愛と言う名の鋭利な刃
【 私の本棚 - No.001 】
作品:停電の夜に
著者:ジュンパ・ラヒリ
翻訳:小川高義
出版:新潮社(2000年)
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概要
この書籍はジュンパ・ラヒリのデビュー作、「停電の夜に」を含む9編を集めた短編集。表題作である「停電の夜に」は若い夫婦の冷めきった関係の中で、あるひとつの愛の姿を描いた作品です。こちらの一編を紹介します。
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要約
物語はある工事の知らせから始まる。これから5日間、午後20:00からの1時間だけ、工事のための停電があるらしい。停電の間、人々はロウソクの光などの暗闇で過ごすことになる。
話は夫であるシュクマールの視点で語られる。夫婦は家にいながらも、最低限の会話しか交わさない。夫は妻であるショーバの行動パターンをよく理解しており、なるべく顔を合わせないようにしている。
ただ、停電の夜はろうそくの用意もそう多くはないから、夫婦同じ食卓を囲まねばならない。少なくとも夫にとっては憂鬱な気持ちだっただろう。停電の夜、食卓を囲んだ2人。妻のショーバは暗がりの中でこんな話をし始める。
家族で食卓を囲む際、「祖母の家でね、一人ずつ何かを言わされたのよ」と。「詩の文句とか、ジョークとか、ちょっと嘘みたいな話」。
彼女はそれをやってみようと言うのだ。
「何か言い合いっこしましょうよ、暗い中で」。
妻は続けて夫に提案を持ちかける。
「今まで黙ってたことを言うなんてのは?」
それから1日… 2日… 3日… 4日…
と、夫婦はお互いに秘密を打ち明ける。
実は内緒でこっそり飲みに行った夜があること。
学生の時にカンニングしたことがあること。
結婚記念日にもらったプレゼントを返品して昼間から飲む酒に替えたこと。
テリーヌの食べかすが顎についているのを教えてあげなかったこと。
気づくと夫にとって、停電の夜は妻に物を言える特別な夜になっていく。明日は彼女に何を話そうか、と。どこか楽しみにしている自分に気づく。かつての彼女との思い出に浸るようになる。冷めきった夫婦の関係は、この5日間の停電の夜によってこのまま、もとに戻っていくかのように思えた。あの頃のように。
工事5日目の朝、工事が予定より早く終わったとの知らせが投函されていた。もう1日あるはずの、魔法の夜は突然終わってしまったのだ。
5日目。それでも妻は打ち明ける話があると言う。明るい部屋で。
そして、その話を聞いた夫は、本当はするつもりのなかった話を始める。
彼女を愛していたから。彼女のことを深く理解していたから。
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感想
この話は終始、夫であるシュクマールの視点だが、妻ショーバがするであろう行動や彼女の性格をよく理解した上で彼は、彼女と日頃の関わり合いを持たないように動いています。
ただ、停電の夜を機に夫の心境が大きく変わっていきます。それは、妻と再び関わらざるを得なくなったから。1日目…2日目…3日目と、夕食とともにお互いに秘密を打ち明けるにつれ、彼はこの時間が次第に楽しみになっていきます。そんな夫の心境の移り変わりが細かく描写されている一方で、「彼女のことをよく知っている夫」という描かれ方は終始変わっていないように思います。行動がちぐはぐなだけで、紛れもなく彼は彼女を愛している。きっと、関係の改善を望んでいたのでしょう。
ただ、相手への深い理解と愛は、時にそのカタチを変えるもの。その心が移ろう様子が見事に描かれています。
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心境の変化を描く巧みさ、愛憎どちらにも転びうる不安定な愛を綴ったこの「停電の夜」という一編。著者であるジュンパ・ラヒリのデビュー作にして2000年ピュリッツァー賞受賞作です。
他の8つの物語も20頁〜40頁からなる傑作揃いです。
ジュンパ・ラヒリの文章の世界に触れるとっかかりにぜひ。