刀ミュ「双騎出陣」をどう考えるか
ミュージカル刀剣乱舞「髭切膝丸双騎出陣2019 〜SOGA〜」、公演終了しました。
同時に2020年の再演も決定し、いまのところ髭切も膝丸も役者さんは変わらなそうです。
みなさん、お疲れ様でした。
今回の作品、今までの刀ミュからは少し違う内容だった。
今までは1部は時間遡行軍との戦いを描き、2部では刀ミュ本丸の刀剣男士たちが歌って踊るライブ。
「つはものどもがゆめのあと」で、今剣と岩融が『勧進帳』の劇の稽古をしてたけど、今回は言うなれば、髭切と膝丸が『曽我物語』を演じたというストーリーだった。
歴史修正主義者である時間遡行軍は出てこない。
刀ミュのファンには、もともと歌舞伎を見たり能の素養がある人がいるし、古典文学に詳しい人もいる。
おかげでネタバレ解禁になった瞬間から、溢れるように『曽我物語』となぜ今回このような形式になったのか、という考察がTwitterに流れてきた。
こんなにも素敵な考察が流れてくる中で、私のような知識のない人間が語る必要などなにもないのでは?? と思えるほどの充実した考察が流れてくる。
もちろんこれは公式の解釈ではないし、正解というわけではないのだけれど、作品への補完としてこういう考察はどんどん読んでみたい。
じゃあ、こういった教養がないと刀ミュは楽しめないのか、という話も今回は出てきていて、賛否両論ある。
挑戦的な作品であったからこそ、賛否が上がるのは当然だ。
時間遡行軍との戦いを演じる二人が見られると期待して行ったら、なんか役者さんが仇討ち物語を演じてる。
「え、これ刀剣乱舞じゃないじゃん」「髭切と膝丸が演じる意味ないじゃん」
戸惑いは当然だと思う。
あまりにも今までと違うからだ。
カッコよく殺陣をする兄者も弟もいないし、弟の名前を忘れてしまう兄もいない。
1部で見たのは曽我兄弟を演じていた役者二人だった。
なんの予告もなく突然『曽我物語』が始まったのだった。
戦装束を着た二人は出てこず、椅子に座らされて仮面を被された人形のような二人が出てきた。
そして仮面を外されて演じるのは、5歳の一万と3歳の箱王(筥王)。
無邪気に舞台の上を駆けて「兄者」ではなく「兄上」と呼ぶ弟。
役者は兄を髭切役の三浦くんが演じ、弟を膝丸役の高野くんが演じる。
そしてそのまま物語は展開し、『曽我物語』は幕を閉じる。
これが1部の終演でもある。
そこに髭切と膝丸はいない。
これでは確かに疑問を持たれても仕方がない。
これを運営側がどう捉えるかは私には分からない。
課題とかそんなおこがましいことが言えるわけもない。
運営サイドは思うままに進んで欲しいとも思う。
ただ、これだけは確信をもって言いたい。
『曽我物語』をやるのは髭切と膝丸ではないとダメだ。
仇討ちに使われたのは、かつて源義経が、戦勝祈願とも兄との和睦祈願のためとも言われている、箱根権現に奉納した刀。
それは『剣巻』によると薄緑である。
薄緑、すなわち膝丸だ。
今回の劇中で箱根権現から渡される刀は、刀ミュ内で膝丸として使われるのと同じ太刀だった。
それだけでも『曽我物語』は膝丸ための作品とも言える。
そしていろいろな人が言っているけれど「つはものどもがゆめのあと」で、膝丸は自身の刀剣としての存在に自信がないことを箱根権現に膝丸を見に行くかと問われたところで吐露していた。
今剣や岩融ほどではないが、髭切も膝丸も存在があやふやだ。
“物が語るゆえに、物語”とはよく刀剣乱舞では使われるフレーズだけど、髭切と膝丸には史実とは言い難い来歴や逸話が残されている。
以前、私は「つはものどもがゆめのあと」を見た後にnoteに書いたことがある。
存在の曖昧さについてどう思うか真面目な弟は考えてしまうけど、「大雑把でいこう」が口癖の髭切が思い悩んでしまいそうな膝丸を兄としてサポートしてあげる。
刀剣乱舞の公式的には北野天満宮の鬼切丸が髭切、大覚寺の薄緑が膝丸という。
髭切と膝丸は平安時代の逸話があるが、北野天満宮の鬼切丸も大覚寺の薄緑も平安時代には作刀されていない。
罪人の髭まで斬ったのはどの刀か。
鬼の腕を斬ったのは、膝丸の代わりの刀の茎を斬ったのは、曽我兄弟が頼朝を斬りつけた時に寝所にあったのは、霜月騒動に巻き込まれたのは?
罪人の膝まで斬ったのはどの刀か。
大蜘蛛を斬ったのは、蛇のように鳴いたのは、新緑の名前を授けられたのはどの刀か。
兄の髭切がこの演目を演じようと提案したのか、それとも審神者が提案したのかは分からない。
しかしどのみち、これは膝丸のために演じられたものではないかと思う。
迷いを吹っ切ったのか、2部で歌われた『双つの軌跡 〜となり〜』で“弥久をさまよいたどり着いたのは 誰かの隣”という歌詞だったものが、“弥久をさまよいたどり着いたのは あなたの隣”と、改変されたのだった。
しっかりと髭切を見つめながら“あなたの隣”と歌った。
存在の曖昧さへの不安を吹っ切り、髭切への思いをより強くしたのではないかと思う。
そのため、いろいろな疑問はあるだろうけど、『曽我物語』を演じたのは、三浦くんと高野くんではなく、髭切と膝丸であり、間違いなく刀剣乱舞の作品のひとつであったのだと、私は思う。
“物が語るゆえに、物語”
髭切と膝丸という刀剣が語る物語、それが今回の『曽我物語』だったのだ。
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