私がなかなか精神科に行けなかった理由①
こんばんは。
これまで休職とかその時のサポートについて書いてきました。
これらの記事で何度か書きましたが、私はあれ私ヤバいかも?と思ってから精神科を受診するまで1年ちょっと放置しちゃったんですね。
それをとてもとても後悔していて。
なぜそうなってしまったのか、今日は書いていこうと思います。
長くなりそうなので2回に分けて書こうと思います。
よろしければどうぞお付き合いください。
私のうつの原因はざっくり言うと元上司と合わなかったからです。
2018年春
大学を卒業してそこそこの企業に就職します。
2019年秋
念願の部署に異動
これまでの下積みの努力が報われた、と思っていました。
自分のスペックが生かせて、かつ周りの20代と比べると良い年収。都会での本社勤務。
やったー私勝ち組!
…と思っていたんです。
2020年春
早くも雲行きが怪しくなってくる。。。
上司が自己中心的でとにかく意地が悪い。
異動してから知りましたが社内でも有名なヤバい人でした。
今まで出会ったことのない部類の人間でした。
自己中心的で自分の利益のためには人を陥れる、とても品のない人でした。
平均年齢50歳くらいの部署。
チームは上司と私の2人きりで他に比べる基準がないから何を言われてもそれが普通で当たり前だと思っていました。
周りも見て見ぬふり。
もちろん相談できる人もいません。
認めてもらいたいあまり、自分を殺して良い子を演じすぎていたのかもしれません。
この頃から、仕事に行く事が憂鬱になりました。
休日は家に篭るようになり、何を食べても美味しくない、誰にも会いたくない、今まで大好きだったドラマにも興味がなくなりました。
この頃から何度かヤバいかもと思って病院にかかることも考えましたが、メンタル系の病院は基本予約制で数ヶ月先まで予約が埋まっていたりしてそこまでして病院に行く元気はもうありませんでした。
結局病院にかかることも出来ず重たい身体を引きずってなんとか仕事に行っていました。
金曜日の仕事終わり、土日休みで一番嬉しい時間のはずなのに、月曜日になったら出社しなければならないと考えるだけで金曜日の夕方の帰り道がとてもとても憂鬱だったのを覚えています。
帰り道の京急のホームを思い出すだけで今でも辛いです。
(この頃細々と転職活動をしていて、某有名企業に条件面談を持ちかけられるもそこで落とされる。人間不信が増し精神的にさらに追い込まれます。)
…この時有給を取ってでも病院にかかるべきでした。
2020年夏
当時の私にはもう心の余裕なんて全くなく、言われた些細なことをずっと気にし続け、ちょっとした嫌味や冗談でさえ聞き流すことが出来ない状態でした。
最低限しか、ご飯が食べられなくなりました。
ランチタイムはオフィスにいるのが辛くて、他の会社が入っている他のフロアのトイレや共用スペースで考え事をしていました。
ある日、上司の前で声が出なくなりました。
自分でもとてもびっくりしました。
喉が詰まってしまって喋ろうとしても何も出てこないのです。
…この時有給を取ってでも病院にかかるべきでした。(2回目)
2020年秋
新しい事業所が出来ることになり、上司から逃げるようにそこに転勤することに決まりました。
上司からの最後の言葉は
初めからあなたはここじゃなくて地方でそうやって若い子と働いてるのが向いてるとおもってたのよ、でした。
(はぁ?)
最終日、荷物をまとめそっとオフィスを去りました。
外に出た途端、涙が溢れそうでした。
家まで3駅の間、電車の中で下を向きながら涙目を必死に耐えて耐えて
お家の玄関の扉を開けた途端、うわーんと声を出して泣いてしまいました。
この時のことは今でも鮮明に覚えてきます。
(24歳にもなって声を出して泣くとは笑)
年末年始に1ヶ月ほど有休消化のため休み、実家でのんびりしたり、引っ越しなどを済ませます。
これで結構メンタルは回復しました。
2021年新年
正月明けに新しい事業所へ行きました。
心機一転、また一からやり直そうと言う気持ちです。
転勤するとどうでしょう。
とても元気になったのです!
転勤先の人はみんな優しく、仕事も毎日楽しく通ってました。
会社辞めなくてよかった。そう思いました。
ストレス源がなくなって、みるみる元気になっていきました。
仕事終わりにネイルに行ったり、休みの日は予定を入れて遊びに行ったり、毎朝少し早めに起きてお弁当を作って持っていったり!
とても充実した毎日でした。
でもそんな日も長くは続きませんでした…。
つづく。