊するために初めて日本の土を踏む。

しかし、ご存知の通り、1945年(昭和20年)に日本は敗戦国となった。

樺太と言う故郷を失い、満州を失い、祖父母と父のお墓はまだロシア内、母は満州のどこに埋められているかわからない、兄弟たちは売られ、殺され、先輩たちはシベリア抑留。

父には戦争が終わっても、戻る場所がなかった…。


戦後の父の話が、場所や設定を変えて戦後の生き様をまとめた「あこがれ」はリアルストーリだった。

これ以上は止めるね…。


そう、他人さまの人生なんて、つまらないよね。
でもね、自分の大切な家族だったらどう?
誰にでも、壮大な物語がある。

そんな想い出、
そんな記憶、
そんな記録があってもいいよね~

それは販売なんてしないよ、大切なその人のいのちなんだから~

coucouさんは、4年かけて、毎日のように父に話しかけて、資料を集め、事実と歴史を調べながら父の壮大な人生をまとめた。そして、生まれて初めての本「望郷」を生きている間にプレゼントしたかったんだ…。

後半はさらに入退院を繰り返し、それでもcoucouさんに最後の最後まで伝えようとする。やがて、記憶も言葉もわからなくなっていく、それでも書き続ける。そして父はペンが持てなくなる。言葉も上手く話せなくなる、それでも話そうとするためパソコンを止めることが出来ない…。

でも、全力で本を完成させたけれど間に合わなかった…。
せめてこの本を手で触れてもらいたかった…。

それがcocuocuさんが返しきれない、恩返しだと信じていたのだけれど、返すことが出来なかった…。

4年もかかってしまったんだ。

だから父の人生を家族と親戚兄弟だけには残し、渡したかった。
この本にはcoucou一族のすべてが書かれている。

父は、二度と戻れない樺太なのに「俺は樺太人なんだ!」という口癖だった。そうだよね、大好きだった祖父の眠る、生まれ育った故郷だもんね~

樺太は存在していた、幻じゃあない…。
ならば、coucouさんと弟も樺太人だよね…。

…もう、書けないなあ…。

戦争って、あまりにも悲惨、一人のいのちが数百人のいのちを奪うことと同じ。たくさんの素晴らしい未来を失わせてしまう…。

表紙©NPО japan copyright association Hiroaki coucou
裏表紙©NPО japan copyright association Hiroaki coucou

 山形県連枝にて、coucou一族350年祭に出向く、父との最初で最後の旅行となった。戦後この松の木が目印だったという。

©NPО japan copyright association Hiroaki coucou

94年間の人生の記録

©NPО japan copyright association Hiroaki coucou

樺太の街・父の書き残した絵を掲載した。

「樺太庁小沼駅周辺の地図」©NPО japan copyright association Hiroaki coucou
戦後父は中原淳一の「ひまわり」「それいゆ」にかかわる©NPО japan copyright association Hiroaki coucou



父のお気に入りのcoucouさんと従妹・母と共に
©NPО japan copyright association Hiroaki  coucou


2.もう一人の父


さて、8冊目の自主出版~
売らない本、売りたくない本。

※自主出版の8冊目の紹介
【自主出版⑧】
タイトル 「残照」
afterglow
著者
 Ⓒ石井竹雄
サイズは、B6(18.2×12.6)
ページ数は126頁 50冊
オールカラー 表紙カラー 本文1色
総額19,100円(19,100円÷60冊=1冊あたり318円)
※非売品


※注 データ製作内容によって変動あり
30冊で15,170円
20冊で12,860円
10冊で12,200円

表紙©NPО japan copyright association Hiroaki coucou

※もう一人の父「残照」のはじめにと、おわりのあいさつ文~お時間がありましたら、読んでくださいね~coucouさんが2年かけてまとめたもの。再録~


はじめに「残照」


私は、昭和6年(1931年)2月5日に生まれ、令和3年(2021年)2月5日で90歳になりました。戦前、戦中、戦後を生き抜きましたが、いつの間にか私の周りから父や母、兄弟、先輩や友人たちがこの世からいなくなってしまいました。

人はみな、90歳まで病や大きな怪我もなく、元気に生きている姿を見て羨ましく思っていただいているようですが、寂しいながら90年という歳月は私の薄れゆく記憶までも奪い去ろうとしているような気がしています。

