老いて挑戦しなくなる
27歳の暇真(いとま)です。
最近は「自分」に集中しているので、
いつもより自分の事がよくわかっている気がする。
「私はこういうのが好きで、ああいうのはニガテ」
「これはできるけど、それはできない」
「経験的にそれをやったらこうなると思う」
みたいな直感が冴えてる。一時的なものかもしれないけど。今はそういうのが結構わかる時期だ。
だから「自分にはちょっと合わなそうだけど突き進もう」となりにくい。例えば、業務メールを見て「合わなそう!」「この人とやり取りを続けたらたぶんお互い誤読して揉める!」と直感した案件は断るとか。そういう身の振り方ができている。時間や労力は有限だから、ムダにしないで済んだ点では良かったと思う。
老いただけという見方もできる。
老いると人は、どんどん挑戦しなくなると聞く。
子どもの頃、「このアニメおもしろいよ」と母親に伝えても「お母さんはいいやー」とあしらわれた。観てもないのに最初から興味が無いと決めつけるのはいかがなものか?観たらハマるかもしれないのに!と思っていたけど、親は経験的にそのジャンルのアニメを好きになる可能性が薄い事を理解していたのかもしれない。
私は、大人になると挑戦する気力が無くなっちゃうんだろうなーと思っていたけど「自分の興味関心に合わないものには近づかない」を徹底した結果、わざわざ挑戦する必要が無いのかもしれない。
だとしたら、老いて挑戦が少なくなるのは哀しいことじゃなく、むしろラクに生きるための術とも言える。
ただ、ホントにこの方向で良いのか?と思う自分もいる。可能性の芽を摘んでないか不安になる。
「合わなそうだけどやってみる」とか
「やる気はないけど言われたからやってみる」
の中に、重大な発見が眠ってる可能性もあるんじゃないか。時々は自分が好きになりそうも無いものや、全く興味が湧かないものに触れる機会も必要な気がする。コンフォートゾーンを抜け出す的な。
先日「海外旅行に行ってみなよ」というアドバイスと「お金をかけずに過ごす方法を紹介する記事を書くのとか良さそう」というアイディアを同時に蹴ってしまった日があった。なんか、そういうのは良くないなーと思う。
「やってみたら?」と言われたとき、大学在学中〜入社1年目くらいまでの私なら、97%くらいの確率で「はい!やってみます!!」と返事したはずだ。
あの頃みたいに、若者ならではの勢いが無いと掴めないものもあるから悩ましい。時間と予算と体力が余ってる時は、意識的に自分の範囲外に挑戦するべきかもしれない。何ごとも、バランスが大事よね。
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