強迫性障害から適応障害になった私

強迫性障害

私は小学生の頃、強迫性障害になりました。

「地獄」という言葉が怖くなって、いろいろな動作をするときに、「地獄」が頭をよぎりました。

「地獄」と考えながら動作をすれば本当に地獄に落ちるんじゃないかと思い、頭の中ではなにも考えないようにしながら、何度も何度も同じ動作を繰り返しました。

このときは、強迫性障害という病気を知りませんでした。

私が病院に行ったのは、社会人になってから。これが病気だと知り、投薬治療が始まりました。でも、治りませんでした。そこでカウンセリングを受けることに。認知行動療法で徐々に強迫性障害の症状が消えていきました。

適応障害

強迫性障害の症状が薄れていった頃、私は仕事でパニックになり、適応障害と診断されました。職場に適応しようと頑張りすぎたみたいです。周りにどう思われているのか怖くて、私の聞こえないところで悪口を言われてんじゃないかって。ずっと考えていました。

三度の長期休暇を経て思いました。私にはその職場が合っていないんだと。

新たな道へ

仕事を辞めた私はフリーランスデザイナーを目指しました。「人と接するのが怖い」という理由で。デザインを学ぶためにオンラインスクールにも通いました。しかし、会員同士の横のつながりを作ろうとするスクールでもアウェイ感を感じてしまいました。自分から動くことが怖い私は結局仕事に結びつけることもできず。
そんな私はまた就職したいと考えました。「お金が減っていく一方だ」と思ったのとともに、「私も何かのスキルを見つけてやりがいを感じることをしたい」という思いもありました。今思えば、人が怖い私が自分から仕事を取りにいかなくちゃいけないフリーランスは向いていないですよね(笑)。
何の職が自分に合っているのか…たくさん考えて、「強迫で身につけた丁寧さを無下にしたくない。簿記3級を持っているから経理がしたい」。そんな理由で転職活動を始め、ありがたいことに経理職に就くことに。
「強迫性障害は完治しないって聞くけど数字の確認怖くない?」と思う方もいらっしゃると思います。というか、私も思っていましたし、今も少しは強迫と共存しています。だからこそ、このnoteにその軌跡をありのままに綴ろうと思います。

まとめ

私は強迫性障害から適応障害になりました。HSPの気質もあります。そんな私の経験と、私なりの対処方法をこのnoteに書いていこうと思います。共感して、自分らしく生きようと思ってくださる方がいらっしゃると幸いです。


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