私は友人のすすめによって苦手な分野ですが記録(記憶)を何かしらの形に残そうと思うようになりました。
人は誰でも父や母がいて現在の自分があるわけですから、当たり前ながら感謝することしかありませんが、さらに祖父母、曾祖父母と私の生きてきた時代を考えると
4人、8人と代々とその血が受け継がられていることを感じます。
そうやって、600年前まで遡ると、自分がこの世に生を受けるまでに約100万人のご先祖様の存在の事実とその血脈を甘受しているのだと今更ながら驚きとともに、私の代で何かしらの記録(記憶)を残す義務を感じはじめたのです。

自分の人生は振り返れば、すべてが幸せだったのだと改めて感じるようになりました。若い頃は大変なときもありましたが、苦しい日々や戦争という体験も、今振り返ればすべてが素晴らしく思えてくるのです。(争いや戦争は二度と起きてはなりませんが)

人間の幸せのすべてが人間関係の中にあり、人間関係はお金で得られるものではありません。家族が平和である、家族が支え合うという以外に何の幸せがあるというのでしょう。幸いにも私はよき伴侶に出会い、長男文明、長女三枝子という子宝に恵まれ、つばさという孫とその子ども貴紗子、百花子の二人が誕生し、四代に渡る家族構成によって新しい人間関係が生まれたこと、またその姿を見続けられる喜びに浸りながら90歳を迎えられたことは、私の人生最大の歓びであり、幸せであります。

この愛する人たちに何かを残したい、伝えたい、知らせたいという感情がこみ上げてきました。もしかするとこの仕事は私の人生の集大成でもあり、私がこの世を去った後も数百年と続くであろう子どもたちにとって何かしらの指針になるかも知れないという思いに駆られているのです。

私の人生はとても幸せでした。

幸せはお金ではなく、家族が支え合い、助け合い、思い合う姿を俯瞰して眺めることでそれを感じることができます。まさにこれが私の人生観でもあります。
90歳となった私の人生には感謝しかありません。(もちろんご先祖さまのおかげです)
まだ見ぬ未来の子どもたちへのメッセージとして、ここに拙文を記します。

本書のタイトル「残照」は私の友人が考えてくれたものです。私の好きな言葉で、日が沈んでからも空に照り映え残る夕の光、残光のことです。

私はこの美しく、いつまでも忘れられない残照を、今感じています。



令和4年(2021年)2月5日
90歳最終記  石井竹雄

奇跡的に生きたいのはなトンネル機銃掃射事件、テレビでも放映された©NPО japan copyright association Hiroaki


小学生時代©NPО japan copyright association Hiroaki


慰霊祭©NPО japan copyright association Hiroaki coucou
このトンネルめがけて逃げた©NPО japan copyright association Hiroaki
親子4代勢揃い©NPО japan copyright association Hiroaki


©NPО japan copyright association Hiroaki coucou

石井竹雄自伝「残照」のあとがき



令和3年2月5日、石井竹雄さんが90歳となった日からこの石井竹雄自伝「残照」をまとめはじめたものです。石井さんは私のもう一人の父で、父の最後の友人です。もう一人という意味は、私の名前の考弘(こうこう)という名付け親でもあるからです。
そのような縁あって、この「残照」をまとめさせていただくことになりました。私の父も90歳の時の記念として「望郷」という題号で自伝を製作しました。
ただ、石井さんほどの元気はなく入退院を繰り返しながら四年の歳月をかけて完成したのですが完成品「望郷」を手にすることなく、残念ながらこの世を去ってしまいました。
私は8年前に亡くなった父とまた会えたかのように、あの時と同じように記録をまとめました。外出することすらままならぬおかしな時代に、毎月お会いして2人だけで話を聞きます。
最初に1歳から10歳の10年間。
10歳から20歳、20歳から30歳、30歳から40歳、40歳から50歳。そして90歳。令和4年2月5日までの12か月間あまり、石井さんの人生を聞き続けました。
石井さん本人は性格が明るくて、いつも前向きな方なので暗い話はほとんどありません。しかし、少年時代から青年時代まで、戦前、戦中、戦後の焼け野原にかけて大変な時代に生きてきたことは事実です。
本文のいのはなトンネル機銃掃射事件によって石井さんの人生に大きく影響を与えたことは紛れもない事実だと思います。あまりにも残酷、残虐な戦争体験を11歳の石井さんはそれでも物事を明るく捉えながら前向きに進みます。

私が驚いたことは石井さんが高尾駅での機銃掃射を受けている同じ時間帯に奥様の節子さんが線路の反対側に幼い弟たちを背負いながら身を隠していたことでした。
なんと不思議な運命なのでしょう。

まさか、このときに二人が結ばれるなどと誰も想像ができないことです。
やがて、待望の長男文明さんが生まれ、長女の三枝子さんが誕生します。
そして、初孫のつばささん、さらに、ひ孫の長女貴紗子さん、次女の百花子さんが生まれました。まさに4代揃って今世での出会いとなりました。これだけでも凄いことです。

