自責の念より、将来のことを気にする
それは数年前、
祖母が自力で動けなくなり、
さらに母の体調が悪くなり、
それによって私が精神的に追いつめられたときのこと。
当時、その気持ちを吐き出したかったようで、ブログに書いていた。
母の顔がボロボロになっていることに気づいたおば。
「キッチンソープで顔洗っちゃって」
「いまキッチンソープ入れ替えてたから思いだしてさ」
「ときどき謎の行動してたよ」
「帯状疱疹のときも謎の行動しててさ。やっと皮膚科行ったんだよね」
「我慢強いと言えば我慢強いんだけど」
と、その頃のことを思いだして話していた。
当時の母は、とにかく食欲がなく、寝室で寝てばかりいて、
もしかしたらこのまま死ぬんじゃないか、と怖くなったこともあるほどだった。
おそらく、栄養がちゃんととれていないせいで、頭が働かなくなって、そんな行動をとったのではないかと思う。
母は自分の体を気にするのに、なぜか病院に行こうとしない。
痛いとか、明らかに体に異変が起きていてもそうだった。
今年の7月、母が救急車で運ばれたとき、救急隊員から最近の母の様子を訊かれ、
私は同じ家に住んではいるけど、母の体調についてはくわしくはわからないと説明した。
別に救急隊員の人にはっきりと言われたわけではないけど、遠回しに、
「なんでいっしょに住んでるのに、(家族の体調の変化に)気づかなかったのか」
と責められたような気がした。
私は、食欲がない母を、夏バテのかなりひどいものになってしまったと思っていた。
ときどき、「病院に行きなよ」と何回か言ったけど、母は行こうとしなかった。
あれはもしかすると、だんだん体力が落ちて、行けなくなった、行こうとする気にすらなれなくなった、というのが正しいのかもしれない。
すごく心配、してたのになぁ。
とはいえ。
あれはもしかすると、とかなんとか言ったところで、
いまさら、だ。
母が亡くなったあと、
「もっと私が強く言っていれば」
「腕ひっぱってでも病院に連れていっていたら」
と自責の念に駆られた。
けど、それは違うような気がして、そう思うのをやめた。
〇〇をしておけば未来が変わったかもしれない、って、それが本当にそうだったのかはわからないし、わかりようがないし。
シンプルに、しんどいしね。
そんなわけで、今月、健康診断を受ける予定を入れている。
病気に気をつけたほうがいい年齢だし、母のこともあったから。
父も母も長生きできなかったし、たぶん、私もそんなに長くは生きられないと思う。
いま私になにかあったら困るなー。お金ないし。(そこかよ)