予防線のゴールライン
〇〇です。
言い切る人は信頼感がある。
ガタガタしている椅子には安心して体を預けられないのと一緒で、まっすぐどっしりと自信を持って言葉を発する人は当然頼られて、人が集まってくる。
スキルや能力に絶対の自信があるのなら是が非でもそうしたいが、一般の平凡な人間にはそれは中々難しい。
言い切る以上、責任も伴い、プレッシャーが自分のパフォーマンスに悪影響を及ぼしかねない。
話は変わるが子供の頃、夏休みの宿題は前もって終わらし、後方の憂いを絶ってから手放しで休みを謳歌するスタイルだっただろうか。
それとも、夏休み突入した時点で、いや、なんなら夏休みを意識したその瞬間から体の何処かで「カチッ」と音がして、夏休みモードになり、全てが消化試合の様な感じになって、8/31のギリギリまで何もやらない。
最終日になり、頭の後ろから血がサーッと蒸発するような感覚を得てやっと取り掛かり、既に宿題を終わらせたと言っていた友達が、夏休みが終わることに対し感傷に浸っているのを想像し「羨ましい」とか「なぜ自分だけこんなことやらなきゃいけないんだ」とか、おおよそ見当違いな恨みつらみを呟きながらツギハギだらけの課題を片付けていくスタイルだっただろうか。
後者の人は、大人になっても恐らく同じじゃないだろうか。
仕事では納期や期限がある作業がほとんどで、あの頃と同じ様に、期限のギリギリまで、エンジンがかからない。
しかも1日の内でも夕方くらいにならないと集中が出来ないビジネスパーソンはたくさんいると思う。
かくいう僕もまさにそれであり、この16年位のサラリーマン人生は常にギリギリの積み重ねであった。
ただ、十数年も同じ職についていれば、自分という個体がどういう特性で、どの様に操縦すれば上手くいくのかはボンヤリとわかってくるもので、僕の場合はゴールを作ってあげることだった。
宿題や起きる事、仕事や待ち合わせなどがギリギリな人っていうのは何なのか分析する際、「何故ギリギリになってしまうのか」と分析するのは少し間違いだ。そんなもの、なるべくやりたくないからとかだから。
そうではなく、「ギリギリだとしてもなんとかやれるのは何故なのか」という視点で考えてみる。
すると「恥はかきたくない」「ゴールはしたい」と言う欲望があることに気づく。
その奥には、怒られたくないからとか、人と差をつけたくないからとか、色々あるのかもしれないが、我々はとにかく、恥をかかないよう、せめてゴールはしたいのだ。
ゴールすら必要なければ宿題も仕事も別にほっぽってしまっても死にはしないし、致命的な問題にはならない。
言い訳や代替案でカバーすることも可能だろう。しかし我々は、せめて与えられた、もしくは設定したゴールだけはクリアしたいのだ。
つまり、僕という人間の欲を満たしてやるには、やらないと恥をかくかもしれない。と言うゴールを作ってやればいいのだと思う。しかもなるべくなら誰にも迷惑がかからない程度の。
そして話は冒頭の「言い切る」人の話に戻るのだが、僕は基本的に「〇〇だ」「絶対〇〇です」などとは言わない。
〇〇だと思います。〇〇の気がする。〇〇だったような。
これらの曖昧な予防線を張りまくる言葉はあまり良くないのかもしれない。
けれども、こういった私見止まりの意見を僕は会議やチャットで至る所で挟んでいく。
別に詳しくもない話題にも自分から入り込んでは私見をふわっと述べて去っていく。
これの狙いはただ一つで、予防線でゴールを作っているのだ。
自分が投じた意見は、あっているかどうか分からない。ならば死に物狂いで調べて習得したくなるだろう。外したら恥ずかしいのだから。
けれども、それを投げかけられた人たちにとっては、外れてても至極どうでもよかったりする。何故なら「自信や根拠のない所感」である事を踏まえた上で検討するからだ。
しかし、当たっていた場合は話が変わってくる。一つ、二つでは変わらなくてもそれが毎回、トータル数十件ともなれば、必ず信用度が上がるのだ。
外れてもそこまでダメージなく、当たれば信用という見えない見返りが確かにある。
ものすごいスピードで、様々な話題に食いつき私見を述べてから答え合わせを調べる。
もし合っていればソースを提示し、間違っていれば話題がホットなうちに訂正すればよい。
解決前に提示できれば、結果は「2個出して1個当たった」人ではなく「当たった」と言う記録になる。
自分の名誉を守るために、死に物狂いで調べた答えは体に刻まれて、血や肉になっていく点もこの習慣のお得ポイントだ。
これはあくまでも一例だが、自分という人間の欲望や行動理念を観察し、頭で考えて心を動かしていけば生きることは格段に楽になる。
自分という一番付き合いの長い物体の事なら過去を振り返れば誰でも必ずパターンが分かるはずだ。
僕はたまたま、人の為のタスクは最優先でやる特性と、恥ずかしいからせめて完走はしたいという特性を持っているので、このスタイルがピタリとあった。
誰かの疑問や悩みに食らいつき、自分を辱める可能性のある時限爆弾を自爆の範囲で設置して、無理やり一生懸命にさせる修行法。
それが予防線で作るゴールラインだった。