もし、あのとき、大勢の人が命を落とした「いのはなトンネル機銃掃射」によって石井さんが一命を失っていたら現在の4代家族とは対面することができなかったわけですから、時代の運命を奔走しながらも、石井さんの生きてきた証ともいえるのかもしれません。

私が石井さんのお話を聞いていてさらに驚いたことは一切の苦労話がなかったことです。おそらく、戦前、戦中、戦後の中には苦しかったことや辛かったこと、人に話せないほどの哀しかったこともあったはずです。
しかし、石井さんはそのことのすべてを忘れ去ったかのように、逆に楽しそうに懐かしむのです。

91歳になった石井さんに改めて質問しました。  

石井さんの一番悲しいことはなんですか?

すると、みんなと会えないことだといいます。

その、みんなとは誰のことを指すのかと聞いたら。
娘や孫、ひ孫たちに会えない日だといいます。

次に、もう一つだけ質問をしました。

石井さんの一番楽しいことは何ですか?

すると、娘や孫、ひ孫たちと会えることだといいました。

石井さんはある意味、家族から見れば我儘と捉えるかもしれませんが、奥様がいて、文明さんがいてくれて、三枝子さん、つばささん、貴紗子さん、百花子さんと会えることが最高の喜びなのかもしれません。

そして、みんなが幸せになってほしい、という祈りにも感じます。
私の父も戦前、戦中、戦後を駆け抜けてきた一人ですが、石井さんと同じように「兄弟姉妹、親子は近くで暮らすものだ…」という考え方の人でした。


さて、石井さんの人生は90歳からは毎日がカウント・アップです。
昭和6年(1931年)2月5日に石井さんは誕生し、平成4年2月5日で3万3238日目。4千748週目、1千92ケ月目。91年目となりました。

明日からの石井さんはさらにカウント・アップを続きます。

明日で3万3239日と更新となります。
来年の令和5年(2023)2月5日で、3万3903日目。
10年後の2033年で3万7256日目の生誕101歳となります。

人生は100年、120年時代となりました。石井さんにはこのまま病気や怪我をせずに、家族のみんなを見守り続けてほしいと願いながら、石井竹雄自伝「残照」あとがきとさせていただきました。


令和4年(2022年)10月吉日 文 coucou(考弘)

もう一人の父は、令和5年(2023)2月5日で、3万3,903日目。そして、92歳を迎えます。

現代医療ではもう不可能、余命1か月と言われたけど、家に戻してもらったら少しばかり元気がでてきたよう~

coucouさんの父みたいに何年もかけて作った「残照」も無事にクリスマスプレゼントとしてお渡しができた~

ああ、coucouさんの父にできなかったことが、もう一人の父にできた~

もう一人の父は、人生で90年以上、仕事が辛くとも、親がこの世を去ったときも泣いたことはない、といつも自慢していたけれど、

この日は泣いた…。

本を手にして、胸に抱えながら泣いた…。

そう、うれし泣きなんだ~

そしてね、今までの人生で、
こんなに幸せなときってあったのだろうか?と話す。

きっと、coucouさんの父も同じ言葉を言ったかもしれない気がした。
石井さんの言葉から、coucouさんの父の言霊が次々と出る…。

たかが、本~

たかが、50冊~

どんなに凄い内容であっても、
この本は売るために書いたものじゃあない~
売ってくれったって、売らないよ~

これは、未来の子どもたちへの贈り物なんだから~


娘と息子、孫と二人のひ孫に残したい、じいちゃんはね、一生懸命に生きて来たんだよ、だから君たちもどんな時代になったとしても姉妹が助け合って、支え合ってほしいんだ。

そして、君たちの子どもたちに伝えてほしい~

みんながいたから、生きて来た~
みんながいたから、頑張って来た~

じいちゃんはやがてこの世からいなくなるけれど、君たちの思いの中と、この本の中にいつまでも一緒に生き続けているからね…。

この本は100年後のきみたちの子どもたちに差し上げてほしい~
50冊じゃあ足んないかもしれないけれど、そしたらまた50冊印刷すればいい~


coucouさんには、こんな父の声が聴こえた…。


ここまでおつきあい、感謝申し上げます~
では、またあした~

※7,093文字


人は誰でも、再び、生まれた世界に戻る、人生ってそのための長い旅。
そこは、誰もがあこがれる、ふるさとなんだね~
英語バージョン↓聞いてくださいね♪


coucouさんのホームページだよ~みんな、みてね~

 
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru








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